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徳川将軍家の庭園・浜離宮にいってきました。

2014.10.01 (水)

「何もできなかった」=動かぬ登山者、複数目撃―リュックで命拾いも・御嶽山噴火

 「灰に埋もれて動かなくなっている人を見た」「どうすることもできなかった」。御嶽山山頂で噴火活動に巻き込まれ、9合目の山小屋で一夜を明かした登山者らが28日午前、岐阜県側から下山し、山頂付近での過酷な体験を振り返った。(時事通信)

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  雨漏り奮闘記 さいたまの屋根屋のおっさん
日本には50近い活火山があって、世界遺産の富士山も
私たちが教わったとき、休火山ですが今回、訂正されたのです。

富士山が噴火した時、小田原城内は1.8mの火山灰が積もり、
河川に運んだら、洪水が発生し、また、砂地の為、保水力なく
伊奈忠順が幕府に天地返しを申請し、わずかな予算を
組んでもらった。(当時は天地返しの発想がなかった。)
しかし、この富士山の噴火を幕閣は政争の具にして、
庶民のことなど歯牙にもかけなかったのです。

彼は、昼夜を忘れ、村民のために尽力した。
今は、伊奈神社の御祭神と仰がれて居りますが、
御厨地方の惨状は筆舌に現しがたく、餓死者が死臭を
放つがごとくでした。

もし、今富士山が突如爆発したら、背筋か寒くなる
事件になり、原発以上のすさまじいことが、
首都圏で発生します。

話はそれますが、神大の岸君から電話があり、森君と会うから、
浜松町の駅に出てこないか。

のこのこ出て行きました。
ゼミの同窓会を開く話になり、森君は、森ビルの社長と
姻戚関係があることを初めて知りました。

昼食をとって、浜離宮にでも行かないか。と言われ
OKをしました。

浜離宮は、徳川幕府の庭園で、江戸湾の海水を引き込んだ、
珍しい庭園で、魚がぴょんぴょん跳ねていました。

久しぶりで、至福の時を過ごしました。

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ファイル 1316-1.jpg
汽笛一斉の時代の蒸気機関に使用されていた
汽車の車輪。
中々重量感があり、当時の面影を「なんだこんな坂・なんだこんな坂・・・・・・」喘いでいる姿を想像致しました。

ファイル 1316-2.jpg
新橋の煉瓦の架橋下から見る風景。
幼子が遠い向こうを見るような風景です。

ファイル 1316-3.jpg
浜離宮の説明板

                           
ファイル 1316-4.jpg
樹齢300年と言われる6代将軍家宣が庭園を
大改修した時、その偉業をたたえ植えられた松です。

我ここにあり。思わせるような素晴らしい松で、
盆栽を巨木にしたようなかっこいい松です。

このような松は、栗林公園で見て以来です。

ファイル 1316-5.jpg
潮の満ち干のある内堀。
造成当時の面影を残す石垣と思われます。
水もに映す景観は素敵です。

太陽光を推進しよう会の「新瓦博士」
当社ホームページはhttp://www.ogiya.co.jp です。

 

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