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記事一覧

地球の裏側、パイネ山群

2018.11.22 (木)

 開拓のための囚人列車が壊れたエンドレスの観光案内を耳の痛いほどする。騒音の極刑である。
 荒涼とした開拓の牧場は開ける。極寒の寒さと飢えで死んでいった極悪でも仏は救い、アウシュビッツの有様であったろう。囚人たちの霊がとりついた白く残った切株も彼らのシャレこうべのように映ってくる。
 今は、弁慶号の様な列車もドル稼ぎの観光列車だ。命のすごさに驚き数十億万年の時を刻み、人間が地球の頂点に君臨し、環境破壊で己の子孫を死の淵に追いやる輪廻転生だ。
 幻のパイネ山群、我々の前に全容を現し、鋭鋒がそそり立っている。森の樹木の幹の白さを際立たせ異様な光景が広がる。環太平洋造山活動でできたので硫化水素であるわけがないのです。
 鋭角にとがった「TORRE」2880m、赤い御影の火成岩と水成岩がガチンコ下したです。快晴といっても風は日本の北風より冷たく、岩陰でランチ、幻の山々を見ながら、極上の気分です。マントル対流のすごさを目のあたりにしながら翌朝AM4:00南極に向かってバスの旅。
 saint exupery 25583m、poincnot 3002m、fitz roy chalten 3405m
これが世界のクライマー引き付けて、ハーケンを握らせるのです。
 南極の暴雨圏、風速70m世界、冒険家、正体不明の人物像。三浦雄一郎、植村直紀、星野道夫、いろいろ命がけの群像が存在するのです。
人間って不思議がいっぱいで判りません。AIでも解析できないでしょうね。それともともできるのかな? 

胆管癌と戦い、世界の旅を夢見る

2018.04.08 (日)

(生存率20%の胆管癌、戦いの記録)
2009.09.21のブログより
病棟の窓より外をみる。木々が大きく揺れている。
窓を開けた。風がない。
病棟の空気は何処か淀んでいる。
重い空気だ。

廊下を行く人、病室で伏せっている人
皆、背後霊に取りつかれたように
背中を丸めている。

自分だけは、しゃんとしなくては
背筋を伸ばす。意識しないと前かがみになる。

重い荷物を背負ってるように。

人生って何だ。
突然の死を宣告されたように。
重いショックだ。

そんなのあるの。何処で時計の針止まったのだ。
夢を砕かれ、頭の中が真っ白。

でも、でも、・・・・・・・・頑張らければ、

こんな人にあった。それは、チベットの空港待合室で逢った登山家の話し
でも現実の話なのです。信じがたいが・・・。
その本人にあったのです。

彼は雪崩にあい、流されてしまった。
どうにか助かり,凍傷にあった両手で
必死に這い上がり、ベースキャンプに戻った。
誰も彼の生存を知らず、
死んだものと全員がベースキャンプを撤収した。
彼は撤収したベースキャンプに戻った。
凍傷にあった体で、ベースキャンプへ行けばの希望で
飢えと凍傷に絶え、何もない抜け殻のベースキャンプ
姿を見た彼はうちのめされた、
心境はどうだったろう。

