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フセイン可哀想

2019.06.20 (木)

伊豆七島の新島、式根島にゴールデンウイークに竹芝桟橋より妻と二人の船旅です。東京 タワー、レインボーブリッジの夜景望むPm10.30頃の出港しました。
今回は久し振りの大島航路です。銅鑼が鳴り東京湾を滑るようにメリケンハ波止場にむかい一時間位でメリケン波止場に接岸しました。二人ですので奮発して特1の船室のチケット購入したのです。ベットにシャワー室、専用デッキの豪華版です。光子は御満悦でした。飲ないビールで乾杯して見慣れた夜のメリケン波止場でしたが静かな時と海風を頬に感じておりました。
私は神奈川大学に行ったもので試験が終わるとよく大島にいったものです。
朝の4.00頃大島に着き、釣り人達が下船し船宿の車で三々五々に散っていきました。そして、1時間チョットで新島に着き、小舟に乗り換えて式根島で下船です。
 車で民宿迎い、荷物を紐解き地鉈温泉に歩いていき、 時間が悪く引き潮で地鉈温泉も海水がなく無惨な姿を露出してました。前回の時は満潮で大海原と一体になって悦に温泉に入ったのです。
なぜ、地鉈温泉の名称が有るかは断崖の地面を鉈で割った狭隘な階段を海におりるのです。今回は仕方なく町営の無料温泉に入ったのです。夕食は民宿「あしたば料理」とクサヤ(トビウオ)と海の幸です。
翌日はレンタサイクルで島の観光です。式根島には和蘭植物園、鯨のモニュメント等を見学し、小高い大平洋を望む丘に行ったときです。
大学生がレンタサイクルで来ており、チョット太った大学生が「フセイン 可愛そう」と大声で海に向かって叫んでおりました。米国大統領ブッシュ・Jの有志連合軍(英国、ポーランド、日本等)が参加しておりました。査察の結果、核増殖炉見つかりませんでした。
米国は「人道支援」に名目を変え、フセインを拘束し、イラク政府引き渡し、死刑確定後2006.12.30日絞首刑が執行され、彼は「アラー、アクバル」(神は偉大なり)といって目隠しをはずす事を望みました。
何か、極東軍事裁判を思い出しました。今回の件はロシアを始め反対の世論も多数騒がれました。
一説には劣性のブッシュ大統領の選挙対策の口実だった論評が出たのです。政治の世界の裏側見る思いです

今度は撤退するとベトナム戦争の二の舞です。名目を切換「人道支援」で湾岸諸国の米軍基地から空爆です。女性軍人がNavでピンポイントの爆撃していたのです。もちろん誤爆もありました。負傷したイラク軍の敵対兵は空しさを感じたそうです。米国有志連合軍は地上部隊を派遣しなかったのです。
ベトナム戦争と違い米国内の厭戦のムードは出ず、フセインは拘束され処刑されたのです。

 

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