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ストーンヘッジの巨石の謎と素敵な村コックウオルズ

2017.11.08 (水)

エジプトのピラミッドと同年代にイギリスの巨石文明ストーンヘッジは建設さたものです。
メキシコにもピラミットはあります。また日本も仁徳天皇のなどの巨大な古墳があって、また、それよりは幾分小さな古墳が日本にも多数あります。
どの巨石文明も、なにかしらの謎を秘めております。今回エジプトのピラミッドの内部を明らかにしようと特殊な飛行ロボットにて解明する試みが計画されております。このストーンヘッジも謎だらけです。
太陽崇拝の祭祀場か暦としての天文台か、農作物の季節を占う神聖な場所か、ケルト族の祈りの場所か仮説が立てられましたが、それでも適切な説明がつきません。
それは、ブルースストーンと呼ばれる、石英・長石のを含む鉱石が火山活動によって火山灰と流紋岩、当然に銅、ピライト、カルシュウムからなる粘板岩なのです。
私は、粘板岩は水成岩と思っておりましたが、長い何万年という時間の中で火成岩が粘板岩になることを初めてしりました。
このブルーストーンは、病気の治癒能力を持っていると言われております。そうすると、今の治療機関の様な権力者の設備だった事の仮説として建てられのです。
このストーンヘッジに使用されて、いる巨石は、現在地より400Kmも離れた、西ウエールズのプレセリ山地のみに産出する奇石なのです。
私が観光したブルーストーンの見学場所に修羅という橇状の現物が展示されておりました。
しかし400KMもの距離をコロ敷き(丸太)詰めても、運搬不可能と思っております。
1個の巨石が40トンもあり、その数も30個以上に及ぶのです。今の地形と違い、きっと6000年も前は、地形的にも湿地帯が多く大河があったか、現在の利根川のように関宿から掘割をし、銚子の太平洋に流れを変えたのと同様に湿地帯に掘割を建設したのではないかと思われます。同様に水運で有れば、いかだを汲んで運搬が可能です。
それは、今の皇居に潮見坂といわれる場所があります。太田道灌は築城当時、釣り糸を垂れて江戸湾で釣りを楽しんだとか?。
その後、徳川家康の時代に江戸湾に堤防を作って、干拓したのです。結果、新田によって、コメの増産を測ったそうです。現在の江戸800家町ができたのです。
干拓によって、260万石の農地の確保ができ、幕府の石高が増し食料確保が得られたと考えられます。
この仮説は、いかがですか。私はこの仮説の方が現実的かと思います。
また、このストーンヘッジの周りには幾つもの古墳が存在しておりました。現在の地形と同じで考えるとつじつまが合いませんが、6000年の時間を考慮しなければ説明がつきません。
万葉集の時代、熊谷市の隣の行田市には「小崎ヶ沼」という川の津(港)があり、防人が筑紫の国へ赴いたのです。

埼玉(さきたま)の 津に居(を)る船の 風をいたみ綱は絶ゆとも 言(こと)な絶えそね

また、映画「のぼうの城」は400年前の忍城は別名「忍の浮城」と呼ばれ、湿地帯に孤立した堅固の城だったのです。
また、埼玉の地名も前玉だったと言われております。この神社格式が高く、古事記・日本書紀などが編纂された時代に遡り「式内式」神宮として、埼玉古墳群に向かって建立されております。

