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美人がの上村松園展を鑑賞してきました。『たかが瓦、されど瓦、世界遺産に使用されている資材だよ。』瓦屋さん・雨漏り奮闘記

2010.09.28 (火)

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美人がの上村松園展を鑑賞してきました。『たかが瓦、されど瓦、世界遺産に使用されている資材だよ。』瓦屋さん・雨漏り奮闘記

TEL0480-58-0301
ご連絡お待ちしております。

上村松園は女性で初めての文化勲章受章者で、京都に生まれ、
幼いころ、父を亡くし、母一人で、お茶屋をやりながら、娘の一生の心の支えになったのです。
しかも、私たちの幼いころでさえも、絵描き貧乏と言われた時代です。
その、はるか60年の前に生まれた人です。

にもかかわらず、母は親類縁者の反対を押し切り、好きな道に進ませたのです。

母の愛の深さと、経済的支えは、われわれに想像できません。

松園を京都府画学校に進学させ、20歳ごろには松園は画壇で頭角を現し、文部省美術展覧会など、各種展覧会に出品し、認められたのです。

それは、幼いころから、母のお茶屋の店先で、人々の生活、人情、あるいは女の振る舞いなどを、見ては絵を描いていたのです。

その松園の遺伝子を引き継ぎ、上村松篁、上村淳之を生んだのです。

松園は髪の生え際を薄い墨で何度も描き、あたかも本物のごとく、素晴らしさを描き出したのです。

また、江戸時代の絞り着物の模様も、丹念に描き出しております。
それだけでなく、着物の刺繍の糸の一つまで繊細に描き、浮出て我々の眼前に迫ってきたのには驚きを感じました。

松園の  描く世界に  見ほとれて
   夢の世界に  我は彷徨い(さまよい)

こまやかな  指震わして  鼓打つ

蛍飛ぶ  すだれを通す  女(おな)ごころ

舞仕度  心の張りが  我を打つ

夫(おっと)出し  心ざわめき  砧打ち

松園の絵を鑑賞して、創作してみました。
お笑いください。 

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近代国立美術館前の竹で創作されたオブジェ

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昔、サラリーマンの時、室町3丁目のユニカーの本社まで通勤した懐かしい、神田駅のガード下。
今も昔も、50年の歳月が流れても変わっておりませんでした。

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三菱が夢見た美術館 丸の内新館に行って

2010.09.27 (月)

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今回、新聞を見て三菱1号館(丸の内)新館完成に伴い、岩崎家4代にわたって収集した『至宝の岩崎家と三菱ゆかりのコレクション』展が開催されておりましたので、彼岸のお墓参りを済ませ、雨の降る東京の丸の内に出かけてみました。

東京に着くころには、雨もやんで曇り空が迎えてくれました。
入館を間違い正面なく入ったものですから、まず、レンガ作りの記念館が目に飛び込んできました。

それは、まさに明治と近代の錯綜する世界でした。
屋根には雪割りという飾金具と避雷針・玄昌石の屋根が
私の目に『これが明治の美、コンドルの傑作』として強烈に結びつきました。

また、レンガの赤、玄昌石の黒、暖炉のチムニー(煙突)の白が
絶妙なバランスで、暖かく迎えてくれたのです。

そればかりでなく、庭園のステンレスのポールの大きな輪、ドーマー、ビルの窓の直線、吹き抜けを支える円柱の白、どれをとっても、明治と近代が絶妙にバランスが素晴らしかったです。

美の発見、ちょっと得した気分を味わいました。

作品・収集の鑑賞で少し疲れたので、粋なレストランで
小腹を温め、定員の(大学生のアルバイト)A子さんが気さくで
少しの間、素晴らしい会話が弾み、楽しいひとときを過ごしました。

「橋本 雅邦の龍と虎」の2双の屏風画岸田 劉生の麗子などもあります。

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A16のピザ焼くレンガの窯と炎とフライパンの強さと暖かさの美

                           
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A16の店員A子さんと妻光子のツーショット

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私と光子
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岩崎家夢見た美術館『三菱記念館』開園『たかが瓦、されど瓦、世界遺産に使用されている資材だよ。』瓦屋さん・雨漏り奮闘記

2010.09.27 (月)

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弥太郎が江戸に出てきて、商売で財をなし、明治政府から、当時荒れ放題だった丸の内一帯の陸軍用地を、当時のお金で125万円で払い下げられたそうです。

あまりにも荒れ地だったので、ある人が「そんな土地、買ってどうするんだ』聞いたそうです。
弥太郎いわく、『牛でもかって牧場にするさ。』と言ったいわくつきの荒野で当時、そこを三菱村と言ったそうです。

