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近隣の城&城址の話

2019.06.23 (日)

 明治政府によって解体され、あるいは長い歴史になかで風雪に朽ちたそんな城の話しです。
小学生の時、聞いた話ですが鷲宮神社の近くの『粟原」』にお城があったそうです。
 日本には戦国時代に大名達が名城と言われる山城を桃山時代(豊臣秀吉)になると平城」を築いたのです。古くは坂上田村麻呂が東夷征伐のために「胆沢城」築きました。
 昔、神社の周りに前沼と言って人工的な沼がありました。鷲宮神社は、昭和23年の水害でも浮島の如く水害を被らず、吹き井戸に水をくみにいったのです。
粟原城の支城ですが遺跡は花咲駅から加須方面に線路沿いに3分ぐらいに「城山公園」として現存してます。
 粟原城は平成大学に行く途中の粟原地区の二股に分かれる右奥手に、祠があります。そのあたりがそうだと思います。

天正年間、上杉謙信が小田原城を攻めたとき、幼少の城代城主「細萱泰秀」守っていたが落城し、同じく鷲宮神主の神主(城主)の粟原城も落城したのです。

幸手市にも幸手駅東南徒歩5分くらいのところに幸手城があり、地名に「城山、陣屋」が残っております。また、幸手市天神島曲輪に天神島城(一色氏館)があり、この辺りは御家人達が鎌倉に駆けつける「鎌倉街道」あります。この辺りの盛り土が城郭なのです。
天然の堀、倉松川が流れております。また、鎌倉への物資流通は湿地帯を形成していた津を利用したのです。
菖蒲には、市庁舎近くの鴻ノ巣、上尾へ抜ける県道沿いに花菖蒲の名所で石碑が建ち陣屋の門が残り水郷の風情があります。

鎌倉から古河に転戦するとき立ち寄った武州少将の名に因んで菖蒲と名付けられたのです。

のぼう城で有名になった忍城の成田氏長の配下で、秀吉の北条氏康の小田原攻めに破れ、廃城になったのです。現在は再建されて資料館になっております。
最後に栗橋城と関宿城です。栗橋城は桜の名所「権現堂川」の元栗橋(茨城県)に存在したのですが、今は城址の看板のみしかありません。その対岸に久世大和守の関宿城(千葉県)があり、戊辰戦争の戦場になったのです。
忘れていました。久喜の足利3代に菩提寺「甘棠院」非常時には城としての機能をもち、掘り割りの遺跡も有り、現在は住宅地で面影ありません。

そう言えば、日本三景の松島の瑞巌寺も城を兼ねています。また、あちこちに存在する寺町も最後の砦な様なものです。垂れ桜で有名な弘前の武家屋敷の奧の津軽氏の菩提寺を思い出しました。