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「賽は投げられたリ」のルビコン川を渡って

2017.10.24 (火)

ルビコン川は、イタリア北部の十和田湖の面積ぐらいの小さな共和国(サンマリノ)の北側にあって、運転手も現地添乗員も初めて訪れるほど有名な割に、誰も知りえなかったのです。
旅友の織田さんの発案で行くことになったのです。今回のシルクロードの旅でルビコン川を知らない人はおりませんでした。
9月というのにヨーロッパの冬が近づき、牧草地にはロール状に巻いた牧草があちこちに点在しておりました。いかにも晩秋の風景を映し出しておりました。
ポプラの防風林が北イタリアの畑の作物を守っていました。ルビコン川を地元の人に聞きながらバスは南下したのです。途中、初めて見るイスラム教のお墓を車窓から眺め、空は、雨上がりのせいでしょうか厚い雲間から太陽光線が放射状にどんよりしたアドリア海に吸い込まれる光景が広がっておりました。
何かルビコン川の観光によく来てくれたと歓迎しているようにも思えました。
約1時間ぐらいして、ルビコン川の橋に到着したのです。川幅30mもしない小さな川でした。海に近いせいですかモーターボートが多数係留されておりました。
訪れる人もいないのでしょう。何の変哲もなく、公民館のような建物と民家があるくらいでした。
土産物屋もありません。このルビコン川も数千年に及ぶ歴史の中で氾濫、埋め立てなどの河動があり、シーザーが渡河した地点は論争の的ですが不明です。
しかし、25km足らずの流域です。川幅も、狭いところですと3mぐらいだそうです。私たちが行ったルビコン川は、海岸線まで1kmくらいのところでしたので比較的広かったのです。当時のローマ帝国では、北はルビコン川、南はブリンディシュを前に軍を解かなければ謀反者とみなされ、法を犯すことになるのです。
その時のシーザーは7万~8万の軍勢を統率していました。
ところが、シーザはあまりにも優れた軍人であったため、元老院が政敵とみなし、追い落とそうと画策したのです。
シーザーはそれを見抜き、自軍の兵に名演説を行ったのです。それが有名な「ここを渡れば人間世界の破滅、渡らなければ私の破滅。神々の待つところ、我々を侮辱した敵の待つところへ進もう、賽は投げられた」でした。
ところが彼に付き従ったのは、1軍団(500人~1000人)のみでした。
しかし、彼の行動は早く、1日でローマ入りを果たし、ポンぺウスが軍団編成もままらぬうち、ローマを制圧したのです。
その後,執政になり、皇帝になるのです。
彼は、文学者としてもすぐれ、「ガリア戦記」(現在のフランスでの7年に及ぶ戦いを三人称の立場で書いて、真実性を持てせているのです。その記述は正確で、歴史の記述として、価値が認められているのです。
その後、我々は東ローマ帝国コスティフタアンスの開いたの最初の都、ラヴェンナに向かったのです。

世界一小さな国ドブロブニクとサッカーのクロアチア

2017.10.22 (日)