それが、今は丸の内と言えば、霞が関と並んで東京の官庁街の一等地です。

そして、三菱はこの一帯に美術館の街をイギリスに並んで、地震に耐える西洋的な街作りを進めたのです。

そんな壮大なグランドプロジェクトを三菱3代は温め、
今回の記念館の開設になったのです。

この記念館は、イギリス人ジョサイア・コンドルによって設計され、建設には至りませんでしたが150年の時が流れて、コンドルの設計した図面に基に、今回完成したのです。

そして、丸の内近在には、山種美術館、サントリー、ブリジストン
美術感が肩を並べて立っています。

私が不思議に思っていることがあります。
この辺一帯のレンガ街のレンガは、日本郵船の一件で争った渋沢栄一の会社、深谷の「日本レンガ」製か茨城県野木のホフマンが窯の「下野レンガ」のどちらだろうと頭をかすめました。

でも、岩崎弥太郎は後藤象二郎の肝いりで、土佐藩の海運業を引き継ぎ、三菱が出来たのです。
実はこれは坂本竜馬のパクリです。

当時、誰が一番偉かったのでしょうかね。
難局に英傑が出る事はいつものことですが。
沢山出て、日本の国は救われたのです。

話は違いますが、三菱のダイアモンドのシンボルマークは岩崎家の三つ重ね菱と山之内家の三つ柏の紋合わせ、デザインしたものです。
もちろん、現在に至るまで、変遷はありました。

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オーストラリアのパースで見た明治と近代の調和のとれた建物。
建築設計家コンドルの図面をもとに150年の歳月を経て実現しました。

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素敵なドーマに白の大理石に縁取られた、窓は美しいですね。

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曲線と直線の美です。
よくご覧ください。

                           
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この銀杏が黄色く色ずくとこの記念館は一段と美しさを醸し出します。

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白い大理石に縁取れ、白熱灯の発色の暖かさとのバランスが粋ですね。

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浜田 庄二郎さんが世に出した土の温かみのある須恵器、「益子焼」を買ってきました。『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』太陽光発電(ソーラー)もやってるよ。久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』

2010.08.14 (土)

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浜田 庄二郎さんが世に出した土の温かみのある須恵器、「益子焼」を買ってきました。『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』太陽光発電(ソーラー)もやってるよ。

浜田庄二郎さんが益子の良さを、世に出すまでは、本当に田舎のお百姓さんが半農・半陶の雑器を作っていたのです。

浜田さんが土の温もりのある須恵器に驚き、自ら工房も作って
作品作りに半生をささげたのです。

厚手の不細工な焼き物は、母の慈悲のごとく「暖かく、人情」を感じたのです。

白磁はなく、どこか田舎者のような不器用な焼き物です。
生地に鉄のような斑点がはいり、泥臭いのです。

それがまた、温かみを感じさせるのでしょう。

私も、その不器用な、しかもどこか温かみのある焼き物に、引かれ
求めてきました。

そして20年らい使用して、愛着がわいております。
無くなった母の愛を感じるのかもしれません。

浜田庄二郎さんありがとうございます。

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生地の小皿が美しく並べてあったので、見惚れたので撮影しました。

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モノトーンの美しさです。

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光と影の美。
焼き物を焼くとき、ひずみが入らない様に、また、直下火から守る
外側の器
                           
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さやの棚です。

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湯のみとコーヒーカップの生地

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田舎の猿が原宿に行ってきました。太陽光発電の補助金をGETしてエコ・ライフをしよう。 

2010.08.12 (木)

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田舎の猿が原宿に行ってきました。太陽光発電の補助金をGETしてエコ・ライフをしよう。

原宿の駅を降りた。
古風なレトロの駅です。
なぜか誰も入れないホームがあるんですよね。
初詣だけ、明治神宮の参拝の時だけあけるのでしょう。

橋の向こうに39年のオリンピックの丹下健三の雨漏りのする
大きなオリンピックの時中央会場として使われた、日本のつり橋を想起させるでっかい建物が見えますね。

丹下健三に言わせると、デザインが良ければ、雨漏りは仕方がないんだ。そんな彼のコメントを読んだことがありました。

我々はそれをどうにかして、治さなきゃならんのです。
猿の集団も結構大変なんです。 
解りますか。猿の叫び声が。

猿に言わせると、雨漏りする建物、奇抜なの俺だってできるぞ。
でも、構造計算、猿には少し難しいかな。
 
                                            
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原宿の立地条件の良いところでも、デフレの波は押し寄せているんですね。
駅から近いのに、ビル全体が空きビルも見られました。
驚きですね。

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カッコいいビルが多いですね。
でも、凹凸のあるビルのガラス掃除どうするんでしょうね。
ロッククライミングには格好の練習場ですね。
山男募集でしょうね。

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この常夜灯、今では明かりが入りませんが、江戸時代は世の中を明るく照らしていたのでしょう。
それとも、明治になってから建立されたのですかね。
立派な常夜灯ですね。
早く明るい世の中にして下さい。
民主党の皆さん。でも、菅さんでは無理かな。

                           
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こんな何げない風景も20年たったら貴重ですよ。
人の格好は世につれ、変化します。
フアッションは移ろいやすいものです。