それでも、感覚のなくなった手足と空腹に耐え、
下界に向かった。

救助され、一命をとりとめた。

今では、10本指の第二関節まで失い
それでも、登山人生を辞めずに
ハーケンを操り
登山に挑戦しているとのこと

すごい人生だ。
俺も負けない。社会復帰を願って
頑張るのだ。

旅に出たから会えたんだ。

彼は、今でも著名な登山家で、海外の登山専門のツアー会社の社員です。

病室にて(俳句集)
カセットで 聞く思い出の 白鳥の湖

今遠く サンペテロスブルグ 夢の中

これしきの 病魔に負けて なるものか

かなえたい 真白き世界 地の果てに

病棟の 画廊もどきも 目に虚ろ
もしももし これでこの世が終わったら 
親不幸も 極まれり

こんなにも 不意に来るのが 病なり

どうしたら 良いかわからず 空元気

我沈む 妻も沈みて 時も沈まん

立て起きろ 病は気から 元気出せ

肺炎が 怖いぞ無理に 歯を磨け

点滴を 首の静脈 3種入れ

病の身 秋の夜長 辛かりき

子供らに 祝されし 40周年

会いたいな 顔が浮かびつ あの人に

念じては きっと元気に なれるんだ

病室の かざるひまわり目を止めん

妻祈る 孔雀明王 我の事

夢を追う 病退き 癌有りて

我のみと 哀れを請いて 話をすれば 近きにありて 驚きにけり

春を待つ 我古傷に 痛みけり

11.26のブログより

突然、時間が止まった。 胆管癌の病名告知
多少の予想は覚悟していたが
現実を目の前にして「なぜだ。なぜなんだ」
健診を受けていたのに
この逃げようのない現実的に
息子は言う
「こんなこと ごく当たり前のことなんだよ」
平然と言う。
「そんな・・・・・・・」

まだ行きたいところがある。
地球上でも、類まれなる存在
ウユニ塩湖がそれである。

長い、長い歴史の中で、気の遠くなるような何万年の時が造り上げた
アンデスの童話の世界だ。

でも、でも、いまは、籠の鳥
人生が止まってしまった。
強引に動かすしかない
楽しい夢の世界に
頑張ろう。明日に向かって。

そして、これから

2018.04.03 (火)

外来の大きな空間は、ひっそりと静まり返っていた。

名前を呼ばれ、診療室に入った。
息子も来てくれた。
手術時の病理細胞の写真を見せられ
顕微鏡で見た所見を聞いた。

胆管癌は症例が少なく、世界的にみて術後のケア的医療が
確立されてないという。
つまり、これからの診療が試行錯誤の中で行われるのです。

抗がん剤の治療のメリット・デメリットを説明された。
「発病」の確率が70%とのこと。
これは、今後5年間で70%の確率で
現世とのお別れを意味する。

坂本先生に言った。
また、手術するなら死んでもいいと光子にも
言ってあります。と口走った。

抗がん剤の投与で適合する確率は30%とのこと。
つまり、70%*30%=20% 20%+30%で抗がん剤を投与すると
50%の確率で生存率が上がるとのこと。

私は家に帰って相談します。と口を切った。
すると、息子が先生のお考えはと切り出し、
先生は「抗がん剤の投与をお勧めします」と
息子は「お父さん投与を受けて、いやだったら辞めればいいじゃないか」

それじゃと言うことで抗がん剤の投与をお願いしたのです。
最初だけ、外来でなく検査を兼ねて入院ということに決まった・
12/1~12/3の2日間ということになった。

抗がん剤投与でデメリットは「吐き気・頭痛・下痢・めまい・何となく気持ちが悪い」こんな症状になることがあるらしい。

人によって1週間の内3日ぐらい続くらしい。
腹の痛みにさらに付け加わるということは
耐えられるだろうか。不安だ。

漆黒の 闇におののき 我が心
  光求めん 妻(きみ)と共に   

旅は人生を豊かにする。

2018.04.02 (月)