アドリア海の海岸線をコソボ、ボスニア・ヘルツェコビナ走りクロアチアに到着、周りの山々は白い石灰岩の隆起の山並みです。
いま、モンテネグロを訪れる観光客は、70%がロシア人です。
かって、バルカン半島の大部分をチトー大統領が収めていたのです。
今は、7つの国家に独立したのです。
コソボの紛争が勃発し、一人の少女がアメリカの友人に送信したメールが世界中に広がり停戦にいったのです。もちろん、国連も仲裁に入りました。NATOの空爆もありました。私たちが行ったときもその爪痕が旧市街やスルジに登るロープウエイも砲撃を受けて破壊されましたが、3年前にやっと再開したのです。
観光客は避暑地のドブロニクスの日の当たる部分のみを目のあたりにして、楽しむのです。しかし、歴史の中に影の部分があることに気づいてください。
そして、世界一小さな城郭都市ドブロニクスのヨットハーバーの目の前のレストランに到着したのです。
今日のランチは4星レストランの海鮮料理です。日本人にとって、海の幸は何とも言いがたい物があります。たらふく食べて、現地ガイドさんが到着。この旅の女性軍と写真を撮って、驚きです。スイフトのガリバーと小人のようでした。彼はしんちょう2mを超すそうです。
このドブロニクスは地中海貿易で栄え、すべての国家機能を有しております。議会、礼拝堂、警察権、裁判所、軍隊、監獄に至るまであるのです。
ドブロニクスの最大の観光は城壁の遊歩道の観光です。私にとっては尚更の事です。赤い屋根瓦といっても、平板、洋瓦、スパンッシュ色々あります。また、業者として見る目も違います。棟の収め方、棟飾り素晴らしい景観を堪能しました。
城壁のあちこちに砲台があるのです。また、城壁のコーナーに部分に白いテントが張られ、小さなレストランもあるのです。また、海に飛び込むこともできるのです。
城壁の遊歩道から、ビザンチン時代のバジリカ教会の尖塔、大聖堂、プロチェの門上のドブロニクスの黄金の聖者像(ヴェネチアの襲撃のお告げを告げたヴラホ)なども垣間見ることができます。
話しはそれますが、多神教のデイオクラチヌス帝が治めていた時、自らの金貨を鋳造し壁に埋め込んだのです。しかし、ローマ皇帝の時代になり、ゴミや糞尿のため場になっていたものを学者が発掘し、今は素晴らしい観光資源になっています。
小さな城郭都市ですが、観光資源には事欠きません。柱頭広場、成人の巨大な像、ブラッツ通り、スポンザ宮殿、マリア大聖堂、スルジ山の旧市街の景観、疲れたらジュピター神殿の脇の粋なカフエでコーヒーでも飲むのも日本では味わえないひと時です。
また、ハトの群がる噴水の広場でボーとするのも良いかもしれません。
忘れていました。人口450万人の小国でサッカーの天才が排出されるのかです。それはDNAの神の仕業なのです。それに加えて、良いコーチの育成があり、良質なプログラムがあり、すそ野が広いのです。日本体操のように歴史があるのです。
また、いかに日本人が訪れるか「日本語」で書かれたコーヒーショップ、土産物店があるのです。このドブロニクスこそ町全体が世界遺産であり、観光都市なのです。また、ガイドさんの説明ですと、豪華客船の5~6万円ぐらいで地中海クルーズを楽しむことができるそうです。

戦争の爪痕「トーチカ」も観光資源

2017.10.21 (土)

このマケドニアは10年前にソ連のゴルバチョフ時代のあと開国した国です。ユーロ圏の中では農業国で最貧国にあえいでいます。
私たちは、私たちはオフリド湖を挟んね対岸に来たのです。景色が一変したのです。そこにあるのは韓国と北朝鮮が対峙している38度線の板門店の様相でした。
板門店は南北挟んで2Kmが中立の国境線です。ここは美しいオフリド湖ありますが両岸ともマケドニアです。
そこにあったのは高さ3.5mくらいのトーチカ(鉄筋コンクリート造り防御陣地で軍事用語)です。厚さ1.5mはゆうにある機関銃の対敵体設備でした。今は、一部が切断され、使用できませんがソ連時代の遺構です。
まさか、こんなものがあるとは予測しておりませんでした。
まして、中に入って眼下を覗き見ることなど考えてもなかったのです。
モンテネグロ・ヘルツコビナに行く途中多数見かけたのです。
所によっては、隣どうしにあるのです。不思議に思って、ガイドさんに尋ねたのです。
どんな返事が返ってきたと思いますか。北朝鮮と同じく脱マケドニアを恐れて、国民の逃亡の防止なのです。ソ連という国は恐ろしいですね。日本軍もトーチカを満州とソ連国境の黒竜江(アムール川)に設置し、ソ連の侵攻を防ぐためでした。
こんな戦争遺跡を今、マケドニアは観光資源として考えているのです。
もちろん、アレクサンダーの遺跡、また、フィリップ2世のベラの遺跡、ヴェルギナ遺跡、博物館あります。
ヴェルギナ博物館はギリシャの芸術と黄金文化の博物館です。また、フイリップ2世の墳墓は是非ご覧ください。
マケドニアにはソ連時代の赤さびた工場や陸橋などもあって、アレクサンダーの光の遺跡とソ連時代の暗黒の遺跡が併存しているのです。
また、この国の贅沢は農家の経営する食堂で食事をするのが真の贅沢だそうです。また、ユーロ圏は、国境がないので隣国からもランチやデナーを楽しみに来るそうです。

オフリド湖と千の窓の.ある.町世界遺産に

2017.10.20 (金)

