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記事一覧

しらざるアイヌの文化。平取(ピラトリ)村訪れて。

2019.07.04 (木)

 故星野君と塚田君と三人で二風谷の平取に行ったのです。場所は襟裳岬から苫小牧の236号線~237号線北上して日高峠に抜ける地点です。
 今は、隣町の二風谷にアイヌ文化博物館があります。
昔、萱野茂参議院議員の出身です。

アイヌは全ての物に命が宿ると「自然崇拝」なのです。北海道の厳しい環境の中で生き抜く力を養ってきたのです。アイヌの伝統的住まいは「チセ」と言って入り口が風よけがあり、開口部は90度にズレているのです。何か、壁に日干しレンガ、牛糞を塗ったヒマラヤの家々を想像しました。
 土間に、いろりを炊き先人たちの知恵を受け継ぎ、輻射熱と対流を利用していたのです。特にアイヌの衣服は特色があり、おヒョウのの皮を晒し、紙縒りをかけて地機で織って独特の文様(刺繡)をつけたものです。
  記憶が薄れましたが、数十年前ですが池袋西武で見たのです。アイヌは縄文時代には関東以北に住み、地名等にアイヌの地名が残っています。水辺の葦の原を「アバ」と言います。これはアイヌ語です。

 アイヌは文字を持たず大和民族と同化されてしまいました。インカ帝国もスペインに200人足らずの狼藉ピサロによって滅亡したのです。
 悲しい歴史は、インデアン、エスキモーと共通してます。

 現在は、北方アイヌのコルボックス( 小人族 蕗の下に住む人) は追われて千島列島に移らざるを得ず、北海道には存在しません。
 アイヌの食卓はひえ、粟、イナキビ(赤米に似た穀物)、豆、じゃ芋、熊、エゾシカ、鮭、シシャモの魚貝類です。自然食品で、固く良く、添加物がなく、咀嚼しないと消化されないのです。
 平均寿命は、私たちより長生きなのです。北方アイヌ人はアムール川の人々と交易があり徳川家康(首飾り)に献上した青い色の玉は大層喜ばれ、松前藩の献上品になったのです。和人が思ってるより、今のロシアととの交易でハイカラでした。

九州で旅友なった佐久間電機の御曹司とあって(南極犬タロウとツーショット写真)

2019.07.04 (木)

 思い出話ですみません。
 私は25歳くらいの時でしょうか。まだサラリーマン時代です。石狩本線が勝狩峠に駅があったころです。最後尾の列車に乗車すると汽車全体が撮影できるということで3人(私。故星野、塚田君)で乗り込み、忘れましたが乗り換えて襟裳岬に行く予定でした。間違えて札幌に行ってしまい、厚かましいと思ったのですが札幌の公衆電話で電話したところ快くOKでした。

 札幌について、ムジナ横丁で初めて食べる札幌ラーメンは美味しかった。逍遙通りを歩き、ここが雪まつりの会場なんだと一人納得してました。
 土産物屋で熊の彫り物を購入し満足していました。彼はアイヌ人ですが木村と言っていました。こんな話をしてくれました。アイヌには春と秋に体毛が抜け替わるそうです。縄文時代に凍った海をロシアから渡ってきた民族です。その中に阿弖流為という蝦夷の長が源義家(八幡太郎)にで敗れ、京の都まで護送され、義家は阿弖流為の勇猛さに感服し、さらし首しないよう嘆願したが、五条河原でさらし首になってしまいました。義家の手植えの桜が鷲宮神社の境内に植えられております。
 佐久間さんは、札幌時計台や北大のポプラ並木に案内してくれました。最後に南極犬タロウを見ていきますか?。こんな機会はないとお願いしました。北海道の植物園の大きな冷蔵庫の完備の中から知り合いにお願いして、出していただき足が太いの子供なら載せて駆けられるのでは思うほどでした。

間宮林蔵はスパイだった?。(利尻・礼文の旅)

2019.07.04 (木)

 北海道は梅雨がないと思って、高山植物がみられる誘惑に負けて、利尻・礼文島の旅に出たのです。
 観光船で降り立つと、外国に行ったような不明な文字が道路識標に表記されてにガイドさんの説明でロシア語と分かったのです。今は、ハバロフスクまでの定期航路があるのです。

 ガイドさんが教えてくれたのですが、利尻島に信号機がないのです。 信号機がいらないのですが学童が都会に出て困るとの教育的配慮で1ヶ所だけ設置してあるのです。

  それだけでなく、私が気い付いたのですが嫌に神社が多いのです。私の想像ですが、故郷を離れて村民の集団が開拓に汗を流し、村民が極寒地で助け合った証が宗教に心安らぐ時を持ったのでしょう。
 
 驚きの連続ですが、利尻島の島民の収入が全国平均を上回るのです。現在は、浜に捨てられていた昆布の屑から、カニの殻まで加工して、コンドロイチンや調味料になっているのです。捨てていた物が渋沢栄一(お金)になるそうです。
 
 礼文島の海の見える崖の上、に小さな小学校のブランコが、雪をかぶって心なしか海風に揺れていた吉永小百合主演の「北のカナリアたち」がブログを書きながら脳裏に浮かんできました。もし、現実だったら冬は道のないような坂道を歩かなければなりません。小学生がです。親としてできますか。

 私の記憶は、70年前だと思いますが皆既日食の礼文島のイメージがあります。覚えているのは天体に興味があったからでしょう。同じ年に利根川の決壊もあったのです。

 間宮林蔵が凍てつく海が氷結した冬、樺太に渡ったのです。彼は幕府のスパイで紙幣がない時代、他国では金の小粒が流通して、懐に入れ持ち歩くときに見つかりそうなので原住民や漁民夷に変装し、ごまかしたのです。その苦労が大変だったそうです。いつ終わるか判らない探検です。大量に持参しなければ飢えるのです。幕府が統治していたのは南の函館、松前藩の所領だけでした。伊能忠敬以前の人物です。
 最後ですが氷雨たたかれた寒い北の旅でした。海鳴りが否応なしに耳につく光子との旅行でした。