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雨漏り奮闘記 新久喜市市議会議員選挙と太陽光発電看板

2010.04.25 (日)

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  雨漏り奮闘記 新久喜市市議会議員選挙と太陽光発電看板
1市3町村の市会議員選挙が7日の選挙戦を終え、青天の今日
投票日を迎えた。

各市町村は、各議員候補を立て、新しい久喜市の前途を占う選挙となった。

新久喜市にふさわしい候補者の立候補となり45名の立候補者の数のなった。
立候補者の平均年齢を見てだいぶ若くなったような気がするね。

我が家と剣の家族で4票しか投票権はない。
そこで票わけをして梅田修一氏と上条あきひろしに投票することに決めました。

上条氏は芳光の中学の時の同級生で『翼の会』の会合でも合っているので親近感もあるます。

上条君の人柄もとってもよさそうです。
彼は、家庭の事情で大学進学をあきらめ、自分として、社会的評価が欲しかったのでしょう。
町議になって議長になって今回新久喜市の市議に打って出たのでしょう。

梅田君は梅田製麺の御曹司として鷲宮の名士ので出、100年以上続く実業家の長男です。

そして。剣とはBフレッツの事で梅田さんを訪れ、久喜市のロータリーの関係で今回陣中見舞いにも行かせました。
「かんばれ修一」鷲宮の事を託しましょう。

この2名は鷲宮を代表することになるでしょう。

話は変わって、今屋根工事業界は大いに揺れて、悩んで、苦しんでいます。
当社も同じです。
今私は、『太陽光発電システム』の情報をひっきりなしに入手しています。

太陽光発電システムは政府のCO2の25%削減が国際公約になって、産業界はもとよりトレンドになって、今この時期に取り組まなければ手遅れになってしまいます。

そこで、目を付けたのが鷲宮商工会の交差点の看板です。
「広研」に早速依頼し、掲げてもらったのが『地元で100年、太陽光発電と屋根工事』の看板です。
『いいでしょう』急ごしらえとしては粋なキャッチ・コピーと思いませんか。

一応6か月の掲載で14,000円、看板代が42,000円、上等でしょう。
何とか知名度を上げることができればと思っております。

これから、捨看板、太陽光のイベント、環境を重視した太陽光に特化したHPサイトの掲載、ノートパソコンを使ったエンドユーザーを対象としたソフトの導入も考えていかなければならないでしょう。

先行投資なくして、発展はないでしょう。まずは資金です。
げんこつでは話になれないでしょう。
『がんばります。㈱オオギヤも。』
                                            
ファイル 441-1.jpg
45名の立候補者を掲載する候補者ポスター
新久喜市の船出にふさわしい顔ぶれかもしれませんね。

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ファイル 441-4.jpg
鷲宮商工会の交差点に掲げられた『地元で100年太陽光発電と屋根工事』の看板
ちょっと、素敵でしょう。手前みそかな。

太陽光を推進しよう会の「新瓦博士」
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雨漏り奮闘記 エジプトからブラジルのイグアスで会ったオマル さんが来日。

2010.04.18 (日)

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 雨漏り奮闘記 エジプトからブラジルのイグアスで会ったオマル さんが来日。

突然、昨日の昼、「ペニンシュラ東京」ホテルから電話があり、エジプトからオマルさんが日本の観光に来ているとのことでした。

彼が、なんか贈り物をしたいとのこと、そして、今朝9:30頃インターポーンの音の起こされた。
オマルさんからクッションカバーが宅急便で送られてきた。

ロバに乗ったエジプト人とラクダとピラミットのデザインでした。
嬉しかった。
手紙に、彼の写真を入れた南米の手作りの「カレンダー」と南米3大景観ツアーのCDを送ってやった事に感激しているとのことでした。