コックウールズは、古いイングランドの田舎町で、貴族たちが荘園を守っていた時代の石造りの美しい村です。
小川にはブラックスワンや白鳥がヒナと泳いで、小路に沿って花の生け垣に囲まれ、壁には蔦や苔が生え、窓べに花が垂れて下がり、窓越しに中国の兵馬俑の置物があったり、気の利いたこ品々が置かれて、観光客の目を楽しませてくれます。
色々な個性豊かな庭と石造りの家、そして石畳、素晴らしいガーデングッツが置かれ、何気ない気品の高さを醸し出しておりました。
女性にとっては、夢心地のお伽の村に、舞い込んだ錯覚に浸れることでしょう。
私と妻で、散策してある工房が目に入ってきました。何か異国でのお気に入りの物でもと思ったのです。
もちろん、素敵なものが沢山ありました。ご主人に話しかけ「工房を見せてください。」とお願いしたのですが断われたのです。
私は、持ち前の気楽さで、懇願するとしぶしぶ見せてくれました。工人は奥さんとのことでした。釉掛けのツボ、登り窯、乾燥中の作品などが所狭しと並んでおりました。工人のお気に入りの釉薬は、マンガン釉のフリット(ガラス成分)使用しない無光沢の作品でした。
私も、女性が胡坐をかいたヌードをケガイた平たい花瓶の作品を買い求めました。お店に日本で出版された作品集もあったのです。別れ際に、みんなで思い出のショットと思いお願いいたしました。ご主人が笑った顔とても素敵でした。
妻は子供たちにお土産を骨董屋で買い求め次の村に行きました。
中央広場の噴水と小川が流れ、犬と戯れたり、赤ちゃんを囲んで家族で春(6月)を楽しんでる微笑ましい姿が何組もありました。
とても楽しい、イギリスの新緑とさわやかな1日を心から楽しんみました。

プラザビルからデフレの波が今の君たちをアリ地獄へ

2017.11.08 (水)

ニューヨークのセントラルパークから見えるプラザビルで、ロン・康の会談が始まったのです。
当時の蔵相竹下登氏が1$190円でも良いと発言から、日本は円高が始まり、国会議員の中には「良いデフレ」と喜ぶ議員もいたほどでです。
このプラザビルは、近くに高級マンションが立ち並び、安田財閥の直系オノ・ヨーコとビートルズのジョンレノンが愛を交したマンションがあります。
ジョンレノンはこのセントラルパークの散歩道で銃弾に倒れたのです。
プラザビルは、リムジンがいつも何台か駐車してる高級ホテルです。このホテルで、中曽根康弘首相とカーボーイを演じていた映画俳優で大統領になったドナルドレーガンが会談をしたのです。
当時のアメリカは今と同じ経済情勢で貿易赤字と財政赤字の2重苦に苦しんでいたのです。
レーガン大統領は1981年から1989年の大統領で、現在はアジアににらみを利かす空母にも命名されております。
当時のは「日本は日出る国」のごとく、ジャパン№1を謳歌し、海外旅行の熱が盛んで、農協、工務店など東南アジアに団体で出かけ、札びらを切ったのです。
そして、ハワイの目抜き通リを買いあさったのです。ところがそんなこと長続きはせず、ソニーも音楽配信などを残し売却して、アメリカ市場から撤退したのです。
このデフレが、就職氷河期を迎え、多くの学生が苦しみ、また、早期退職者が排出されたのです。
私の友人の森君は、人事担当でデフレの2~3ぐらい前までは、新卒の募集で苦労して、今度は、早期退職の肩たたきで苦労したそうです。
日本の経済も疲弊し、早期退職者や60歳で退職した頭脳がアジアで厚遇されて、グローバル化の前に、大企業も負け戦を強いられたのです。
中小企業は、規制緩和の法規制の前に後継者がいなくなり、存亡の危機に立たされたんです。
長年立ってみると日本の大企業が耐えて、今の繁栄をつくるきっかけになったのです。
また、100円ショップも、円高の恩恵を受けて、雨後の筍のように出てきました。
絶えられない企業は、倒産の憂き目に合いつぶれたのです。また、自殺者が30,000人の時代が20年も続いたのです。
ロン・康のプラザ合意が、日本の経済界に与えた影響は計り知れなかったのです。
私たち建築業界は勿論こと、経営学で言う「蓮の葉の理論」ごとくハウスメーカーの下で細々と事業をつなぐ羽目になったのです。「強者の理論」の前にひれ伏したのです。
私たち職人の後継者が、皆がサラーマンかした時に日本の家は廃屋かしてしまうのです。こんなこと考えたこと有りますか。
私たちが子供の頃、男子出生に杉木を植え、女子出生の時、桐の木を植えよ。家は3代持たせ長者に成れるときかされていました。今はローンがあって少子高齢化社会です。

