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猿島茶と境の川の一里塚

2019.06.24 (月)

久喜市栗橋と野田市関宿は、利根川(江戸川)を挟み対岸に茨城県境が(坂東市)在ります。境の地名は、島根県の宍道湖の「ゲゲの鬼太郎」で有名な境市や利根川を対岸に持つ羽生と邑楽郡の羽生市側にもあります。字は違いますが大坂府堺市も有ります。
坂東市境は全国でも珍しい河川の一里塚が在ります。道の駅「境」の江戸川の堤防上にカッコ良い石の灯籠が目印で銘板もあります。
江戸時代の流通の主体は水運でした。水運を司る琴平宮が関宿側にあります。
銚子、上州(群馬県)、武蔵の名産や五穀、木材、長瀞の緑泥変岩、三波石等も荒川を利用して江戸に搬送されたことでしょう。

外にも利根川沿岸に茨城百景記念公園が、境のほかに守谷、松戸(柴又の渡し:風天 の寅次郎)四阿(茨城県小山)にあります。場所によっては、渡船場で今も現役のところもあります。境は土・日運航して街おこしを担っております。

 話は変わって猿島茶は静岡、狭山、岡山、紀州のお茶に先駆けて輸出されました。あまりにも売れすぎて仲買人の悪知恵で柳の葉を混入させ輸出したのです。その為、今では無名の茶ところになって狭山、静岡茶に負け今では生産額が減り、地域ブランドに各下げになってしまいました。
また、明治時代に入り「富国強制策」の影響もあり、オランダ人の土木技術者「ムルデル」が明治23年利根川と江戸川を結ぶ運河を建設し、最後の仕事して帰国したのです。江戸川と利根川では水位の違いをパナマ運河の開門型式で克服したのです。近くに東京理科大もあります。
しかし、鉄道、道路の整備によって現在は使用されなくなり、桜の名所で流山側に割烹料理店が出来て乙な桜見物できます。お勧めします。
最後に利根運河の完成で、外洋船(大型蒸気船)が発達し全国の港から 東京に物流が入るようになって猿島茶の輸出は絶たれたのです。