ホテルの小高い丘の上から望むオフリド湖は紺碧の湖でした。このオフリド湖は氷河期に形成され、ヨーロッパでも古い湖で、ギリシャのアレクサンダー大王の故郷もあり、古代ローマ帝国やオスマントルコ帝国の支配を受け、多くの世界遺産が存在しています。
また、ノーベル平和賞の受賞者マザーテレサの生誕地でもあります。
このオフリドの旧市街には、マケドニア正教の聖ソフィア教会があります。この教会も歴史の変遷でキリスト教、イスラム教、マケドニア正教と移り変わったのです。
ヨーロッパの遺跡は遺跡の下に遺跡があって、何重にも折り重なっているのです。もちろん、ポンペイ、トロイや他の遺跡を含めて、宝物探しの盗掘があって、その後、学者たちが気の遠くなるような発掘調査をして、出土品にX線照射して、解明していくのです。このオフリドの市街にもローマ時代の劇場あるのです。ローマ時代には、大きな市街があって栄えていたです。
現在、聖クリメント教会は紀元300年ごろ、神殿が建てられ、前庭の下には古代ローマ時代の神殿を現在見ることができます。
オスマントルコの影響下で街造りが行われた旧市街は、経年変化の苔むした赤瓦と白亜の壁に観音開きの焦げ茶色の窓があって、階段状の山肌に千の窓のある街並みが立ち並んでいます。
よく見ると、防火壁のうだつがあるのです。お店は川沿いの道路にあって、素敵な街を形作っているのです。
また、川につり橋がかかり、ローマ時代の角石の街並みが対岸にあって、ローマ正教の街並みと尖塔のある教会が中良く併存しているのです。
対岸の街並みは、重厚なドア、木々の生い茂る住まいに囲まれていました。
私たちは聖ヨハネ・カネヨ教会のわき道を下り、船に乗り、教会を望みながら新市街のお土産屋のある桟橋につけました。
オフリド湖は水が澄んでいて、カワウが飛び立った後、鱒でしょうか
魚が沢山泳いでいて、日本の十和田湖を連想しました。

また、ガイドさんの案内でアイスクリームがおいしいということで買い求めました。
このオフリド湖は淡水の真珠の希少な阿古屋貝が有るのです。その希少な淡水湖の真珠のネックレス買い求め、妻は喜んでおりました。
淡水の真珠は色々な所を旅しましたが初めて出会たのです。ロシアの女帝エカチェリーナ2世がこよなく愛した真珠のネックレスだったことは知っていたものですから、迷わず買い求めたのです。
城壁のある町まで行って見ました。当時の街並みに鉄格子がはめ込まれ、いかにも戦国の時代を反映している街並みかを彷彿とさせる趣きでした。
この城壁の日本語を片言話すレストランで、ランチを皆と騒ぎながらワインを飲み、楽しいひと時を過ごしました。

夕焼けのアドリア海のんびりと

2017.10.20 (金)

日本の海は、護岸の為にテトラポットがどこに行ってあります。特に日本海の浸食は激しく、防波堤あっても年に0.4~1.2mぐらい浸食されているのです。
その為、日本海の海岸線は断崖の風景が多いのです。太平洋側は、氷河期のリアス式海岸が河川浸食によって出来たのです。
このアドリア海は地中海に囲まれ、さらに、アドリア海はイタリアの靴のかかとのような地形に囲まれ、湖のように波がないのです。アドリア海やエーゲ海の島々は海岸線まで、赤瓦と白い壁のリゾート地が多いのです。テトラポットない風景は日本人にとって美しく感じるのです。
朝夕のホテルの砂浜は、地元の人たちでごった返すのです。何するわけでもなし、夕涼みの人、散歩をする家族ずれ、ジョギングする若者、水平線に真っ赤な太陽がゆっくりと沈み、何をしているわけでもないのです。
日本人はせせこましく、こんな時間を持つこともなく、夕餉の支度、残業をしないようにと仕事をてきぱきと片付けるのです。
きっと、マケドニアが、世界から鎖国をして、隔絶の時間に10年前にやっと開国したのです。経済的には世界の最貧国にポーランド同様甘じたのです。
しかし、心と時間のゆとりは日本人には解らない何物かを得たのです。
どっちが幸せだか解りません。日本は世界から「エコノミックアニマル」と揶揄されているのです。
しかし、夕闇の帳が下りて、海岸線に星が明るさを増すと、街中は、ルーレットのお店か開き、バーのききらびやかなネオンが光り出すのです。でも、日本のような派手さはないのです。
日本人はパチコンですが、マケドニア人はワインを傾けながらルーレット楽しむのです。
日本人は、ここでも、損をしたか儲かったかアニマルのなるのです。

テッサロニキのデモと落書き

2017.10.19 (木)

