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濃霧中、本当に飛んでも大丈夫

2017.08.01 (火)

ヒマラヤ観光ホテルで、年越しそばとラマ僧達の奏でる独特のある笛と銅鑼の音に日本の除夜の鐘を重ね、12時を過ぎ日本の様「おめでとうございます」のあいさつをして床に就きました。
起床して、元日を迎へお屠蘇で正月気分を味わい、帰国の為ヘリの発着場のナヌチャバル向かいました。
馬の背に揺られながら当たり一面、木々は霧氷になっていました。でも、日本の霧氷と違って、上昇気流の関係で渓谷側が1CM以上の霧氷がへばりついていました。ちょうど小雪が降った状態です。
その霧の中を1時間以上も怖い思いし、鞍につかまっていたのです。馬はどうしてなのか渓谷側を歩くのです。
幅1.2mぐらいの道で時々小石が落ちる音がするのです。「カラカラ」と不気味です。濃霧のため、見通しは30mくらいしか望めません。
エベレスト街道中で、一番景観の良いナムチェの広々とした所まで来てでほっと一息しましたが、コンデリ山やタムセルクも望むすべもありません。
やっと、ヘリの飛ぶ広場の山小屋に到着です。そこには、小さな電気コンロに大きなヤカンが湯気を立ていましたが対流がなく、体が寒くてゾクゾクしました。
30m先ぐらいにお土産屋さんがあるのですが誰も居りません。

待つこと3時間、山田さんたち4人がへりに乗り込みました。その前までは100mぐらいの視界が開けていたので2台のヘリがシャンポチェ空港までピストン運転を繰り返していたのです。。
ところがです。山田さんたちが乗ったヘリは3時間たってもヘリの回転翼を轟音を立て、回したまま飛び立ちませんでした。こんな状況下で本当に飛ぶのでしょうか。
ほんの50mくらいの視界が開けた時、パイロットはヘリの回転翼を最大限回して飛び発っていきました。ヒマラヤの山々は幾重にも折り重り連なる谷へ向かってすぐ機影が消えてしまったのです。
日本では絶対にありえない飛行です。パイロットの感が頼りなのでしょう。私たちは30分ぐらい待ちました。
今朝、来た道を再び馬に乗ってホテルに戻りました。彼らがシャンポチェのホテルに無事着いたことを祈りながらヘリのフライトを後にしました。
視界の無いホテルに着いて、ストーブの前で暖を取り、夕飯を無表情まま食べ部屋に戻りました。今日のお客は私たちと旅友の3人です。部屋は無人の為、零下10度ぐらいまで冷え冷えとして居ました。
日本から持ってきた衣類を着たり、布団の上に被せて寝ましたが低酸素のため熟睡はできません。
うつらうつらしながら朝を迎へ頭の重い一日でした。皆自己責任なのです。この低酸素を放置しておくと昏睡状態になり、死に至るのです。翌朝は快晴で3000mに及ぶ段々畑をと小さな人形の様な街波の村々を眺めながら、一気にカトマンズ空港まで下降し、次の旅程の「ヒマラヤ遊覧」を楽しみながら、心は成田行きフライトに間に合うか心配しながら遊覧飛行の窓際に陣取り撮影の準備です。行きか帰り必ず窓際になる配置で安心しました。

対流、すごいですね。

2017.07.30 (日)

