雨漏り奮闘記 瓦は時代の公証人
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平成21年2月13日読売新聞より
姫路城 時代により城主が国替えに成り、拡張の度に各城主
が自分の紋所を瓦当に記したので五つの紋ところが見受けられる
平成21年2月13日の読売新聞の朝刊に飛鳥時代の迎賓館とみなされる石神遺跡から屋根瓦が出土した。
当時の建築様式から瓦は寺院以外は
ほとんど例が無いそうです
しかも、軒瓦に相当する瓦当は出土せず
棟の周囲だけに使用された瓦のみの出土で
有ったと言われます
この迎賓館の東門は2回の建て替えで
瓦葺きになったようで、
しかも施設の拡充、改装に合わせ
門も見栄えよくしたのでは・・・・と記事は書いています。
私は見栄えよりも、むしろ迎賓館のメンテナンス・
つまり、檜皮葺き・萱葺きは棟に近い部分ほど
厚みをつけることが出来ず、建物の最大の欠点である
雨漏りの泣き所です。
頻繁の補修が必要となる為、
かと言って、外国からの客人を
迎えている時に、棟の補修作業をする事は
国家の建物として、御粗末この上ないと思います
我々職人としても、国賓が来朝している時に
埃を立て、音を立てる訳にも行きません
また、国賓を雨漏りするような場所で
接待は出来ません
然るに、檜皮より丈夫なメンテナンスの
少ない瓦が使用されたものと解釈するのが
自然だと思われます。
また、火伏せかわらの意味も強かったものと
解釈するほうが良いかと思われます。
瓦の世界で織田信長と安土城は得意な存在です。
天下の中心を表す地を、また、丘の様な所との
意味合いが岐阜の地です。
戦国の世から、安寧の地を意味し「岐阜」と「安土」を
天下号令の「地」としたのでしょう。
瑠璃色の瓦をして天守閣に
稀有な色瓦の使用も、自分の権力を
誇示したものと思われます。
前にUPした安芸の宮島の千畳閣の瓦当の金箔瓦
これも、天下人となった秀吉の
財力の誇示に違いありません。
天平の甍で少しUPしましたが蓮華紋の瓦当は
蓮華紋によって、時代の考証が可能です。
時代によって、蓮華紋に特徴があるからです。
また、姫路城などは、時代によって(どの城も国替えがありました)
城主が代わり、城郭を拡張するたびに
自らの紋所を瓦当に刻み、
城主の存在感を残した
桐の紋(豊臣家)をはじめ、五つの紋所を確認でします。
また、平部の瓦でも、布目瓦、奴桟、
戦争中の配給制の時代では瓦に刻印が押してあり
何処の窯元から供給されていたかが解り
近世でも瓦を解体している時に
時代を感じます。
また、きららと言う雲母等にも
注意をしていると、時代を思い浮かべ
往時をしのぶこともあります。
瓦当、軒瓦の固定一つとっても
今の若い人たちと違って、手打ちの銅釘、
皮通し釘、亜鉛釘、銅釘を見れば、色々な状況が
解り、ロマンに浸ることが出来ます。
職人冥利に尽きる良い人生かなと思っております。
新瓦博士


