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足袋の街行田の蔵造り一人旅『埼玉の瓦屋さん雨漏り奮闘記』太陽光発電(ソーラー)もやってるよ。

2011.02.12 (土)

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足袋の街行田の蔵造り一人旅『埼玉の瓦屋さん雨漏り奮闘記』太陽光発電(ソーラー)もやってるよ。

江戸時代の中ごろ、明暦大火を境に、足袋に使われていた皮が値上がりした。
行田を中心とした、利根川の流域は綿花の一代産地でした。
私が子供の頃にも、綿帽子の田畑をよく見かけたものでした。

また、田山花袋の「田舎教師」にも青縞の市の立つ羽生が出てきます。
また、今でも中島藍染め店が残っております。

このような条件の中で、皮の値上がり、綿花栽培、藍の栽培と青縞の市、3条件そろって、行田の足袋は発達してきたのです。

そこへ、深谷の渋沢栄一が進めた近代化に乗り、この行田も、動力を使った工業ミシンの普及に時間はかかりませんでした。
また、行田近在の農家の子女子のミシン踏みの工員集めにも事欠かなかったのです。

昭和23年ごろまで、行田は日本の80%以上の生産を誇り、埼玉県の産業として栄えたのです。

余談ですが、B級グルメ、ゼリーフライやフライもその女工たちの空腹を満たした産物なのです。

御存知のように足袋の需要は秋から春先に限られていた為、冬の需要期にそなへ、必然的に保管場所が必要になったのです。
行田の足袋ぐらはこのような経過の元に建てられたのです。

妻の光子は行田の生まれです。
戦後の貧しい時、大規模に造っていた足袋屋さんの娘さんが、
バレー・ピアノなどの習い事を羨望の生ざして見ていた記憶があるそうです。

そして今は、埼玉銘菓で有名な「十万石・ふくさや」をはじめ多くの足袋蔵が軒を連ねております。

ただ、工場ですので、連なっていないので、なかなか蔵の町として、旅行の雑誌に紹介されないのです。

昔、忍城の湿地帯であった水上公園の近くにある「ふるさわ」は100才になるおばーちゃんが現役で働いている関係で、何度となくTVで取り上げられました。

羽生を始め藍の市が立つ村落が行田の街近郊にあった。

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かっての足袋の工場です。
何時しか消えていくことでしょう
今は1件になってしった足袋工場です。

太陽光を推進しよう会の「新瓦博士」
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