 旅って何だろう。元々の意味は官費旅行だったのです。旅の字は旗を立て人間が2人いることなのです。つまり、軍旗を立てて大勢の人が移動することなのです。大勢の人とは、1旅団、つまり500人の軍隊が移動することが語源なのです。
 もちろん、戦争の話をしようとしているのではなく、長旅に出ると人はノスタルジアに掛かり人恋しくなるのです。それでなくても日本人に合うだけでうれしくなるのです。また、旅することは異邦人であれ、彼らのほうから声をかけてくるのです。開放的なトイレ(ドアの無いトイレ)で外国人が気さくに話しかけられ妻は、英語がわからず困って、家に帰って、英語ができれば楽しかったでしょうと言っておりました。
 色々の人と会い会話を交わし、初めて見る景観、素晴らしい街並み、長い歴史の中で培われた、時を止めたままの街並みが突然息を吹き返し当時と違う歴史を語りかけてくるのです また、アンデルセンの世界やシンデレラ姫の世界に入り込むことも出できるのです。
 シルクロードに行ったときは、真っ赤なトウガラシを乾燥させる大地に驚き、何億年前のユーラシア大陸は海底だったことをまざまざと見せつける真っ白な川が何キロにわたっても広がり、人の住むこともできない大地が広がっているのです。日本人には想像もできない巨大な空間があるのです。トウモロコシを干す黄色い大地、こんな異空間が存在するのです。
 砂漠の中に、置き忘れたようなトロール船が何隻もある光景を想像できます
か。カザフスタンとウズベキスタンの国境近くのアラル海です。ここ20年の間、綿花栽培の用水や灌漑用水に地下水をくみ上げアラル海は干上がり、漁師たち国民は20世紀最大の環境破壊に見舞われたのです。観光・生活用水・農業が打撃を受け、不毛の地になってしまったのです。
 シルクロードを西安からローマの行程でゴビ砂漠に沈む太陽に向かって走行すると何千年もの間、変わらない放牧の牛・羊・ラクダを引き連れて帰る光景に感動するのです。
 薄明りの中、上弦の月が冷たい光を赤茶色の山々に影を落し「月の砂漠」を誰かが突然歌い出し皆で合唱したのです。
日本では考えられない光景が、次々と銀幕でなく現実に浮かび上がるのです。
 楼蘭美女をご存知の方は多いと思います。楼蘭美女そして生命の根源は水のです。砂漠で水を流す地下のカレーズを見た時は、感動し心に震えを感じるほどで程でした。我々一行が、博物館内の楼蘭美女の撮影が許可され、ローラン美女はロシア系白人の美女です。年齢は推定45歳前後だそうです。
酷暑の乾燥地帯で暮らす、命を懸けた難工事中だったのです。カレーズを掘った人はその土地で神様同様に崇められたのです。そのカレーズのある土地は、地上49.6度になる程で、死体を穴の中に葬るだけでミイラになってしまうのです。この時の地表の温度は83.3度に達したといわれております。
 孫悟空の世界に出てくる「火炎山」があるところです。「金角・銀角」の妖怪と三蔵法師が戦うところです。カレーズとは、地下の水路で数十キロの離れた山の麓に冬に降った雪水や降水を砂漠で蒸発しないように、地下のトンネル内を流しオアシス都市まで運ぶのです。
 その縦坑から換気口に自分の顔を投影し、撮影する時、この工事は、落盤や長時間・太陽の光に当たらないため地上に出た時、紫外線や蝋燭の炎で目がつぶれてしまうこともあるのです。
 ラクダもこの辺りで、2こぶラクダから1こぶラクダに変化していくのです。これを境に酷暑から寒冷地に季節がうつろい「駱駝の毛の深さ」も違うのです。
 この火炎山も、人の住む場所でないと思われるかもしれませんが、低地の川が流れる中腹は、ベゼリクチの千仏洞が岩肌に多数掘られ敦煌と同じく仏教文化が華を開花したのです。
 この地域は、果物、特に干ブドウやイチジクの産地です。私が子供のころ「どどめ」といい蚕が食べる桑が樹齢1000年を超す大木になり「睡眠を促す桑の実」着け、お土産として農家の嫁さんが戸板の上に無造作に置き売られているのです。
 現在この地方は、中国の油田開発が行われております。このトルファンは「共命鳥」言われております。地上と地下の原始宗教的な世界観なのです。宗教も、仏教、ヒンズー教、イスラム教、ゾロアスター教、キリスト教と旅程の中で変化していくのがはっきりと理解できるのです。
 旅は人の心を豊かにします。旅に出て心を豊かにすることが、人生において有益ことを実感してください。皆さん、旅に出て人生に無駄など存在しないことを考えて見てください。
驚いたことにこの酷暑に奥さんに頼み分骨、埋葬された日本人が居るのです。我々の日本からの全行程責任者オトキチ二村添乗員が 日本人奇人変人出会い自分流の素晴らしい人生を送り、本当の意味も人生観を教えられたのです。

世界への旅は、金持ちの第1歩

2018.04.02 (月)

