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世界の富はイスハーンにあり

2017.10.12 (木)

イランは、紀元前からチグリス・ユーフラテス川沿いに文明が開き、7000年の歴史があって7日間の観光でも、ほんの少し世界遺産等を垣間見たにすぎないのです。
このイスファーンはサファヴィー朝全盛のシャー(王)アッバース1世が建設した新都なのです。日本では関ヶ原前夜の1597年の出来事です。
なぜ、ヨーロッパ人の貿易商、外交官に世界の半分といわれるほどに繁栄したか、数多くのキャラバンサラエの建設、シャーの広場、シャーのモスク、バザール、宮殿、神学校、建築の学校、官庁街などが現在のイマーム広場に建設されたのです。
なぜ、イスハーンが世界世界の半分と言わしめたか、それはペルシャ湾のバンダル・アッバース港の拡張で地中海・イギリス・北海の沿岸諸国に絨毯、独特の金属製品、色鮮やかの陶器、刺繍などが輸出され、また、陸路は絹の道からアジア諸国へ運ばれたのです。
それらの品物がバザールで取り引きされ、当時の世界でバザールに欲しいものが何でもあったのです。それで「世界の半分」と言われたのです。
私は、イマーム広場のモスクの天井と基底部に描かれたイスラム教の戒律、また祭壇前で経典を読み上げたバスの運転手さんの声が反響して、巨大なモスクに全体に響き渡ったのです。シルクロードの旅友も驚きました。
また、建築学校での数々のデザインのサンプルにも驚かされ、7階建てのアーリ・カープ宮殿の楼閣に登ってイマーム広場の素晴らしさ驚嘆したのです。
王侯貴族もイマーム広場で行われたイベントを楽しんだことに思いをはせたのです。モスクの屋根にほどこされた、タイルの美しさにや天井のデザインは技術と富の象徴と思われます。
今は広場の白い玉石から水をたたえた池になり噴水が涼を醸し出しております。
噴水の周りを王侯貴族の気分にさせてくれる馬車が走っており、このこの広場は南北512m東西159mにも及びますが1階部分がバザール、2階部分が官庁街です。
地下道があって、王侯貴族は庶民の目を気にせず、モスクや高楼に行きかいできました。
また、イランのザクロス山脈を望む景勝地、ザーヤン川は水は少ないのですが33橋の傑作「ハージュ橋」の中央に張り出した王侯貴族の社交場「6角形の望楼」があります。水の少ないイランで最高の涼を取りながらの2階建大宴会場なのです。
橋は経済発展の流通の為数多く架けられたのです。
庶民は橋梁下の空間で涼を取るのです。余談ですがイランに水田があるのです。コメの文化圏と小麦の文化圏がイランで分かれるのでしょう。
私たちが行ったとき、イランは核兵器疑惑で経済封鎖を受け、原油輸出が制限され、インフレで1日うちに両替が2割くらい上下していました。しかし、国民は明るくインフレなど感じませんでした。
ガイドののアリプールがイスラムの宗教国家ですが「なんちゃってイスラム教」が多くブルガも若い女性はフアッション性を優先しているそうです。
核施設の中に道路が貫通し、撮影禁止ですが観光できるのです。
驚いたことに、インドの富を垂れ流したタジマハールはイランの技術者が設計・指導しているのです。
イランのモスクにはキリスト教も描かれていたのです。懐が深かったのです。
パーレビ国王で、シャーの時代も終わりシャー時代の言葉も使ってはいけなそうです。今は50代の退職者の人々が敬虔なイスラム教徒成ってしまって宗教国家を呈しているだけだそうです。
ほとんどがナンチャッテイスラムで、しかも男は徴兵のため高卒が多く女性が学歴が高く威張っているそうです。

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