日本の3000mの山小屋では解らない対流のすごさを初めて知ったのがネパールです。
エベレスト国立公園ができる前に、エベレストに憧れ、自力で最高の景観のところにホテルを立てた日本人がいるのです。
彼の名は宮原タカシ氏です。最初は基礎石から積み上げ、最後は日本の山岳会の仲間と持ち前の情熱でネパール国を動かし、まず、シャンポールに飛行場を建設したのです。
大変な思いで飛行場ができ、物資の輸送が始まったのです。飛行場からは人力の輸送です。
何が1番大変だったかを尋ねてみました。なんだと思いますか。エベレスト街道を通り、風にあおられ、3.6m×2mの大きなサッシのガラスを運び入れた時が最も大変とのことでした。そんな答えが返ってくる世界一の高所にエベレスト公園が建設される前に建設されたホテルです。どの部屋もベットからエベレストの凛とした山頂を望めるのです。朝焼けのエベレスト、満天の星空、雲の流れの中のエベレスト、四方ガラス張りの屋根上の小部屋で360度の視界で見るエベレスト、周りの山々の景観のすばらしさ一度見たら忘れえぬ光景です。
昼間は気ずくことがないのですが、夜になると室内も零下15度の世界が訪れるのです。団らんできる食堂に大きなストーブに薪をくべ、ブロアーで風を送り,煌煌と炎が燃え盛るのです。手のひらをかざし、前身は暑いくらいなのです。しかし、背中はひんやりしているのです。初めは判らなかったのですが空気が薄いせいで対流が起きないのです。
妻は高山病にかかり頭痛がするそうです。島根県のIBMさんも、普段は饒舌でしたが、高山病のせいで頭痛して寡黙になったのです。
1日3回、血圧計測、体が低酸素状態に成っているかどうかの測定するのです。
寝ている時は低酸素状態のためぐっすり眠れません。2時間以上は睡眠が取れません。ひどい時は死に至ります。
妻も寝ていて、低酸素で息苦しくなり電話で酸素ボンベを搬入していただき呼吸困難から脱出致しました。
暖房は低酸素の状況化では平地のように部屋全体が温まらないのです。トイレは凍り我慢するか食堂のトイレに行くかです。
12月30日宿泊して、濃霧のためヘリが飛ばず3日まで滞在になってしまったのです。
素晴らしいホテルです。ヒマラヤ観光ホテルといいます。食材は日本から輸入するとの事でした。スタッフも日本で6か月研修を受け、シェフも日本仕込みです。スタッフ一同全員が日本語です。
対流・輻射の原理は、頭で知っていたのですが初めて味わった自然界の原理・原則がすごい役割をしていることを、生まれて初めて身にもって体験しました。

カメラはプロ級に限る。

2017.07.25 (火)

 バンコク・スワイン・プームからカトマンズ空港に行ったときのことです。
 ネパールのカトマンズ市は神話ですが水神が転んで手と足をついて出来たと言われる盆地です。朝は盆地全体が霧の覆われ、飛行機が飛ぶこと出来ないのです。
でも、20%くらいの確率で朝靄が発たないこともあるのです。
 カトマンズ市はストーパーが立ち並び、梵語がやたらと目につきます。
 空港で待つこと5時間、霧が晴れて青空か出ていきました。
 待ち時間の出来事です。私が400mm望遠レンズを手にし、うとうとていたら5~6人ぐらいのインド人が私の回りを囲み、そのカメラを貸してくれのしぐさをしていたので気持ち良く貸しました。彼らは私のカメラで写真を撮る真似をして、友人んにその姿を撮影してもらい満足しておりました。
 
 いよいよヒマラヤ遊覧飛行が開始されました。シートベルト架け、飛び立ちました。でも、なんかおかしい音がして、遊覧飛行機は滑走路に戻ってきました。エンジンの調子が悪いといって、違う飛行機に乗り換えろと指示が出されタラップを降りました。
 30分ぐらいたって、また、搭乗しろとのことでした。今度は調子よく飛び立ちました。遊覧飛行の乗客は全員が窓際の席なのです。
 往復のどちらか山岳風景やエベレストを見ることができるのです。
 20分ぐらいたった時でしょうか。スチアーデスが私に向かって「キャビン・キャビン」とキャビンを指さして指示しました。躊躇しているとまた、「キャビン」といって入って写真を撮れというのです。キャビンのノブに手をかけ、キャビンの200度の光景はそれは素晴らしく、エベレストをはじめ、アムダブラム、馬の背、何もかも素晴らしく遊覧飛行で取った写真は、私の宝物になりました。
 海外旅行はプロ級のカメラのカメラを持参することによって思わぬハプニング起きるものなのです。
 カメラはプロ級を持参しなさい。と叫びたいです。

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