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蝉の声、連日30度、涼を求めて戦場ヶ原へ『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』

2010.07.07 (水)

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蝉の声、連日30度、涼を求めて戦場ヶ原へ『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』

戦場ヶ原は、太古の昔、赤城山のオオムカデと男体山の大蛇が
この大きな湿原で死闘を繰り返し、男体山の大蛇が勝ったそうじゃ。

もともと、この戦場ヶ原は、男体山が大噴火をおこし、
そこを流れておった、湯川と言う湯ノ湖から流れ出ていた
川をせき止め、湖ができたそうじゃ。

じゃがな、標高が高く、低温の為、植生が腐らず、
その上に、噴火の火山のはいやら、何やらがつもって、
浮いたままの上に、陸地ができたそうな。

そういえば、インカのチチカカ湖に
葦の船があることを聞いたことがあるじゃろう。
あれだよ。
考えて見なはれ。大きな大きな葦の船が
湯川の湖に浮いていると思って下され。

そこでじゃよ。
火山灰がたまって陸地ができたと思えばいいんじゃろ。

今じゃ、そこに道路ができて。
牧場ができて、ホテルまであるんじゃ。
沈没しないのかね。

そういえば、昔子供たちを連れて、
流星群を見に、毛布を以って、
夜突っ走って、埼玉から行ったけ。
戦場ヶ原の大駐車場に
毛布引いて、布団をかけて、
夜空を見てたっけ、
いい思い出じゃった。

この写真も
そういえば、23年前のもじゃっけ
あれは、長兄が受験のときじゃった。
兄貴一人残して、ちっちゃな旅じゃった。

でも、込んでたんじゃよ。
大渋滞でさ、ヒートアップしちゃって、
帰れずに、戦城が原のとある山小屋に泊ったっけ
賄いさんの部屋で泊められッたっけ。
でも、今じゃいい思い出だった。

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戦場ヶ原の木々の間より青空を覗く

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剣と晋です。この二人も今では2児のパパです。

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若かったですね。
霧にかすむ男体山を背に戦場ヶ原でポーズ。

                           
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あちこちに立木が倒れ、山間の風情を漂わせている
湯川。戦場ヶ原を縦断しています。

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じゃがバターと牛乳の美味しかった高徳牧場

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濡れ衣をきせられ二俣川で非業の死を遂げた畠山重忠の居城跡に行ってきました。 太陽光発電の補助金をGETしてエコ・ライフをしよう。

2010.07.02 (金)

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濡れ衣をきせられ二俣川で非業の死を遂げた畠山重忠の居城跡に行ってきました。 太陽光発電の補助金をGETしてエコ・ライフをしよう。

6/27 小川町伝統工芸館で連合会(瓦組合)の役員会に出席する為に、妻を伴って参加した。

会場には試験の架台のようなも模擬台にアイデアと我ここにありと言わんばかりの作品が多数並べられ、また、工芸館の入り口近くに、富岡鬼瓦店の瓦を使用した、和風庭園がつくられていた。

非常にに力作ぞろいであった。
でも、おしむらく、吉田前会長の作品や杉本瓦店の素晴らしかったが、耐震性の評価が特典を得られず、残念でした。

連合会の総会で、懸案だった議題が討議され、私も9ヶ月目の参加で内容がよく呑み込めなかったのには申し訳ない気持ちでした。

瓦造形会の作品を鑑賞させていただき、いつもながら妻と感心しながら、妻の運転で帰宅の途に就きました。

行きに記憶していったのですが、武蔵嵐山町の畠山重忠の菅谷跡の博物館によって、武蔵野の豪族の様子や、城祉について、
拝観して、帰ろうとしたとき、女性の館員がいたので話しかけましたら、館跡の空堀の遺構が良好な状態で残っておりますので、
ご覧にな照りって下さいと声を掛けられたので、
外へ出て、敷地をぐるりと一周りを致しました。

空堀だけでなく、畠山重忠の像もあり、久しぶりに、ヒノキチオッドを思い切り吸い込み、森林浴のさわやかさを感じました。

畠山重忠は、時の執権北条時政によって、権力争いの余波を受け、
神奈川県二俣川で謀反の疑いをかけられ、非業の死を遂げました。

頼朝信任も厚く、死後の頼家、実朝などの遺児の事を託されたくらい、忠義の武蔵武士でした。

時政の図り後の前に、潔く死を選んだのです。
140騎足らずで、北条義時に立ち向かい4時間の死闘の末、
力尽きて、二俣川の土に帰したのです。

南無無駄仏。 合掌。
 
                                            
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気骨ある武蔵野武士団を率いた畠山重忠像。
なぜかお酒が上がっておりました。

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往時が偲ばれる菅谷館跡の案内板

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いざ鎌倉の『鎌倉街道』彷彿させる石畳


                           
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遺構がはっきり残る菅谷館跡の空堀

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城祉の築山の前にチガヤが咲き乱れて美しかったので、
光子を撮影

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