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豪快な春のパノラマ。一度はご覧ください。

2015.03.24 (火)

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『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』
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この春の萱場の葦焼きを、田中正造の雄叫びの紅蓮の炎が
立ちあがるようであった。
田中正造が衆議院議員にまでなって、足尾鉱山の
垂れ流す酸化銅が、渡良瀬川流域の村々の田地田畑を
荒廃させ、かって利根川の合流地点の谷中村の魚形多かりし川までも、ウナギ・フナ・鯉・ドジョウ・ザッコ類までも死滅させ、
田中正造はなすすべもなく、最後は明治天皇へ直訴に及んだのです。
しかし、願いかなわず、捕えられ、麹町警察署に入獄となり、
釈放されたのです。
この事件は、当時の読売新聞が直訴状の全文を書いてくれたのです。
直訴状は、無理を言って、田中正造が、社会主義者の名文家「幸徳秋水」に書いてもらったのです。
この話は、日本初の公害・鉱毒事件なのです。
「窒素の水俣病」阿賀野川の「イタイイタイ病」四日市の喘息
今は語り話になってしまいましたが、私が15歳~20歳の50年前の日本の公害事件なのです。
今の中国を笑えない現実があったのです。
この話は、私にとって、炎を通じて葦焼き・公害・初期の製鉄
「踏鞴製法」焼き物・瓦の炎なのです。

鉄を作る製法にたたら製鉄と言われる古代製法があるのです。
中央アジアにタタール人という民族がおりました。
その人たちが坩堝(ルツボ)を利用して作り、シルクロードによって日本にもたらされ、渡来人たちがネイテブの民族をほろぼし、または融合して現在の日本人、大和朝廷ができたのです。
昭和30年代まで、瓦の製法の一部に踏鞴(タタラ)と言われた
製造工程があり、なぜかと疑問を持っていました。
それは、坩堝ほどの高温の磁器でなく,陶土で鉄を作ったからなのです。

一度、田中正造の谷中村の惨状を読んでください。
谷中村は廃村となり、東京を水害から守る防波堤となったのです。
村民たちは北海道に移住して、その孫の代の村民が、北海道の
開拓のつらさに耐えきれず、昭和の60年代から平成に入って
今の栃木県に舞い戻ったのです。
故郷の風景と温暖な環境・水にぬくもりを感じたのでしょう。
しかし、100年近い歳月は赤城おろしの様であったと思います。
そして、自分たちはなんだったんだろうとふさぎ込む旧村民も多かったことをここに記します。

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写真をクリックすると拡大されます。
ファイル 1400-1.jpg
滔々と悠久の時を刻む渡良瀬川葦原に紅蓮の炎が立ちあがりました。

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幾筋もの黒煙を上げて、葦原は新しい芽吹きに
春を待つのです。

ファイル 1400-3.jpg
水門が、しっかりと東京都民を水害から守っておる番兵なのです。
巨大な水門を、大きな黒煙が暗幕のように私たちから遮蔽してしまいました。
こんな水門が数基建設されております。
広大なこの葦の原も東京都民の守り神なのです。
さしずめ、東京都の北西の鬼門です。
北の玄武に当たります。
玄武とは亀と尾が蛇の幻獣で、矛と巻きつくを意味し、
鎧をたとえ、槍が突き刺さらないことです。

                           
ファイル 1400-4.jpg
川辺に半茂した立木を超える燃え盛る炎。
10mはゆうにあると思います。

ファイル 1400-5.jpg
警戒に当たる消防署のライトバン。
黒煙の凄さを比較してください。

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