 今「リア充」が人をねたみ事件が起きております。そんなことより、勇気と決断で人は富を得ることができるのです。「ナポレオン・ヒルの巨富を得る13の条件」この13の条件を実行できれば富は必ず自分の手元によって来るのです。昔から「お金は寂しがりや」と言われるゆえんです。
 アパホテルの「私は社長です」の元谷芙美子さんは高校卒業後福井県の信用金庫に勤務して、組合活動を通じて結婚し、今では日本の第4位のお金持ちです。彼女曰く、運とは軍隊が運んでくるのです。「力づくでも掴み取らなったければ逃げてしまう」ものだといっておりました。彼女と懇談する機会があって、お金持ちになる方法を聞かせいただきました。
 私は、旅が大好きです。カメラが好きです。好きこそもの上手なれ。小学校卒の母から教えられた言葉です。自分のやっていることを、天職だと思い、一所懸命頑張る。コツコツとお金をため、あるまとまった金で旅をする。ここがまず、私にとって金持ちへの第一歩と考えているのです。
 旅は道連れ、世は情け。旅をしている間にいろいろな人と出会いがあります。アンコールワットに行ったときに、日展作家のT氏は天皇陛下と美智子妃よりお褒めの言葉をいただきデナー時に隣席を賜り今でも賀状のお付き合いがあり電話を掛けたばかりです。

 ケニアに行った時、東京都知事の小池百合子氏が環境大臣の諮問機関を務めるT氏、チベットに行ったときの筑波大のI氏、自称キャプテンクック氏、郵政省幹部のK氏、南極に行ったとき第33次越冬隊長のF氏、エベレストに行ったときは写真家H氏、カトマンズの空港でお会いしたいI氏、遭難をして九死に一命を取り留めた著名な登山家と話す機会がありました。
 しかし、海外旅行という特別な時間の中で親しく会話が弾むのです。著名人は、会話の中で自分の人生に示唆してくれるものが存在し、それをくみ取る最高の時間なのです。著名人も気さくで、親しみやすく包容力があるのです。このことを、自分なりにかみ砕きビジネスにヒントを得るのです。
 また、今はネット社会です。ネットの上で大いに活用して、世の中から対価を得ればよいのです。自分の仕事の話だけでは、ブログの話題に困る時があるのです。旅のブログは、大勢の人に共感得られるのです。旅も秘境へ行けば行くほど旅の話しが面白くなり、出会いも小人数の事が多いのです。 その対価が大きければ大きいほどお金持ちへの道が速くなるのです。また、フランチャイジーの北京、上海の旅でユニバーサル・ホームのK氏、オートバックスのK氏、いすゞのH氏、T氏、CITYVOKのK氏、ダスキン&ミスタードーナツのK氏、キリンビバレッジのK氏、ミニストップのK氏、日本フランチャイズ協会のU氏、ジェトロのS氏、最も印象的だったのが北京イトーヨーカ堂の麦倉氏でした。麦倉氏の話の大きさに同行の皆さんも度肝抜かれた様子でした。また、北京の経済産業省事務方の人にもお会いし名刺を交わしたのです。
 海外旅行でなければお会いすることもできない人たちばかりです。
ゴビ砂漠に行ったとき、人のいない所ではビジネスは存在しないことを気づかされたり、砂漠の高速道路では「水あります」もちろんその国の言語で書かれております。車のヒーターが過熱して、その冷却水を売っているのです。飲料水ではないのです。
 人のいない所ではビジネスは不可能なのです。金持ちになりたかったら、その道で鍛え上げた方たちとお会いできるのが旅なのです。
色々な人と会い、会話をして名刺をかわし、自分でかみ砕いて「新規事業」を立ち上げるのです。それが不可能であれば、自分から知恵をだし道を選べばよいのです。
 平成29年8月17日の日経新聞に掲載されていたのですが、がん患者は、収入が30%以上減る記事がありました。私は、癌が何だ。まず、出発点から考えを変えたのです。68歳の時に埼玉がんセンターで胆管癌の手術をし生き返ったのです。助けられたこの命、生ある限り頑張ろと思い、3ケ月程で屋根工事の重労働に復帰し、太陽の恵みを受けて健康体になったのです。
 まず、好きなこと始めましょう。頑張れるのです。ネットで調べれば方法論は出てきます。しかし、フランチャイズに入ることはお勧めできません。儲かるのが本部だけです。
 お父さんよりお小遣いの前払いとして100万円をもらった金で勉強して、4000億円を動かした村上氏、ファンドで事件を起こしましたが、不死鳥のようによみがえったのです。金額ではなく、己の中に存在する臆病風を吹き飛ばすことから、金持ちへの執着を持ち続けることです。
 金持ちへの第一歩を踏み出してください。「願うは叶う」です。必ずです。まず、気分転換に旅へ出てください。私は11月に手術して、孫たちと翌年のゴールデンウークに立山のゴールデンルート、雪の大谷に連れ出したのです。N氏は星空を撮影したら後塵を許さない旅の友です。そのご夫婦がホテルにまで来て歓迎してくれ、談笑のひと時を息子夫婦と孫たちと過ごしました。旅に出たら、自分から異国人であろうが、日本人であろうと自分で相手の懐に飛び込み交流してください。耳から知識を得るのです。

