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鷹がり行列:応募者がじゃんけんして役どころを決めたんですって。

2013.12.11 (水)

岩槻城は太田道灌様の築城に始まります。
太田道灌は川越城・岩槻城・江戸城の城主で鷹狩を好んだのです。

道灌が鷹狩の最中、雨に降られ、立ち寄った農家が
文京区と豊島区の隣接しているところに
今でもヤマブキの里として残っております。

築城は江戸城は太田道灌・岩槻城は太田資清・川越城は道灌父子です。
戦国時代、小田原城の北条氏;関宿城・忍城の足利氏・岩槻城・江戸城・川越城太田道灌が睨み合っていた。
古河城の関東管領:扇谷上杉氏:そして、
山内上杉と絡み合っていた。

また、深谷には妻光子の祖父の実家:深谷上杉氏がいたのです。
そして、北条氏が秀吉に敗れ、桃山時代に安定するのです。

大阪城落城によって、家康の天下になって、戦乱が収まったのです。

周りを荒川に囲まれ、今でも城址公園が残っております。
岩槻の蔵つくり、荒川の桜土手、のんびりと散策することは
心が洗われる思いがいたします。

引用です。お許しを。
服装
鷹狩りをする時の定番ファッション「狩装束」。桔梗紋が入った着物に、左半身には射籠手(いごて)を装着。

帽子
馬に乗って弓を射るため、激しく動いても落ちない綾藺笠(あやいがさ)をかぶる。

右手
山吹の小枝

左手

小物
矢を入れる空穂(うつぼ)

鷹狩りをテーマに、全体をコーディネートしている太田道灌さんですが、一つ気になるのが右手の山吹。
なぜ山吹を手にしているのでしょうか?それは太田道灌と山吹のある言い伝えがあるからです。

太田道灌と山吹の言い伝え

江戸時代に記された書物によれば、鷹狩りをしていた道灌は、雨が降ってきたので農家で蓑を借りようとしました。ところが、農家の娘は蓑ではなく山吹の花を黙って差し出したので、「花がほしかったのではない」と道灌は怒って帰ってしまったそうです。
この話を聞いた人からは、「娘は、『七重八重 花は咲けども山吹の みの(蓑)ひとつだに なきぞ悲しき』という古い和歌に『お貸しできる蓑はございません』ということを託したのでは」と言われ、道灌はたいへん驚いたそうです。
それを機に道灌は歌に関心を持つようになり、後に歌人として名を成したと伝えられています。

OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO

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余はじゃんけんで勝ち進み、徳川家康んなったのじゃ。
今まで、馬にも乗ったことがなかったが、乗馬クラブ部通って
お金を使ったのじゃ。

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近習衆。ほんとに腕がたつやろか。心配じゃ。
沿道で見ていつ方、曲者が出たら助けてください。

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長刀を持った腰元衆。曲者の足をかつ切ってくれよな。

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槍衆は少しは頼りになりそうですね。

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わしは家康殿に能をお見せするために京からやってきたのじゃ。
長旅じゃったよ。

埼玉の屋根屋のおっさん『ルーフ』

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久喜市・鷲宮で140年を歴史を刻んできました。
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