真夏のタイムズスケアは男の垂涎

2017.11.04 (土)

アメリカといえばニューヨーク、世界の人々の憧れであり、経済の中心であり、人種のるつぼです。
ニューヨークは、世界の人々の心を魅了する都市なのです。摩天楼あり、自由の女神、ブルックリン橋、カウントダウンのロックフェラーセンタービル有り、世界のミュジカルの発信地有り、ジャズ有り、黒人霊歌有り、また、世界一の夜景があるのです。
経済界においては、ウオール街、ユダヤ人が支配する金・ダイヤモンド市場が存在し、また、政治の中心「国連」もあるのです。
それだけではありません。タイムズスケアやブロードウエイがあって、歓楽街も世界一を誇っています。
日本の除夜の鐘の代わりに、カウントダウンがこのタイムズスケアの巨大映像を交えて実行されるのです。
このカウントダウンの最中に、トイレに行こうものなら元の位置に帰ることは、不可能言われるぐらいすごいのです。
メリケンボーイ&ガールは、近くにいる男女とキスをするなんて当たり前です。
こんな陽気な国は何処にありますか。チョット話は違いますが、ニューヨークに向かう通勤バスは、何百台と列をなしての通勤地獄です。
また、タクシーも朝6:00から疾走しています。タクシーのカーアシェアリングも、シエアして6分以内に到着。もう地獄のようなスピード感でニューヨークが動いています。
前回は1月の冬でした。寒いってありませんでした。また、ツインテールビルにテロの飛行機が突っ込んだ翌年でいたので、グランドゼロは見るも無残でした。
しかし、あれから8年ぐらいたっています。夏のタイムズスケアは、お祭り騒ぎです。コーラ・ビールやソフトクリームを片手に大はしゃぎです。
日本の神田の神輿の祭りの様そうです。歩行者天国と阿波踊りとねぶたのらっせー.らっせ―をごっちゃにしたようで、観光客はキャー・キャー騒いでおります。もうハチャメチャです。
普段の日でも、タイムズスケアにスタイリストの女子大学生が、ボデイペンテイングにTバック・タンガ履いておっぱい丸出しの姿で闊歩、撮影料を取って、小使いにしているのです。オジサンたちが鼻の下を長くしてにやにやしてます。
望遠で撮影してばっちりです。そのうち日本にも小遣い欲しさに銀座の歩行者天国に現れるのも時間の問題です。今は、グローバルの時代ですから。そういえば日本でも、カーニバルのお祭りで踊っていったけ。
前回のニューヨークはミュジカルを今回は「バードランド」ジャズバンドを楽しみました。タイムズスケアの横道でおおらかな5人娘が笑っていました。
振り向くと、1.2.3で放り投げる格好をして大笑い、絵になる格好でしたのでもう一回とお願いするとヤンキー娘は喜んでお同じしぐさをして「はい、パチリ」素敵な夜を楽しみました。この界隈は日本食のお店もあってグーでした。

モニュメント好きな日本人と歴史建造物を好む欧米人

2017.11.03 (金)