 教訓:旅に出たら臆せず誰にでも話しかけよ。会話は武器です。知識に勝るものなし。旅人は師です。   

第2次世界大戦で解読された日本の暗号とアメリカの暗号

2017.12.12 (火)

日本も戦争終結から70年が経過し、戦争の痕もなくなり経済も豊かなりました。太平洋戦争も日本は緒戦のみ華々しい戦果を挙げたのですが、実は米国は開戦前に真珠湾攻撃を知っていて、ルーズベルト大統領は不意打ちを装ったのです。
 当時の日本の経済は破綻寸前だったのです。石油が枯渇し、当時は石油採掘やトラッキングする技術がなかったのです。また、陸軍と国民は米国の物量と経済の豊かさを知らなかったのです。そのため、インドネシアの原油と満蒙の豊かな開拓地が欲しかったのです。
しかし、フイリッピンを植民地支配するアメリカが、海上封鎖をし、インドネシアの原油を採掘できず、日本は世界恐慌後の経済の立てができず、米国の和解案の最後通告の「ハルノート」は日本人として、受け入れらない条件でした。松岡洋介大使も国際連盟を脱退する意見に傾いたのです。
 もちろん、天皇も東條英機首相も戦争回避を模索したのですが、チャーチルとルーズベルトの密約に米国も舵を切った事実を知らなかったのです。そして、日本の連合艦隊は、陽動作戦と穏密行動で真珠湾攻撃を決意したのです。ヒトカップに集結し、北南へと別れ、その後は一切打伝せず、緒戦での攻撃は大成功に終わったのです。
 私たちがラスベガスからモニュメントバレーに行ったときに、インデアンの村の記念館に立ち寄ったのです。アメリカの暗号がインデアンのナホバ族の言語を乱数表にし、文字は英語を使用していることとは思いもしなかったのです。
 日本では今でも知られていないことです。日本軍の暗号は開戦7日前に解読されていたのです。ヒトカップ湾を出港した連合艦隊、および南仏印(ベトナム、カンボジヤ)の陸軍にも連絡取れず、解読されたまま大東亜戦争に突入したのです。これでは、経済的格差だけでなく負けるべきして負けた戦争だったのです。
 これも、アメリカのルート66に行って解ったのです。個人旅行だったから知りえた事実です。通常のツアー旅行では行くことのない小さな記念館に立ち寄ったからです。もし、日本軍もアイヌ語を乱数表にしてら、でも、日本は敗戦によって、平和憲法でき、貿易の振興と湾岸地帯に経済の拠点、工業地帯を設けることが今日の発展につながったのです。

マサイ族の知られざる日本人

2017.12.05 (火)

