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午後8:00より厳かに神幸祭が取り行われました。

2014.09.05 (金)

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神武天皇の御代の創建の鹿島神宮は、当時、海の一角の
浮島に大神を鎮座させ、朝廷の力を常陸の国の
大王たちに誇示したのでしょう。

そして、熊襲・隼人・出雲・安曇族を平定し
食料保存の技術と館つくりを広めたのです。

当時、関東地方は、今の久喜周辺まで、海または干潟だったのです。

鷲宮神社も浮島大明神と言われたことでもお解りだと思います。

昔は、人々が移り住むとき、神を先達に建て、侵攻したのです。

当時の人々は、自分たちの勢力範囲の少しでも、
外側にと相手の領地内に神をまつったものなのです。

きっとこの鹿島神宮もそうだと思います。

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ファイル 1298-1.jpg
菊のご紋の提灯を露払いに、鹿島神宮の一つ歯の
高下駄をはいて、神の天狗をお亀に
替え添えして闊歩しておりました。。
クリックして大きな画面でご覧ください。

鹿島の杜の神域の守り神なのでしょう

ファイル 1298-2.jpg
神の常盤木の榊を輿に乗せて、古式豊かな行列でした。

ファイル 1298-3.jpg
陣羽織と陣笠の寺領を守る武士団の一行の
行列です。
旗指物とかがり火の御旗を掲げておりました。

                           
ファイル 1298-4.jpg
鹿島神宮の雅楽奏者たちが、笙・縦笛・横笛を奏でながら
通りぬけ行きました。

ファイル 1298-5.jpg
天界を支配する龍と幻の鳥、鳳凰の旗指物を掲げて、
行列は粛々と清められた石畳を進み、神幸祭は進行しました。

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日本には昔から同様に甍の波ありました。
最近は、街並みを保存で町おこしをしています。
街並みの中でも、京都の円山公園から、清水寺の二年坂
産寧坂のあたりは、甍(瓦)の街並みが美しく、東京では
浅草・浅草寺の仲見世の瓦の霧除け屋根が粋な通りを演出しております。お暇なときに「スカイツリー」を見ながらそぞろ歩きもよいですよ。

伊勢神宮のおかげ横丁も伊勢の名物「赤福」の社長さんの
音頭で昔の面影を取り戻し、街が活気づいております。

また、出雲大社の神門通りも廃れた門前町を
地元の田辺達也さんが善哉と遷宮という
千載一遇のチャンスとみいだしたのです。

かって、鉄道が観光客の輸送の主流であったころは、
駅から神門通りを抜けて出雲大社に参拝したものです。

ところが、鉄道から車社会になって、観光はバスになってしまいました。

神門通りをぬけずに大駐車場に行くようになって
客脚はなくなったのです。
古い文献から、出雲が善哉餅の発祥の地の文献を見つけ、
善哉屋の店を開いたのです。

また、心強いことに、横浜から、Iターンしてきた
多々納光教さんが団小屋を開店し、NPO法人の佐藤さんが
土産物店を開店したのです。

3人で空き家の住人を調べ、貸していただくように説得し、
お店が少しつつ増えて行ったのです。

そして、伊勢のおかげ横丁のようになったのです。
観光客は、神門通りで、名産を食したり、
お土産を買い求めたりするようになって行ったのです。

この、鹿島の仲見世も、室町時代から続く
蕎麦屋さんが有ったり、色々なお店がありますが
仲見世の長さが300m位なので、少し活気が
足りない気がいたしました。

途中に塚原卜伝の広場かあるせいかもしれませんね。