日本の天皇家は、皇統一系として世界にキング(王)の中でも、皇帝として世界一の家系です。しかし日本人は、天皇家を軽んずる傾向があります。
アメリカのオバマ大統領が、平成天皇に頭を下げたということで物議をかしたとか、そんな記事をTVで見たのです。
また、6月のポルトガル、リスボンに行ったときのことです。街路樹のジャガランダが、紫の花を付け咲き誇っておりました。集合場所は、ホテルの近くのエドゥアド7世がライオンを従えた、銅像の見えるバス専用の集合場所でした。
バスに、ガイドさんと一緒に乗り合わせ、かって世界の海を縦横無尽に活躍した、バスコダガマがインドから胡椒をもたらし、冷蔵庫のなかった時代、肉の腐食からまたは、匂いを消すために莫大な富をもたらしたのです。
まず、最初に観光したのが、その昔、コロンブスが西インド諸島を発見した23年後、バスコダガマがインド航路を発見したのです。
それを記念して、マヌエル1世がリスボンのベレン地区に要塞を兼ねた監視塔を立てたのです。非常に緻密に作られた白亜の城です。
ジェロニモス修道院と共に、世界遺産に指定されております。また、ここは大きな公園になっているのです。ここには大西洋を3間不眠不休で横断飛行に成功した双発機(実物)が海に向かって飛び立とうと設置されています。
ここはポルトガル政府認定のガイドさんが英語・フランス語・自国語・ドイツ語、ポルトガル語、ドイツ語、スペイン語と一人で5か国語の観光客に、各国の言語で通訳説明しているのです。
日本語はありません。それで、彼の案内をミユーの私たちのガイドさんが訳して案内してくれるのです。
ところが、どうしても欧米人の方が、圧倒的に多いのです。ミユーのガイドさんの説明では、欧米人は歴史的建造物には興味を持つのですが、私たちが説明を受けったかった、海の勇者たちの7mにも及ぶ巨大な像は素通りするのです。海の勇者たちの像は日本のガイドブックに、大きく掲載され誰もが知っているモニュメントだからです。
このモニュメントは、エンリケ王子、没後500年を記念して、帆船の舳先にエンリケ王子、そして、バスコダガマ、そのほか海の勇者たちが15人~16人等身大で刻まれております。また、反対側には、当時の海を渡った宣教師、あるいはポルトガルの詩人、歌人、哲学者などが刻み込まれているのです。日本人にとっては、非常にわかりやすいのですが仕方ありませんでした。
また、地面にタイルで世界地図が描かれ、世界の大陸,諸島にポルトガル人が到達した年号がは記入されていたのです。
日本には1541年種子島に鉄砲が伝来した年号でした。その後、難波の堺に入港したのです。当然、そのころの日本は蝦夷(北海道)はありません。
そのタイル画も、簡単に端折って、1車両の粋なチンチン電車の走る大通りを超え、世界遺産のバスコダガマの眠るシェロニモス修道院の観光です。ここは欧米人の興味ある歴史的建造物で、ゴシック建築の粋を集めた壮麗な建物です。
この建物は、マニエル1世の偉業をたたえた建物で、マニエル様式となずけられております。
余談ですが、この公園で国際携帯電話を紛失したのです。でも、誰が拾ったか知りませんが出てきたのです。本当によかったです。
もう一つ付け加えると郵便局の事をポストオフイスでは通じなのです。CTTまたはCORREB(コレイオ)といえば通じます。日本に小包を送ろうと思って苦労しました。行って見るとコーヒーショップを兼ねたパン屋さんでした。これも驚きでした。

ローデンブルグ城のコウノトリ

2017.11.02 (木)

