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東條英機・ヒットラーそしてスターリン

2017.11.16 (木)

 地球1周の旅で見聞した東條英機そしてヒットラー・スターリンのポツダム会談の舞台裏の話です
 この3人ほどいろいろな情報が交錯し真実が見えてきません。私は、ポツダム、モスクワ、サンペテロスブルグ、ベルリン、アウシュヴィッツ・ビルケナウ、ミュヘン、パリ、ロンドン、ウイーン「ゼーグロッテ」の地底湖を旅してみて、私は昭和天皇、東條英機がいかに戦争回避に努力したか知ったのです。
 日本の官僚の悪弊は責任を誰かに擦り付ける印象があり、その策にはまったのです。東條英機の東京会談での大東亜共栄圏の構想は、インドのチャンドラポーズを初め、アジアの植民地の首脳が戦争のさなかに植民地解放を願って参集したのです。
 東條は、近衛内閣の総辞職と天皇の依願受け組閣を引き受けざるを得なかったのです。私は社会の授業でドイツがヨーロッパの列強国から第一時世界大戦の賠償額が天文学数字で学校の学費さえも、ボストンバックに一杯に詰めこまなければ払えない状況を歴史で学んだのです。
 イタリアは、植民地がなく世界恐慌のインフレに経済が破綻していたのです。日本も満蒙を属国にしなければならないくらい経済が破綻寸前でした。石原莞爾、板垣征四郎が1個師団で1月足らずで満洲国を併合したのです。2人の構想は、日ソ不可侵条約の下で黒竜江の国境を越ず、日本の併合国朝鮮から満洲を侵攻したのです。しかし、日本陸軍は、タブーを破って超えてしまったのです。
 その為、スターリンは昭和20念8月8日、ポツダム宣言を受諾した日本に野村大使通じ宣戦布告したのです。その前の事ですが、ヒットラー率いるドイツ軍が破竹の勢いでモスクワに侵攻したのです。
 日本陸軍は、有頂天になってドイツ軍はシベリアの黒龍江省まで攻め入ると誤認したのです。ところがスターリンは、モスクワ市に火を放ち3日3晩で街のすべてを焼き尽くしたのです。
 ドイツ軍が厳冬中で食糧補給を絶たれ、凍死するもの相次ぎナポレオンの二の舞をしたのです。戦意、戦力をなくたドイツ軍は、おそらくナポレオン軍と同じく10分の1の戦力になりベルリンに敗退したのです。
 日本軍は、そのことを知らず国境の黒竜江を超えてしまったのです。
この事実は、宣戦布告なしにソ連を侵害し戦争の緒を作ってしまったのです。
 また、スターリンはレーニンを追い落とし独裁体制を引き、戦時中の食糧不足、また、反スターリン派を殺し100万人以上といわれる人命を奪ったのです。
 ヒットラーもまた何百万人といわれるユダヤ人、ホローコーストをアウシュヴィッツやビルケナウの殺人工場で毒ガスによる殺害したのです。
 話は変わりますが、日本軍は南京事件の南京城の解放の時、中国人を1人も殺害してないのです。
しかし、中国の捏造記事は30万人以上中国人を虐殺したと中国国民と世界のメディア騒ぎ立てているのです。
それどころか、日本軍は南京市民に対し食料を分け与えたのです。
 これは、昭和天皇の御心と東條英機そして松井大将「皆同胞」の寛容と慈悲の現れだったのです。南京の市民は、数日のうちに20万市民が25万人膨れ上がのです。この南京大虐殺は、外国の従軍記者の間にさへも虐殺の記録がないのです。
 杉原千畝氏は、ユダヤ人を満洲に安住地を与えたわけです。そこには天皇、東條英機もビサ発給に協力していたのです。
 ところが陸軍が暴走し、黒竜江を越境をしてしまい、東條・杉原・松井大将の努力を水泡に期したのです。ヨーロッパ戦線で、ヒットラーが第2次世界大戦の発端を作ったのです。
ドイツは古くからユダヤ人・ホローコーストを国家レベルで、異常なほど罪のない人々まで迫害したのです。
 東條はいま語られている人物像でなく、近衛内閣、天皇の推挙があって内閣を組閣したのです。東條は、最後まで戦争回避に尽力したのです。しかし、米国大統領ルーズベルトがハル・ノートといわれる日本国の飲めない条件を出したのです。しかも日米開戦を一番望んだのはイギリスのチャチールです。
 答えは、当時のロンドンは、ドイツ・メッサーシュミットの空爆に陥落寸前であったのです。しかし、アメリカはモンロー主義を貫き、他国に対し干渉せず、干渉されずの思想でした。ウオール街に始まった世界恐慌はニュデリー政策で解消に向かっていたのです。ヨーロッパ各国も植民地支配のよってどうにか切り抜けていたのです。
 ところがドイツは天文数字の賠償金で、国民はインフレに喘いでいたのです。日本はハル・ノートを突き付けられて、石油・ゴムの禁輸政策によって生存権さえも奪われかねない状況下でした。
 まして、日本の暗号は解読され、尾崎・ゾルゲの国際スパイ事件によって真珠湾攻撃までソ連を通じて、米国大統領に報告されていたのです。
 また戦勝国はポツダム会談でソ連は北海道の分割(釧路、留萌の北側)望んでいたのです。
 アメリカのルーズベルトはこれを拒否しアメリカ1国の占領下に日本を置たのです。
 ミュヘンは、ヒットラーの若かりし頃、画家を志したか場所で軍事参謀本部があったところです。今、観光客や市民に時を知らせるからくり人形があります。ベルリンも第2次世界大戦のベルリンの壁などの遺跡がたくさんあります。
 パリは、ヒットラーによってすぐ陥落したためフランスは戦勝国から外されたのです。私たちが行ったゼーグロッテの地底湖は、戦況悪化した時にメッサーシュミットの秘密工場として利用されたのです。
 余談ですが、イタリアのムッソリーニは同盟国のヒットラーを信用してなっかたのです。ヒットラーまた、日露戦争で勝利した日本人を黄禍(黄色い猿)として信用していなかったんです。
あの有名な極東軍事裁判は、皇太子の誕生日に東条英機7人の絞首刑が確定し昭和天皇の誕生日に4月29日(現みどりの日)に絞首刑が執行されたのです。
しかも、交際法上は全員無罪ですが、アメリカによって見せしめの極東軍事裁判だったのです。

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