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先祖上杉氏の遺跡を訪ねて

2012.05.06 (日)

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3年くらい前に「なんでも鑑定団」に出演したときに
遡ります。
三折人形の出自はわからなかったのですが、
光子の先祖が詳しく分かったのです。

今から650年位前、深谷氏の庁鼻和(こばなわ)城を築いた
上杉憲英(のりふさ)の末裔の姫だったのです。

それをたどっていくと、大化の改新の歴史的人物、藤原鎌足まで
系図がたどれるんです。

そしてその上を辿ると、大伴氏になります。
そしてその先祖が「天忍日命」まで遡れるのです。

大伴氏は雄略天皇のとき、蘇我氏とともに大連を
賜った。
大連とは武人の最高の執政官で、大伴・蘇我・物部などが
有名である。

光子の遥か彼方の祖先は
高千穂の峰に降り立った
迩迩芸命(ににぎのみこと)の家来でした。(?)

でも、光子の祖先を調べて
自分ながら驚いております。

80歳までに光子の系図を
調べ、子供たちに残していくことが
我が使命だと思っています。

たとえ、多少の眉唾あっても。
現在、熊谷の江南千代に
嫡流、上杉正さんが
上杉氏憲の墓を管理し
上杉正家の菩提寺になっています。

行ってみて感心したのは
庁鼻和(こばなわ)城の
北西隅外廓土塁の地が
個人所有になっていましたが
日の丸の国旗が揚がっていたことに
驚きと光子が守っている
旗日の国旗掲揚でした。

前日まで、気分がすぐれない
光子を連れ出しはしたものの
負い目を感じておりましたが
帰宅して「行ってよかった」の
光子の言葉を聞いて
安心しました。

ファイル 857-1.jpg
現在民有地になっている
庁鼻和城址北西隅外郭土塁の史跡
日の丸が掲揚してあったのには
驚きました。

ファイル 857-2.jpg
庁鼻和館跡を示す案内板

ファイル 857-3.jpg
上杉憲英の居城跡。
現在国斉寺 三門と光子

ファイル 857-4.jpg
威容を誇る三門
紅葉と新緑が美しかった
ファイル 857-5.jpg
深谷上杉氏の顕彰碑と黒門
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