ローデンブルグ城は、ドイツのロマンチック街道の観光客の憧れノイシュバンシュタイン城と同じ街道筋にあります。
このローデンブルグ城の城壁に立ち、城門をくぐるとおとぎの世界に迷い込むのです。
このローデンブルグ城を守るため、命を懸けた人たちが沢山いたからこそ出来たのです。その一人が「市長の酒飲みなのです」
この戦いは、神聖ローも帝国の皇帝軍が、ドイツ国内を最も疲弊させた戦争で1618年(日本では日光東照宮が建立)勃発した戦です。新教徒側のローデングブルグは、あわや滅亡の危機にあった時、敵の将軍が市の参議たちに3リットル大ジョッキに、この地のワインを差し出し、このジョッキを飲み干すものあらば、このローデンブルグを助けても良いと宣言し、参議たちが頭を抱え、老市長ヌッシュがそのワインを受け取り、一気の飲み干しローデングブルグ城は救われたのです。
そんな実話をもとにマイスタートウルンクの歴史劇が今でも行われるのです。
この城郭都市は、1k㎡と広くはないですが、6か所のすべからく変った6か所の門と42の監視塔が守っているのです。城門には、敵を食い止める落し格子などもあって時代を感じるのです。
建物は木組みの筋交いなどがデザインされ、写真を撮影する者にとって、格好の被写体が沢山あるのです。
こんなおとぎの国に、エジンバラの兵隊さんが歩哨、隊を組んで歩いていたら、震えの来るすごさでしょう。
急傾斜の屋根、反りの入った屋根、風見鳥のもうけられた屋根、特に見ごたえがあるのが、市庁舎のマルクト広場、また、市議宴会館の仕掛け時計もお勧めです。
また、現地ガイドさんにランチタイムのなったので「日本食はないでしょうね」と聞いたところ有るのです。ちょっと小路に入ったとこで分かりにくいですが、マスターも、シェフも日本人なのです。妻はうどんを頼み、私はカキフライを食べたのですが絶品です。
また、拷問のギロチンや水責めの仕掛けもあって、一見する価値があります。ギロチンに二人で首を突っ込み、ユーモラスな写真を撮影したのです。
ところで、コウノトリの話しです。6月末から7月上旬に観光を行かれる方は、ローデングブルグの民家の屋根上を見上げてください。大きな小枝の巣は散見されます。このローデンブルグの周りに、田園の風景が広がっており、湿地帯もあるのでしょう。
コウノトリの親鳥が、ひなに餌を運ぶ光景が見られます。また、空を見上げるとコウノトリが悠々と飛翔する姿をご覧になれます。
驚いたことに、現地ガイドさんが12年もローデンブルグを案内していてご存じなかったことです。紺屋の白袴なのです。私は屋根の携わるものとして、屋根に興味があるものですから、いつも見上げているので足元の事は解らないのです。灯台下暗しなのです。
その街に根ずく歴史のすごさ、また、そこでで暮らす人々の他人に分からない努力の積み重ねがあるからこそ世界遺産になるのです。
飛騨高山の同業者に聞いた話ですが、自宅と高山の屋台に火が出ると町衆の旦那は、高山の屋台に駆け付け、自宅が焼け落ちても、屋台を守り抜くことが男の甲斐性なのです。そんな話を聞いて驚いた一人です。
世界遺産に選ばれることすごい努力の結晶なのですね。

ヨーロッパの看板彫金は無学に証拠

2017.11.01 (水)

イタリア旅行の行ったとき.、ポンペイの遺跡を見て、石でできた看板が街区の通り面し、誰が見てもひと目でわかるようにずらりと並んでいました。
その時は、解らなかったのですが地中海沿岸の都市国家は、アフリカ、トルコあるいは大西洋沿岸の各国と貿易で栄えたのです。当然民族も違い、言語も違いました。カルタゴ(チュニジア)は小国だ有ったが、地味豊かな国で、海洋貿易でローマと覇権を争って、滅亡した国でした。
そのように、雑多な国が入り混じり、貿易をしていた関係で、絵をもって、何の店だかわかるように彫金看板が発達したのです。
もちろん、奴隷貿易も盛んでした。また、一般市民も、紀元前では無学の民族も多く、文字を持たない国もあったのです。
日本でも、江戸時代までは、蝦夷、アイヌ民族は文字を持つことなく、木の皮を利用し、結び目の形に依って己の意思を伝達したのです。
日本書紀、古事記は漢字が伝来した紀元4世湖ごろ、稗田阿礼が各豪族などが自己の文字記録によっていたものを統一の漢字表記にして書物を暗記させ、天皇家権威付けの必要もあり編纂されたのが日本書紀です。
ヨーロッパの諸国も文字を持つ国、持たない国も一応に等価の物々交換、または金の粒の重さによって交換していたのです。
その一例として、世界最初の休戦協定に残されたエジプトはヒエログリフで石碑(レプリカ)に刻まれていたのです。アッシュリアは楔形文字を陶板(レプリカ)に残したのです。
たまたま、エジプトとアッシュリアに行く機会を得たのでどちらも見分しました。
そんなことで、ヨーロッパのローディングブルグの古城の街並みには惚れたくなるような彫金・看板が沢山ありました。
私が、雑記帳を持ち歩き、妻と二人の日本語だけの旅ができたのもそのおかげです。
絵は万国共通なのです。素晴らしいモーツアルトの故郷のザルツブルグは、マグドナルド看板まで街並みに合わせ、ライオンと繁栄のシンボル、蔦で独特のMをインコか鷲がくちばしで支えていつものでした。
その広場で毎年モーツアルトの野外コンサートが盛大に開かれそうです。
もう、ザルツブルグはモーツアルト一色です。でも、素晴らしい街並みと、緑と看板と教会の尖塔がマッチした魅惑の旧市街です。
ヨーロッパのどこに行っても古い町並みには彫金の絵文字が店の看板としてあるのです。帆船の看板、牛の看板、鶏の看板、星の看板、ピアノの看板、それは一目で子供でも分かるのです。
それも驚いたことにソープランドの看板まであるのです。
何処の旧市街、古城の廓の街並みは彫金看板に足を止めたくなるような手の込んだ看板なのです。
きっと、からくり人形がいろいろな動作をし、王家の権威つけの技術からお店の看板に発達したのでしょう。