人の心は、言葉が通じなくても、真心は通じるものです。
『日本の世界遺産』のCDと羽子板、風呂敷を贈りたいとホテルに電話した。

ホテルの方も、いろいろ骨を折っていただきました。
今日、遊びながらホテルに行って羽子板と風呂敷を選別にと思っています。

まとまらない文章ですみません。

もうひとつ、4/17降った41年ぶりの「春の雪」に驚きました。
こんなこともあるもんですね。

彼に会おうと、今日PM4:30-5:30お会いできるかと思って、ホテルとやり取りしてました。
 
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エジプトから日本観光に来日したオマルさんからの手紙

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41年ぶりの春の雪の新聞、 埼玉版

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みぞれ降る雪景色を自宅より撮影


                           
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樋に落ちる雪

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雨漏り奮闘記 わが幼き頃の思い出の記

2010.04.13 (火)

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  雨漏り奮闘記 わが幼き頃の思い出の記
私が小学校3年生のころから、小学校の卒業旅行で日光東照宮に行った時の写真です。

今から60年近く前の写真で、不鮮明かもしれませんが、ネガからアップしたものです。

こんな幼いころもあったのだなあ。と自分自身思い返しております。

小学3年ごろ、太田のどん竜尊に行った時の写真などもあって、
考え深いです。

上棟式の写真は、近所の野口さんの家の棟上げの時、甥の正道と取った記憶があります。
肘掛窓に腰をおろしている写真は、まだ、30年代で実家で土焼きの瓦を造っていた時の頃の写真です。

戦後間もないころの写真で、日本全体が貧しく、この鷲宮町から、八潮市市掛けて、利根川の反乱で生活が一層貧しい時でした。
母の話ですとお米60キロを、今のお金に換算して15万円のお米を食べたそうです。
考えられますか。
当時私の家は、大家族で母と仁平(長男私と24歳年上の兄です)
以下、文枝、市二、君江、久男、正道、光房、文江、そして私,芳雄の10人の大家族です。
まして、お米が主の生活で、おかずの少ない食生活を強いられていた時代です。

卵などは月に一回程度、肉のあまり入ってないカレーですら、月に1-2回程度の食事の貧しい時代でした。

納豆、豆腐、サンマ、イワシ、お新香、時には味噌や醤油だけで食事をする事さえあった時代です。

そんな時代から、今はいくら不況といえど天国の時代です。
ただ、先行き不安が抜けない為めに、物価が下がり、デフレを引き起こしているのです。

もっと元気な日本が復活して欲しいですね。
かっては、『ジャパン イズ ナンバーワン』そんな時代もあったのです。

でも、甦ります。日本は、教育の高さと、民意の高さは世界に引けを取りません。

頑張ろう。日本
                                            
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日光東照宮で修学旅行 昭和29年

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太田.のどん竜尊にて 昭和28年遠足にて

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近所の野上邸の上棟式にて
上棟式とは本来ある匠の親方が、お殿様の命によって、鳥居の造営を任され、造ったところ、気に入ったものができず、悩んでいたところ、そのひとりごとを耳にした奥さんが匠の旦那に『鳥居の足を切ってバランスをとればよろしいのでは』進言したところ『お前なんかに何が解る』のみで奥さんをあやめてしまいました。

気にかかって、奥さんの言うように鳥居の足を切って、造営したことをお殿さまに報告したところ、たいそう喜ばれて、褒美を頂いと戸のことで、その後、何かの上棟の時に、奥さんが使っていた、お化粧道具、お針の道具、それに糸の麻、そして奥さんが必要としていた5色の布を柱に飾り、奥さんの冥福をお祈りする儀式が転用され、建物のこれからの作業の安全祈願になっていった物です。


                           
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自宅の窓から外を見つめつ 昭和28年

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昭和30年代の瓦を乾燥させる様子を撮影
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雨漏り奮闘記 春の暴風並の強風 千葉で瞬間最大38mの風が吹き荒れる。 政治のうっ憤は気出せ。 千葉で瞬間38mの風が吹き荒れる

2010.03.21 (日)

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  雨漏り奮闘記 春の暴風並の強風 千葉で瞬間最大38mの風が吹き荒れる。 政治のうっ憤は気出せ。