 マサイ族はケニア・タンザニアに20~30万人が住んでおります。もともとは、タンザニアに住んでいた先住民族をことを言うのです。
 私たちが、2010年8月にアフリカ専門のツアー会社[道祖神」でケニアに行った時です。ジープで国道らしき道路をマサイ・マラの国立公園に向けて飛ばし、原っぱに座って雑談している女性たちにカメラを向けて撮影したのです。そうすると怒ったように、手を横に振ってお金をせびる振りをしたのです。撮影代をよこせと言っているのでしょう。車は疾走し、どうにもならないとあきらめた様子でした。
 ホテルにつきました。コーテージにプールまであるのに驚きました。お洒落なホテルです。花壇にはサボテンの花が大小植木の様に一面に植えられ、花をつけて日本の豪華なホテルを想像させるのです。
各コーテージには風呂まであるのです。
 夕方6時ごろサファリの時間になったので香港で合流した5人が迎えのジープに便乗し出発です。ジープの中で宇都宮市の田村さんの話を聞くうちに、この人は何だと思ったのです。国会議員や都の職員人々を、彼らは馬鹿者揃いとか曲者と「けなす」のです。
 自分は天才と自慢するのです。それも我々は初対面同志なのです。恐る恐る田村さんに探りを入れたところ、小池百合子さんが環境大臣時代に諮問機関の1人だったそうです。
 栃木県で8社を経営している社長さんで、日本カメラ協会の副校長も歴任していることが解り納得したのです。
 そんな話をしているうちに、シマウマ、ダチョウ、オリックス、インパラが目の前に姿を現し妻と二人で驚きの連続でした。ジープは屋根が開閉式でカメラの撮影に恰好です。ケニアは国全体が2000mくらいの高地にあって、8月というのに風を切ると寒いのです。乾燥していて、気候は快適そのものです。
 チーターが現れたのです。運転手があそこあそこと指をさすのですが妻が双眼鏡を覗いても見えません。木の上に2頭いて、周囲を見渡しているのです。驚くことにマサイ族は裸眼で4.0の視力だそうです。これには驚きました。やっと見つかりましたが、400mmの望遠レンズで撮影できる距離です。田村さんはコネクターをつけて撮影です。
 撮影ができジープが移動しました。象の群れが通り過ぎようとした時です。ヌーの群れの1頭が突然走り出したのです。時間が止まり、あたりの空気が一変したのです。周りのインパラ、ダチョウ、オリックスなども金縛りにあったように、呼吸を止め一瞬周り全体に静寂の時間が過ぎたのです。
 ヌーは安全な場所に行って止まり、チーターは、ブッシュに肩を落とし元の時間に戻ったのです。象の群れは、何もなかったように小象を囲み元の隊列のまゝ森に消えていったのです。日が暮れ、今日のサファリを終え興奮冷めやらぬまゝホテルに帰りました。
 ロビーにアフリカの画集が何冊かおかれており、パラパラと除きました。そこにはマサイ族の戦士と結婚した永松真紀さんの写真集がありびっくりしました。彼氏はマサイ戦士でジャクソンというのです。真紀さんは、一目惚れしたそうです。
 マサイ族は、ほとんどの人が誕生日を知らないそうです。時間の感覚がなく、子供、戦士、大人、長老そんなくらいの時間感覚なのです。彼らは、牛、ヤギの所有頭数で貧困が決まり、また、どれだけ高く飛べるか、戦士になってライオンの脳天割をどれだけしたかで男の価値が決まるそうです。
 マサイ女性のファッション感覚は、素晴らしくびっくりするぐらいです。また、子供たちは目が済んでいて無邪気です。驚くことに英語が日常会話なのです。西欧の帝国主義の影響受けたのでしょう。
 マサイ族も、豊かな生活を求めて英語と営業力で青年がホテルにて営業をし、多くのマサイ部落から自分の村に観光してもらいたく促すのです。入村料や撮影代、むしろに広げたお土産を女性たちが売っているのです。しかも、ホテルで契約が決まると携帯電話で村の長老とやり取りするのです。
 村では、太陽光発電で携帯電話を充電するそうです。豊かな村は1件に1枚のソーラーがあるのです。貧しい村は、歩いて1時間程かけて充電所に行って充電するのです。
 各家庭に電気はなく、土と牛糞を練り固めた1戸建てに10畳くらいの広さの住まいで5~7人ぐらいが一緒に住んでいるのです。
 また、ホテルに勤務するマサイ族の「アケミさん」と日本女性の名前に似た女の子が私たちに食事を運んで来たのです。彼女に日本語で話しかけ、すぐに日本語を覚え翌朝に日本語で語りかけてきたのです。凄いと驚き日本のTVで見たのですが、この名前の由来は明治・大正の文豪川端康成氏が小説に西洋の名前を日本人流に使用したのが始まりとか聞いたことあり、その時も驚くやら納得するやでした。旅をして分かったことです。旅は知識の泉です。

教訓:文豪川端康成の小説の女性は欧州人の名前でクルミを表現しているのです。多い地方はアルバニア地方です。

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