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菩提樹 長久寺

2015.03.25 (水)

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瓦は1400年の歴史に中で、このままでは、技能者が育たない。瓦は震災。戦災。火災。多くの災難を乗り越えて、瓦が日本の街並みを支えたのです。そして今があるのです。
TEL0480-58-0301 瓦も軽量瓦がありますよ。
ご連絡お待ちしております。
大きくすると写真も素敵ですよ。ぜひ見て。写真をクリック。

歴史の中で、瓦は何度となく浮沈の中で生き残り、今は
外国人が古い街並みを求め観光に来るのです。
川越の観光客は、70%ましとか言って街並みの商店街は潤っております。
しかし、コロニアルの街並みは外国人が振り向きもしません。
なくなるものは、郷愁を感じるのです。
日本の和瓦の棟積みは、世界に類のない工法を生み出し、
庶民の家屋に普及し、15年前まで主流だったのです。
1400年の歴史が崩れようとしております。
今、全瓦連を先頭に和瓦の棟積み工法を世界歴史遺産に
申請しております。

神戸の震災から20年・東日本大震災から4年です。
太陽光発電システムの普及によって、また、個の家族構成によって、(大家族制から一家族の構成によって)片屋根の屋根が主流になりつつあるのです。
伽藍建築に残る荘厳な建物は、外国人観光客に受けておるのです。
黒い瓦も日本・韓国・中国にあるのみです。

この黒は、還元焼成による技法なのです。

ファイル 1401-1.jpg
真言宗智山派 のぼうの城で有名になった忍城主、14代
成田顯泰の開基。
成田顯泰が忍城築城の際、忍城の鬼門として武運長久を願い
建立した。
長久寺扁額

ファイル 1401-2.jpg
平成の屋根替えの時、降ろした鬼瓦を展示してあります。
約3畳敷きの大きさです。

ファイル 1401-3.jpg
長久寺本堂は平成の瓦葺き替えの際、本葺き瓦に戻しました。
この長久寺は山門から本堂が直接見ることができず、
松島の瑞巌寺(戦の時最後の砦の役を果たす戦時用の伽藍です)の造営と同じ縄張りで作られております。
瑞巌寺は伊達正宗の戦用の伽藍建築です。

富田家の墓は本堂の正面にあり長久寺の檀家の中でも
好待遇を受けていた証です。
本家富田家の墓は10畳敷きの広さです。
光子の富田家も4畳敷きの広さです。
富田家は江戸の初期からの墓と考えられます。
きっと、成田氏開城から、松平氏に城替えのころ、土着したものと考えられます。


                           

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