ドナウ川クルーズとの黄金の空間

2017.09.06 (水)

ハンガリーの首都、古城風のホテル「ヒルトンホテル」にミューの添乗員が6時に迎えに来ました。
ホテルは旧市街ブタ側にあり、ドナウ川を挟んで国会議事堂が望める好立地でした。ホテルの周りにも数多くの史跡もあり王の教会[マーチャーシュ教会」もあるのです。
専用車に乗って、ペスト側の官庁街の船着き場に行きました。まだ、時間が十分あり、30分ぐらい待ったでしょうか。夕日も西に傾き始めたころクルーズのスタッフが乗り込み、チケット持った乗客も少しずつ乗り込みました。添乗員も下船の時間になりましたらまた、迎えに参りますといって手続きして、乗船を促し、帰っていきました。バンドがガンガンと何かの曲を演奏していました。
いよいよ出発の時間になり、船は、滑るように出航し、私たちのホテル「漁夫の砦」過ぎ、教会の尖塔に陽を映し、ダイヤモンドのごとく光が尖塔を挟んで陽光が二つに分かれ、それは富士山のダイヤモンドヘッドのように素晴らしかったです。移り行くドナウの歴史、生演奏に妻は酔いしれ、ビールと葡萄酒で乾杯し、おいしい料理に二人の幸せの人生に語り合い、旅がこんなにも人生を豊かにすることに時間を忘れたのです。1時間ぐらい下ったと思います。クルーズは大きく旋回ししました。
今来た航路を戻り始めたのです。国会議事堂の上に、光を求めて、カモメが金粉のように舞い上がったり、旋回したり、急降下繰り返す様子は、とても魅力的な光景でした。
また、いくつもの架橋をくぐり、中でもくさり橋は一段と照明されておりました。
漁夫の砦も照明下で別の顔で姿を現しました。私たちの止まっているヒルトンホテルもそうでした。
マーチャーシュ教会、自由の像、ドナウ川クルーズクルーズのために周りの商業ビルも趣向を凝らし色々な光の芸術の中に一体感として、観光客にこれでもかと思わせる光の中に埋没させるのです。2.5時間の光の芸術の中に、生バンドとデナーと黄金の輝きの中で、妻と二人は酔いしれ、至福の時間に身を委ねました。船着き場について、乗客は、思い思いの夢に酔いしれたことでしょう。
添乗員さんが迎えに来て、ゲッレールと丘に行きブタペストの街の明かりを一望し、また、くさり橋と2の橋を含む光のトライアングルに見入って興奮も冷めやらぬまま、ホテルに戻り添乗員に素晴らしい夜を堪能した旨を告げ、バスタブで今日一日の疲れを癒しました。

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