日曜というのに、あさ7:00前にけたたましく、電話のベルが鳴った。

驚いた。昨夜来吹いている強風がまだ、サッシをきしませている。
電線はひゅうひゅうと不気味な音を立てていた。

庄和町のO邸からだ。
はじめは話がかみ合わず、何度かきき返した。
そのうちああ、あの家だ。
奥さんが強く、旦那が旦那らしくなく、最後の決定は
娘だろ言う。

なんてこった。余りはためにいい印象は与えないね。

そして、昼近くに工務店から電話が入り
昨夜の強風で、瓦に被害が出たので現調して見てくれという。

こんな風はめったにない。
場所、周りの状況、一概には言えないね。

自然災害と取るか、クレームと取るかは
人それぞれ。

我々の商売は自然災害によって苦しめられ、
自然災害によって助けられる。
何百年の間、そんなことの繰り返しだった。

それを姉羽の偽装問題をきっかけに、
10年保証になってしまった。
大変なことだ。
工事の金額が上がればいいのだけれど、
金額は逆に下がって施工精度は上昇。
こんな時代と割り切れるのか
にっぽん丸の経済は30兆円の需要不足という。

どこもかしこも、値引き、割引、デスカウント
そして、おまけにエコポイント

政府は勝手にCOP15でCO2の25%削減

いいですね。政府は
鳩山さんは拍手喝さい、
中小企業はへども出なくなって、
資金需要は最高、
不動産デフレは止まらず。
加えて資産デフレの拡大。

春の嵐と似ているね。
みんなやけくそになっているね。
でも、官民一体でインドのインフラ4件受注
鳩山さんも、重い腰を上げて『トップセールス』実施らしいね。

いいことですね。
少しは、そのおこぼれが中小企業にまわてくればいいね。

政府の『コンクリートから人へ』
いい耳触りだけれど、財源不足、結局付けは次の世代に回るんだって。

愚民だよね。もらったつもりが次世代の付け。

普天間も普天間ですね。
野党の時に『県外移設が最低条件』
どうするんでしょうね。

副幹事長の言論統制、
北朝鮮の将軍様を彷彿させるね。
小沢一郎、何様ぶっているんでしょう。

もっと、大した政治家と思っていたら
田中角さんの足元にも及ばないね。

いい加減にやめたらどうなの。
聞いてられないね。民主党。
これが民主党らしさなのかね。
鳩山さん。邦ちゃんっもだれも付いてこなかったね。
これからどうするんだろうね。
国定忠治かね。忠太郎はどうするのかね。

話は強風から飛んだ方向に行ってしまったね。
これでTHE END だね。

 
                                            
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想いで話:****50年前の記憶をたどって

2010.03.02 (火)

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  雨漏り奮闘記 

想いで話:****50年前の記憶をたどって

半世紀前の記憶をたどって書いてみました。
この二年前、60年安保反対に明け暮れた年でした。

羽田空港で立ち往生した、特使ハガチー氏が
軍用ヘリで岸 信介氏の元へ・・・・・。

100万人デモで樺 美智子さんが亡くなられ
岸内閣が総辞職して、世の中は騒然としておりました。

それから3年、昭和39年オリンピックに沸いた1年でした。
良きにつけ、悪しきにつけ日本全土が活気に満ちた時代でした。

この写真でお分かりになるかと思いますが、
ちょっとしたおめかしには、和装が全盛時代でした。

まだまだ、高校生の恋愛なんてもってのほか、
2人並んで歩くことなどありませんでした。

時代は変わりました。
就職難今も変わらず、コネで入社を依頼する時代でした。

まだまだ、横浜の河川にはダルマ船がたくさんあって
のどかな時代でした。

半世紀たつと、時代は大きく変わり、動いています。
コンピユターもIBM360と言って10畳ぐらいの部屋に
やっと収まるくらいで、それもキイーパンチャー操作した
穴のあいたカードで光を利用して、やっと給与の計算が
出来るものでした。

今の、パソコンの100分の1の機能もありません。
キーパンチャーは花形職種でした。

それに花形は電話交換手さんでした。
考えられますか。会社へ電話すると交換手が出て
内線何番と言って取り次いでもうものでした。

どうですか。隔世の感があるでしょう。
 
                                            
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大学祭 親友のKさんと私

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合成写真 神奈川大学

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写真部の作品を見入る和服のお母様達
時代を感じさせますね。
懐かしいテープレコーダーも見えます。
隔世の感がありますね。


