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戊辰戦争の端緒の火ぶたが切られた高声寺

2014.05.14 (水)

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小さな旅のシリーズで久喜市の近郊近在の素敵な所を
探して書いてみました。

久喜市鷲宮は、鷲宮神社を歴史の中で書きました。
久喜市栗橋は静御前・関東3大関所を絡めて描きました。
久喜市はできれば提灯祭りを描いてみようと思います。
菖蒲町はラベンダー・菖蒲城址・なしの名産地を話題に
するつもりです。

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ご連絡お待ちしております。

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この高声寺の本堂は当社((株)オオギヤ)が屋根工事を手掛け、
躯体・仏具等の工事及び据え付けは、
浅草の翠雲堂が施工したものです。

もともとは、20年来の庫裏・旧本堂の補修工事を
依頼されたのが始まりです。

今年、光子が高声寺のしだれ桜見たいというので
桜見物にお邪魔したところ、
住職さんが、出迎え、色々本堂の内陣・客殿の案内を
してくださいまして、開山堂もご覧なりますかと
言われましたので、お見せしていただきました。

光子は、分骨して、高声寺に永眠したいと言っております。
四季折々の花に包まれ、樹齢280年のしだれ桜を
めでたいと申しております。

この高声寺のある坂東市(旧岩井市)付近は、
大河ドラマの舞台になった平将門が菅生沼を船で府中に通う
光景や将門終焉の地・体のみが葬られているからだ山が訛った
神田山(かでやま)・国王神社・薬師様などの史跡があります。

また、関宿藩の幕臣たちの居住地の関係で、
官軍と戦った岩井戦争の話など景観と史跡にとんだところです。

また、辺田には江戸小彼岸桜の名所・歓喜寺などもあります。

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ファイル 1226-1.jpg
戊辰戦争の端緒を切った岩井戦争で亡くなった
長門の国の先鋒隊「田中利一」の墓標(高声寺境内の門外)

話は余談ですが、官軍の兵士たちは「勝てば官軍」で
戦死者は手厚く葬られたのですが、
上野の山の「彰義隊」あるいは会津藩の「白虎隊」
会津城下の藩士の骸は見せしめのために放置されたのです。

清水の戦いでも、幕軍の骸は放置され、清水の次郎長が
仏には罪はないと言って、官軍のはばからず、
埋葬したのです。

ファイル 1226-2.jpg
常総市三妻の向かうバイパスから左に入った藤田にある
山門から四脚門・本堂を覗き見ることができるように
建てられています。

緩い勾配は街道に向かった下がっており、
素晴らしい景観を作り出しております。
浄土宗藤田派の総本山を幕府より拝命し
江戸時代、270の末寺の本山の風格があります。

ファイル 1226-3.jpg
白石を敷き詰めた枯山水の見事な庭園もあります。
庭園側から真新しい山門・四足門・本堂を望み見ました。

                           
ファイル 1226-4.jpg
開山堂内部。
赤漆・金の装飾の厨子の中に
開山の唱阿性真の位牌が治められております。
たまたま、唱阿性真がこの地を通ったとき
眠くなり、うとうとしたところ、この地で貞盛と藤原秀郷に
敗れた将門の亡霊が夢に立ち、
じぶんは謀反の罪もないのに
新皇の夢ありとざん訴するものがおり
京都の藤原政権に罪人にされてしまったのです。
と嘆く将門の霊を見て、その将門の霊を慰めるため
この藤田の地に寺院を開基したのが始まりなのです。

ところが、夜になると毎夜「エイエイ、オウ・エイエイ,オウ」
と声高に掛け声が聞こえてきたので、
高声寺となずけたものなのです。

ファイル 1226-5.jpg
開基堂を示す額

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