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姫路城は大東亜戦争で『なぜ』残ったのだろう。『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』太陽光発電(ソーラー)もやってるよ。

2010.10.16 (土)

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姫路城は大東亜戦争で「なぜ」残ったのだろう。『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』太陽光発電(ソーラー)もやってるよ。

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天下の名城。美しさにおいて姫路城をしのぐものはないでしょう。
姫路城は国宝であり、世界遺産でもあります。
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同じく「尾張名古屋は城で持つ。」と歌われておりましたが、米軍のB-29の爆撃と焼夷弾によって灰塵と帰してしまいました。

姫路は陸軍の部隊もあり、当然の事ですが攻撃目標になったと思います。

それが、なぜ、残ったのか。
姫路に住む人々の熱い思いが実った結果だったと思っています。
天領、飛騨の高山に行ったときです。
高山の人々は、火事が起こった時、それも自宅が焼けようとも、
高山の山車を守る為に駈けつけ、守ったから今でも町を練り歩く山車が12台もあるのです。
そんな話を聞きました。

私が復元修理をした春日部の東屋田村本店の蔵も焼夷弾で白壁だとB-29の攻撃目標になるという事で、黒く目立たないようにした話をお伺い致しました。

それと同様に大東亜戦争当時、姫路城も黒い網をかぶせ、爆撃の攻撃目標から守ったそうです。

更に幸運にも、投下された爆弾がさく裂せず、2箇所も不発弾っだたそうです。

他の爆弾も、ボヤ程度で済み、住民の皆さんの消火活動によって
大火にならなかったそうです。

また、明治の西南戦争でも、薩摩の下級武士団と明治政府が激突することなく、事なきを得たそうです。

本当に運の強いお城ですね。
また、それだけでなく、明治政府の武士階級のシンボルとして存在したお城も北から解体されて、関東地方で終結したのでよかったのですね。

話は変わりますが、姫路城に家康の孫娘「千姫」も一時起居しており、「千姫の部屋」として保存されております。

また、私たち屋根屋は常に目が屋根に行き、瓦の瓦当に色々なもんはあったので、歴代城主が、修復拡張していることも、
瓦当から解り、自分の心の中でほほ笑んだ記憶があります。

また、城下の「明珍」も、歴代の城主の甲冑作りや刀鍛冶をなりわいにしておりましたが、明治政府の廃刀令によって、甲冑・刀から身を引かざるを得ず、その昔、千利休の依頼を受けて、火箸を作ったご先祖の記憶をたどり、火箸作りになったそうです。
それも昭和50年代に入ると、暖房器具の発達により、火箸の生産も雲行きが怪しくなり、転業した話を購入した「火箸風鈴」の説明書きを見て、老舗の生き方に感心した記憶がよみがえっております。

また、新聞で阪神震災の時だったと思いますが、姫路城の大黒柱は一面が、1000mmにも及ぶものですが、もし、姫路を震源とする震災が起こっていたら姫路城はつぶれたでしょう、という記事を読んのです。

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日本一の名城『白鷺城』

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美しいデザインの鉄砲狭間

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1000mmにも及ぶ西大柱

                           
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この3人の子供たちも今は子育て真っ最中の父親です。

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瓦当に平家の紋どころ『揚げは蝶』や秀吉の家紋 「五三の桐 』文様

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