                           
ファイル 384-4.jpg
ダンスパーテー****学生服を着用している生徒もたくさん見受けられます。

ファイル 384-5.jpg
『ラ・マラゲニア』を奏でるギター演奏部
今なら、もう少し
かっこつけるでしょうね。

太陽光を推進しよう会の「 新瓦博士」

孫たちと楽しむ正月

2010.02.03 (水)

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  雨漏り奮闘記 

癌を患って初めての正月、まだ傷跡が痛むが、
正月家族が会して、孫たちと息子と嫁さんの
総勢12人の会食をした。

妻は、私が病後の為大したこともできぬため、
大変な思いをしていた。しかし、息子たち、嫁さんたちが早く着たら、手伝わせるように指示をして、なんとかこうにか恰好がついた。

孫たちは今が一番かわいい盛りで、てんでんばらばらに遊んだり、
突然他の孫たちを小突いたりしながら、楽しんでいた。

家族も10人を超えるとにぎやかで楽しい。
息子たちを3人育ててよかったとしみじみ
思います。

もし、一人だったら、こんな賑わいはなかったろう。
大変なことはきっと報われるものだ。

苦あれば楽あり。そんな思いに浸りながら
キイーボードを叩いております。

3人の夢をかなえ、こんな素晴らしい老後が送れることは
自分の人生にとって「わが人生に、悔いはなし。」

南米のマチュピチ・イグアスの滝に行き、アラスカ・マッキンリーのフライト、チベットで五体投地のカルチャーショック
エベレストの朝焼けの雄姿・アフリカケニアの
チーターの狩り、ヌーのかわたり、TVの中の世界を
この目で確かめ、自分の人生は恵まれていた。

最後に来て、神は私たちに試練を与えたのかもしれない。
でも、孫に囲まれ、家族とともに送れる初春は素晴らしいものだ。
                                                                       
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3男の孫娘 「真」ちゃんを抱いて

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4人の孫娘たちは思い思いに遊ぶ

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羽子板の前で3人の息子たちと孫娘

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真ちゃんと明子ちゃんと

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ネパールで購入した御輪(オリン)の鳴らし方を花江ちゃんに
教えて。
太陽光を推進しよう会の「 新瓦博士」

 雨漏り奮闘記 日食の写真ありました。

2009.07.23 (木)

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  雨漏り奮闘記 日食の写真ありました。
時は私が念願の高校に入学した11日後の出来事でした。
部活の勧誘で理科学部に入部したおかげで
学校から正式に許可を得られた部員だけが
正規の天体ショーを観測した。

1年生は気温と湿度の観測を受け持った。
天体ショーの開始は4/19 午前12時10分から太陽が少しずつ欠けてきた。

最高に太陽が欠けたいわゆる食甚減少は約1時間9分後の13時19分でした。

その間、空は 徐々に暗くなり食甚間際にカラスが泣き出し
気温も下がった。

木々の木漏れ陽はどれを見ても三日月型をしていた。

昨日の日食があいにくの曇天で見ることができず、大人も子供も
さぞがっかりしたことでしょう。

私が高校入学の胸ふくらませた思い出のひとコマでした。

遠くで夏祭りの太鼓の音が聞こえています。
今年もこれから夏本番と思うと、老いた自分が 
悲しくなります。

せめて青春の思い出をたいせつに。                                                                     
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左側の2枚は不動岡高校の校舎屋上で日食を観測している部員の周りで望遠鏡から映し出される投影図を見て固まっている写真です
1958年4月19日 午前12時10分日食開始時の写真です。

下の写真は月によって太陽が最高に欠けた食甚と言われる状態の時撮影したものです。  

校舎の壁の暗さを比較してください。
撮影データーはF8 シャッタースピード1/100で2枚とも撮影してます。

右側の写真は天体望遠鏡を通して画用紙に投影した食甚の13時19分の時の写真です。
データーはF5.6 シャッタースピード1/50 フィルターなし撮影              


太陽光を推進しよう会の「 新瓦博士」

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