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赤穂浪士のお墓と歌舞伎座

2014.05.22 (木)

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連絡は0120-58-9901 または0480-58-0301
『久喜の昔は瓦屋さん。今や屋根屋さん。屋根材ならなんでもどうぞ』
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ご連絡お待ちしております。
 日本には昔から甍の波ありました。
最近は、街並みを保存して町おこしをしています。
街並みの中でも、京都の円山公園から、清水寺の二年坂
産寧坂のあたりは、甍(瓦)の街並みが美しく、東京では
浅草・浅草寺の仲見世の霧除け屋根が粋な通りを演出しております。お暇なときに「スカイツリー」を見ながらそぞろ歩きもよいですよ。
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 元禄時代は、幕藩体制の中でも、平和で、まだ幕府の財政も、中央集権国家的な強力な幕府を確立していたのです。
 また、財政的に、非常に安定し、それを継承した時代でした。
当時の武家諸法度では、喧嘩両成敗でしたが播州赤穂の家豊臣の5大老で浅野長矩は24歳の短気な若者で病的なくらい癇癪もちで当り散らした暴君であったが、それでは芝居にならず、家臣団が名君としてお慕い申していたことになったのです。

 平和なこの時代に、仇討ちは禁止されていたのです。仇討ちを成功させたことは、武士の鑑ともてはやされ、吉良邸がある浅草から、品川の泉岳寺まで、堂々のデモンストレーションを敢行したのです。
 当時の武士・江戸市民が喝采を送ったのです。それが近松門左衛門によって、戯曲され、浄瑠璃の
題材になったのです。
 基盤太平記から仮名手本忠臣蔵になったのです。
討ち入りは、元禄15年12月14日ですが、今のカレンダーでは
西暦1703年12月30日なのです。
 松の廊下の不祥事・討ち入りの家臣団の心境。吉良上野介の勅使の饗応役の謎、今になっては、すべてが推測の域を出ないのです。
 文献・記録がないのです。不思議なことですね。解らないから面白いのです。芝居も面白くなるのです。事実がわかっていたら歴史になってしまうのです。
 お化けだって正体がわからないから怖いのです。実際松の廊下は暗くて吉良上野介の顔が判別できなっかたそうです。

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赤穂義士の墓に線香を手向け、大願成就を成し遂げた
義士に安らかに永眠を願う光子。

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宝井其角と親交があった大高源吾のお墓
俳人でもあった、大高源吾が果たした役割が討ち入り
成功に大きく寄与したのです。

ファイル 1236-3.jpg
高田の馬場の決闘と平和な時代に仇討ちを
2度も経験した、越後の浪人です。
堀部家に養子に入り、赤穂藩士になり、徹底抗戦派の
急先鋒で堀部弥平ともに討ち入りを果たした。


                           
ファイル 1236-4.jpg
南極の旅の説明会に行ったとき
東京メトロ・銀座口で降りたら、歌舞伎座が
新装になって、12月だったものですから、
忠臣蔵祭りをやっておりました。

ファイル 1236-5.jpg
帰りに妻の光子と夜の銀座を楽しみました。
銀座4丁目のリコーと服部時計店の夜景は素晴らしいですね。
道路の真ん中で撮影いたしました。

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