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黄金街道と森進一の襟裳岬

2020.07.02 (木)

 森進一の歌謡曲で有名な襟裳岬は、落石、地滑りで迂回しなければ通行できなかった難所です。昭和になって財政も潤い昭和2年から9年の7年の歳月をかけ建設されたのです。
 黄金道路の地名は道路に黄金を敷き詰めたかごとく莫大な費用が掛かったのです。
 トンネル間の景観は、素晴らしく紺碧の太平洋と砕ける波涛、溶岩の黒、海岸の茶色の長い昆布畑の美しい景観です。
 襟裳岬を過ぎ日高の景観は、異次元のすそ野を広げた牧場に競走馬やホルスタインがのんびりと牧草を食んでおります。のどかな勇払平野原野です。

 今は、話の中の過去の思い出ですが、50数年前にはアイヌの人達が二風谷・ピラトりに村落を作っていたのです。今はアイヌ文化博物館があって観光地です。
 アイヌ人は裸族だった先史時代の人々の遺伝子を受け継ぎ、夏冬体毛が抜け替わるそうです。クマの木彫りを彫りながら木村さんの和名持つアイヌ人が語ってくれました。。
 今では、アイヌ人も日本人と同化し判別つきません。志賀直哉の破壊は父親が部落民の身分を隠せと強く戒め、教壇に立つ身としてあえて告白して、生徒の前で身分を明かすのです。今は、人口移動で本人自身まで出自が不明になり、日本人としてひとくくりになったのです。良いことです。
 私も70歳を過ぎ、過去を大きな袋に入れてかき消して、古典文学として存在し、歴史の一小間としてロウソクの光りのように消えてなくなり、学者のみがこの世界に入って研究するです。

 北海道の原野は、屯田兵によって切り開らかれ、流氷、雪まつり、創業者「竹鶴政孝」の夢・ニッカウヰスキー、トラピスト修道院、鶴の群舞の、摩周湖に樹氷、函館の夜景、層雲峡の氷柱、私達にとっては雪国のロマンの場所です。
 しかし、札幌雪祭りの屋台でインバウンドによってもたらされた新型コロナが札幌、スキーのメッカ・ニセコも火が消えてしまったのです。
 黄金海岸もバスどころか人も消えたのです。TVのニュース知ったのです。

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