エーゲ海に入ってヨーロッパ風の街並みが夕日に映えて美しかった。カヴァラ街には曲線を描いたローマ水道や山の上に城壁あり、ビザンチン帝国の名残なのか、街かどにキリストと聖母マリアの像がありました。
ホテルはエーゲ海を眼下に収め、久しぶりにテラスでのんびりと過ごしました。
現地の添乗員さんの社長さんが日本製の電気釜と日本のコシヒカリの白米と和風のエーゲ海のシーフドを堪能したのです。周りには、お腹の大きいギリシャ人が駄弁っておっりました。満腹感に満たされながら、テッサロニキの街に入るとまちのいたるところが封鎖され、デモが行われておりました。ギリシャはユーロ圏の中で、債務国でした。
どうして、ギリシャは債務国になったか。まず、ギリシャの債務額を知らずにユーロ圏に加入させたのです。本来であれば債務額が多ければ、借入金利を上げなければけいけなそうです。
ところが、ユーロ圏は、単一金利の原則あるのです。また、ギリシャ人は国民性が楽観的なのです。しかも、農業と観光で国の財政が成り立っているのです。
しかも、農業は全ギリシャ人の大きいお腹を満たしても余るのです。
日本と違って公務員の数が45%を占めるのです。ちなみに、日本は10%に満たないのです。
それのも関わらず、労働時間は、AM7:00~15:00までなのです。しかもPM21:00に夕食を取って1日が終わるのです。
デモをしていても、このパターンは変えないのです。昼食後18:00まではデモは再開されず、休憩後家族と団らんとり、18:00に再開されるのです。
どうして、こんなことができるかは、義務教育が2部制になっているのです。
日本と時差があるのです。九州と同じで1時間午後が長いと思ってください。
しかも、大きなお腹を抱えて、「飢えてしまう」と訴えてるのです。民間人は、冷ややかに見ているのです。当たり前でしょう。街中はいたるところに落書きがしてあり、若者たちは、就職先がないのです。
こんな町でも、ランチタイムにギター弾きがやってきて、帽子にお金を入れてくれと請求するのです。金持ちの日本人目当てでしょうか。
しかも、ドイツのメルケルさんも甘かったのでしょう。
その後、ユーロ圏はイタリア、スペインと債務国が増えるのです。また、日本と違って、義務教育の授業は2部制で、小、中学は8:00~13:45なのです。その後にもう1度別の小、中学性の授業をやるそうです。国が変われば、学制も違うのです。面白いですね。
日本のゆとり教育と同じで、1度制度ができると成人になっても変われないのです。

旅は人、人は食、そして人情

2017.10.19 (木)

人は何の為に旅に出るのでしょう。旅はその人に感動をあたへ、心を豊かにします。昔は、日本では、「~講」といって集団で旗を立て出かけたのです。東海道、中仙道、水戸街道、日光街道、などの五街道を往来したものです。有名なのがお伊勢参りです。お伊勢参りは特別で奉公人は無断で出かけて咎められなっかそうです。今でもあるのが学生の修学旅行です。大人になれば、酒と女つきものです。各宿場には女郎屋はもとより、旅籠に飯盛女がいたものです。
食は各地の郷土料理でしょう。昔は流通が良くなったのです。いまでも、グルメを求めて、旅をしますね。そして、各地のグルメカメラに収め、ブログにアップするかたも多いです。私もオランダのコロッケ、スペインのコカ、インドのカレー、トルコのチャイ、シルクロードのハミ瓜私でさへ、撮影した。この間、初めて知ったのですが、旅を職業としている方が結構いるのですね。もちろん妻帯者です。2人女の子のと父親です。市役所の職業欄は「旅人」です。
最初は相当悩んだそうです。奥さんが子供と私を食べさせてくれるのら「いいわ」OKしてくくれたのです。元の職業は塗装やでした。
なぜ、腹をくくったか、それは、ある時、自分の自分の下に60歳くらいの弟子が入ったのです。その姿を見て、わが身を疑ったのです。
今は水性塗料ですが、当時は、シンナーで希釈したのです。前歯が抜け、手が小刻みに震えているのです。それを見て、自分の将来を見てしまったのです。
それで決心し奥さんに相談して、お天道様の下でガンバレばなんとかなと思ったのです。
今は、石垣島に拠点構え、スッタフまで雇うことができ、クルーザーを所有する身のなって、辞めてよかったと思っていますとありました。
また、スッタフを募集して会社にしようと思っております。
仕事の依頼人は、航空会社、旅行会社、また、旅行案内人、地方のTV会社などです。探せばあるものです。自分でも「ブローガー」として充実した生活をしています。
よく考えたら、シルクロードに行った二村さんもその一人のような気がします。
私の心の片隅にもそんな気概があるのかも知れません。サラーリンマンは会社を辞めたら終わりです。50代から英語、写真撮影、作文を勉強したら面白いと思いますよ。
旅の出会いに人情はたくさん生まれます。人脈がまた、お金を生んでくれるのです。百聞は一見に如かずです。
人生楽しく生きるのが当然なのです。
ちなみに、「旅人」の募集金額は、日給9000円だそうです。詳しいことは「旅人・職業」でHPで調べたください。

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