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 雨漏り奮闘記 火事と喧嘩は江戸の華 瓦どんな役割をしただろう?。

2010.03.24 (水)

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  雨漏り奮闘記 火事と喧嘩は江戸の華 瓦どんな役割をしただろう?。

安土桃山時代、信長の安土城、秀吉の建立した大阪城、伏見城なども権勢の誇示の為に金色瓦が葺かれた。

そして、家康が江戸に幕府を築き、各大名に江戸屋敷を持たせた。
しかし、戦国時代普及した、瓦を財力をつけた、豪商たちが瓦を葺くようになった。

そんな中、幕府は瓦を使用することを禁止した。
豪商たちを権力で抑える目的と、『一国一城令』だし、諸大名の権勢を抑える政策に出た。

そして、『武家諸法度』『参勤交代』などの制度を発布して、
その参勤交代による消費活動で、商家も増え、江戸の人口も
世界有数の人口を有するまでになっていった。

瓦禁止令の為、広大な屋敷を持つ、大名屋敷は森に囲まれ、
江戸の大火といわれる明暦の振袖火事などを除いて、さほどの被害はなかった。

ところが、庶民のしもた屋、商家は家がひしめき、いったん火事になると、大きな被害を出し、また、消火活動の時、重い瓦の落下塔のため、被害が拡大した。

そんな中で、火災を防ぐ目的で、わら葺き、カヤ葺きの屋根の上に粘土などを置いて、燃えにくくしたが、本来の屋根の目的の、雨漏りは拡大した。

禁止令の中で、板葺・杉皮の屋根が増えていった。
庶民の知恵が、今でいう民活によって、平部の瓦のみを使用した、
『火除け瓦』普及していった。

これにより、火事と雨漏りが減っていった。
近江の瓦工人『西村五兵衛』その噂を聞いて、江戸に赴き
当時一般的だった本葺き瓦(現在神社・仏閣に使用されている重厚な瓦)より、軽くふきやすい瓦は出来ないかと、考えた末、
現在私たちが使用している瓦の原型の桟かわらを考案した。
                                            
ファイル 403-1.jpg
社寺仏閣で使用されている、重厚な本葺き瓦
大名屋敷の屋根はは本葺きで施工されていました。

ファイル 403-2.jpg
お城の代表格、姫路城
5人の大名の定紋が見受けられます。

ファイル 403-3.jpg
現存している金箔瓦(軒瓦が燦然と輝いています)
広島県の安芸の宮島の千丈閣。秀吉の死後完成することはなかった。
現在重要文化財です。内部は未完成。


                           
ファイル 403-4.jpg
近江瓦工人『西村五兵衛』が考案した現在の桟がわらで施工されたちょっと変わった瓦です。
飛騨の高山で見かけたので撮影してきました。
楠木 正成の菊水の紋が見受けられます。

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