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悲しみの鳴子のこけし

2019.07.10 (水)

 最近、野田市で父母による虐待で10歳の栗原心愛ちゃんのニュースがあり、両親は逮捕されましたが行政の対応が遅れたことに憤懣やるかたない思いと思います。

 日本の歴史の中に埋もれだけであって、子殺しは過去の歴史たくさんあるのです。鳴子のこけしもお土産として売られておりますが、東北地方は寒冷地のために飢饉に見舞われることが多く、生まれたばかりの乳児は「間引き」されたのです。
 日本は儒教精神がいきわたり、尊属殺は重罪だったことを考えれば解ると思います。特に江戸時代は三大飢饉と呼ばれているのが、元禄・宝暦・天明の飢饉です。浅間山が噴火した天明の飢饉は関東・東北に被害を出しました。

 私の推測するに、天明の飢饉の後「参勤交代」のまたは陸奥(みちのく)に往来する人、行商人などが買い求め、あるいは湯治客などがお土産として買い求め、故郷へ持ち帰って土産になったと推測します。
 鳴子のこけし「悲しみのこけし裏」にあった話と思っております。

 現代は尊属殺・卑属殺も同等になり、すべて個人として人権が守られています。そんなことを思いながら、社員旅行で鳴子温泉の湯に浸ったのです。朝起きて、下駄をしながらこけしの工房を覗きこけしを6本ほど買ってきました。桜井工房・国崎斉司氏・松子氏他3店工房のです。
 こけしの歴史は、江戸末期と言われております。天明の飢饉後と重なる気がいたします。明治は「富国強兵」列強に肩を並べる如く殖産に政治が舵を切ったのです。

岩崎弥太郎がこよなく愛した八幡平

2019.07.10 (水)

 東北一人旅は、仙台・松島から始まって、特急列車で仙台をたち平泉に立ち寄った。平泉は陸奥の王者たちの100年の栄華を築き上げ、鎌倉、京をも上回る素晴らしい都だった。北上川やその支流で産出する砂金と10万頭の馬をバックボーンに栄えたのです。

 平泉のことは、前述したので割愛させていただきます。平泉の中尊寺等を観光して、ゴールデンウイークの八幡平に向かったのです。路線バスに揺られながらテキサスの山々を見るような赤茶けた風景に初めて遭遇し、こんな無機質の大地を弥太郎はこよなく愛したのか理解できなかったのです。
 後でわかったことですが、東京駅の八重洲口付近の三菱館に行ったときです。私が見た風景でなく青々とした牧歌的な牧場の風景だったのです。私は、荒涼とした風景しか見てないので間違ったイメージの中に気が付かなかったのです。
 私の見た風景は、鉄鉱石の採掘場跡地だったのです。当時は、鉄鉱石が採掘されていたと思います。

 頂上近くまで行くとゴールデンウィークに雪景色です。スキー場があったのでリフトに乗って滑ってみました。高3の時、蔵王スキー場に行って以来の事です。もしも、捻挫したら一人旅でどうすればいいんだそんな不安に駆られ1回で辞めました。

 2回目の八幡平はやはり5月でした。雪のため、観光バスが、これ以上は通行できないということでホテルの入って昼食をとって露天風呂の入ったのです。酒好きのご人であったら、雪見酒と言いたいほど素敵な雰囲気を味わった一時でした。旅の醍醐味を堪能したのです。

 観光バスが通行止めで動けなっかたところにのですがおばちゃんがアイスを売っていたのです。物好きの私は寒い中買ったところ、それは美味しかったです。そういえば、ロシア人も真冬に暖炉の前でアイスを食べる話を聞いた記憶があります。