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記事一覧

官軍の挟撃作戦に手貸した大内宿の村人

2019.07.14 (日)

 大内宿の村人たちは、幕府軍、新選組などが官軍の攻撃に敗走し、落城した白河小峰城から会津鶴ヶ城に逃げ込んだことをの近隣の村人から聞き及んでいたと思います。
 大内宿の村人は、寄り合いの講などで情報を共有していたのです。村民の長が勝ち目のない城主「松平容保」から離反して、官軍の手引きをして、集落を消失から守ったのです。今の、集落はその人たちのおかげです。

 今では、120万人が訪れるのです。この日光から檜枝岐村の通じる会津西街道(上州街道)は鉄道開通によって、街道としての役割を終え昭和21年町制が敷かれ、ランプから電気に代わり、遅まきながら近代化の道を歩んだのです。
 私も知らなっかのがすが、冬の茅葺屋根に積もった雪景色は飛騨の高山と同じ景観を作り出します。特に村の突き当りの子安観音安置されている丘の上からの素晴らしい景観を堪能されることをお薦めたいです。

 大内宿は浅草から東武伊勢崎線で塔のへつりに行って、会津鉄道に乗り換えると行けるところで便利です。また、途中、足湯に入れる茅葺屋根の湯之上温泉駅もあり、奥鬼怒の秘湯です。あまり知られていないので格安の由緒ある旅籠もあります。
 私も、来年の2月ごろ行ってみようと考えております。
 土井晩翠の荒城の月は落城した鶴ヶ城を歌ったものです。

  鶴ヶ城の戊辰戦争は大河ドラマにもなりご存知と思います。また、白虎隊は自刃し、逃げ行く会津の人々によって、鎧、兜、刀などの金品になるものは剥ぎ取られ、裸同然の姿をされしたと本で読みました。負けると哀れですね。戦後の日本も戦災孤児の浮浪児が上野駅などで毎日飢えで朝起きると死んだのと似ていますね。

龍飛崎と階段国道

2019.07.14 (日)

 石川さゆりさんの哀愁を帯びた歌謡曲、津軽海峡・冬景色で一躍有名になったt竜飛崎も私が大学生のころは、知る人ぞ知るマイナーの観光地でした。
 私が疑問に思ったのは、どうして竜が飛ぶ岬なのかです。どうもアイヌ語からきているみたいです。アイヌ語の「タム・パ」竜が飛ぶがなまった説と「突飛」がからきた節の2通りがあるのです。
 村民は、漁業で自給自足を強いられていました。アイヌが住んでいて、大和朝廷が何度となく戦いを仕掛け、アイヌは蝦夷地にのがれ、現在の祖先の人たちが入植したのです。

 もともとは、村道で街になると町道になり、あまりにも悪路のため行政も手をこまぬき、自衛隊のによって道路が作られ、観光バスが通行可能になると人の心理で突端まで行ってみたいと思う心に観光化したのです。

 もともとあった漁港に、降りる居住地から70mの落差があり階段を作ったのです。そして、弘前から津軽半島の漁港の階段まで、国道339号線になり、127kの行程になったのです。
 日本広しと言えど階段の国道は竜飛崎のみです。70mの落差は勾配がありすぎ階段になったのです。

 魚や漁具の荷揚げに難儀をしたでしょう...。私と妻も好奇心の塊、漁港まで階段を降りさらに下の回廊に回ってみたのです。先端部分で回廊は水没していました。反対側の回って急な傾斜地を岩につかまりながら高山植物の様な小さな花を見ながら降りたのです。当然ですが途中で波がしぶきを上げておりました。