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今、東日本大震災で国民の意識が変化している。
1400年の瓦の歴史に、故郷の風景に、変調を感じるのは、私「屋根屋のおっさん」だけなのでしょうか。
瓦は1400年の歴史に中で、このままでは、技能者が育たない。瓦は震災。戦災。火災。多くの災難を乗り越えて、瓦が日本の街並みを支えたのです。そして今があるのです。
TEL0480-58-0301 瓦も軽量瓦がありますよ。
ご連絡お待ちしております。
今回の長野地震で軽いと合われた金属屋根の
家屋が多数倒壊し、震源地が浅いことも有って、
被災地は広範囲に及ばなかったのです。
長野という県民性で、死者は出なかったことが幸いでした。
皆さんに瓦が重い=地震に弱いはメデアが洗脳したことを
訴えたいのです。
瓦は歴史が古いだけに、絶対数が多く目に触れやすい。
メデアはいつも誰かを悪玉にして、自分たちのメデアを通じ
購読者を増やしたい意図があるのです。
今回の安倍内閣の突然の選挙も「大義がない」と
煽り立てておるのです。
ある元警視総監の秦野 章氏が「メデアは代3の凶器」と
言っていた本を読んだことがありました。
私たち、瓦の業界人は、報道されるたびに
消費離れが進んだのです。
橋本内閣の時に、瓦 力建設大臣が国会の中で
瓦は重いから阪神大震災の時被害が出たことを
否定してくださいました。
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1970年結婚したての頃、よちよち歩きの長男・次男を
連れて鳴門海峡に行ったときです。
もちろん海峡を渡る橋はありません。
観潮船があるのみです。
ホテルの部屋から美しい瓦の屋根が目に飛び込んできたので、
撮影いたしました。
いま、同じホテルに行っても見ることはできないでしょう。
遥か彼方に行ってしまった風景です。
私が24歳のとき撮影した一族の写真です。
8人故人になっております。44年の歳月はながっかったです。
母やすの力です。
私が24歳の時建てたマイホームです。
当時は、住宅ローンのない時代でした。
お金がなく、大きな家が欲しかったのです。
鉄骨で立て、アフリカの高床式の家をまねて作ったのです。
今から46年前の発想の逆転によってできた家です。
お金ができて、1階を建て増ししたのです。
生まれ育った実家です。
雪の降った朝撮影いたしました。
1955年の写真です。
1965年円が360円のとき海外旅行に行き
初めて、飛行機に乗ったとき兼松江商の方に
撮影していただきました。男前でしょう。
ツアーも何もない時代です。
韓国1周かの旅で現在価格にすると140万円の費用でした。
久喜市・加須市・白岡町・杉戸町・羽生市・古河市・熊谷市の皆さん応援してくださいね。
連絡は0120-58-9901 または0480-58-0301
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