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雨漏り奮闘記 「慶州の思い出」

2008.11.18 (火)

雨漏り奮闘記 「慶州の思い出」

ファイル 34-1.jpg1.慶州 崔家の古宅
    家の前にある門みたいな木柱は日本で言うと鳥居に相当するもので、鳥みたいな金属製の飾りがあります。

ファイル 34-2.jpg半月城の跡で湖に船を浮かべ、詩歌管弦楽しんだと言われております。

ファイル 34-3.jpg芬皇寺石塔 元は7重になっていたそうです。入口の両側の石造は金剛像です。

ファイル 34-4.jpg瞻皇台(チョムソンデ)東洋初の天文台で上部の四角は東西南北を表し、窓上、及び窓下は12段で12月を表し組み石野数は365個の組み石で建造され、窓に太陽が正面に来たとき、春秋の彼岸を表し、夏至の日は内部全体を明るく基底を照らし、夏至の日は底部のみを照らすと言われております。

ファイル 34-5.jpg石氷庫と言われ、冬氷を保管し、夏使用したそうです。
内部の石組みは精巧に建造されております。

雨漏り奮闘記 「慶州の思い出」

韓国において、慶州は日本の京都に当たるところです。
古都慶州に、ソウルより急行に乗っていきました。
途中、大邱で乗り換えなければなりません。筆談で駅員と話をしましたが、「慶州・慶州」「切符」と何度も書きましたが切符を売ってくれません。列車が入ってきました。

 指を刺し、あれに乗るんだと意思表示をしましたが、どうしても売ってくれません。大邱の乗り換えの時間は前に話した「朴 愛子」が調べてくれていたのでわかっておりました。 あせりました。
 しかし、結果は駅員さんの親切でした。 2分後に隣のホームに列車が入ってきて指を刺して、あれに乗るんだと身振りで教えてくれました。
 もし、今みたいに自動券売機と自動改札だったら知らないところに急行で行ってしまったかも知れません。

 この頃、列車は2等席と3等席があり、優雅な気分で2等席に乗りました。
 1等はどういうわけか有りませんでした。
非常に待遇がよく、車掌さんが乗客全員に新聞を配布しておりました。
 ところがです。私の隣のおじさんが話しかけてきました。
もちろん、韓国語です。私は理解できず、しどろもどろ筆談を始めました。
 要約すると「お前は若いのにどうしてベトナムにいかないのか」と言うことでした。
 自分が若ければベトナム戦争に行って戦うのだ。と力説しておりました。
 当時、韓国は北朝鮮と戦争状態で韓国のある朝鮮半島のことを「朝鮮半島」と言うと殴られるような険悪な時代で、
朝鮮半島は何もつけずに「半島」読んでいた時代でした。
 そんな背景でしたから、共産主義を非常に忌み嫌っておりました。
 今では理解されないと思います。
 それと興味深いことに、創価学会のことを韓国社会はよく知っておりました。

写真 1.慶州 崔家の古宅
    家の前にある門みたいな木柱は日本で言うと鳥居に相当するもので、鳥みたいな金属製の飾りがあります。
   2.半月城の跡で湖に船を浮かべ、詩歌管弦楽しんだと言われております。
   3.芬皇寺石塔 本は7重になっていたそうです。入口の両側の石造は金剛像です。
   4.瞻皇台(チョムソンデ)東洋初の天文台で上部の四角は東西南北を表し、窓上、及び窓下は12段で12月を表し、    組み石野数は365個の組み石で建造され、窓に太陽が正    面に来たとき、春秋の彼岸を表し、夏至の日は内部全体を    明るく基底を照らし、夏至の日は底部のみを照らすと言わ    れております。
   5.石氷庫と言われ、冬氷を保管し、夏使用したそうです。
内部の石組みは精巧に建造されております。

            新瓦博士