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昔懐かし銀ブラ気分

2014.12.01 (月)

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『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』
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 菅原文太さん死去 健さんに続き昭和の名優がまた… 時代が求めた男たち
 飢えた野獣のような演技で一世を風靡(ふうび)した俳優の菅原文太さんが81年の生涯を閉じた。男がほれるアウトローをリアリティーたっぷりに演じ、広く大衆に愛された。先月10日には、やはり日本を代表する俳優の高倉健さんが亡くなったばかり。相次ぐ名優の訃報に、映画ファンや関係者の間に驚きと悲しみが広がった。(産経新聞)

 人間は誰でも死期があるのです。
惜しまれて死ぬ人。誰、一人知らずして孤独死を
選んでしまった人。不老不死を望みながら、
死んでいった秦の始皇帝。
 願い事を5大老に託しながら「死んでも死にきれなかった人」秀吉。
「あの世にも粋な後家さんいるかいな」といって、
死んだ落語家。
「これから死にます・・・・・・。中々死ねないものですね。」
といって死んだ啄木の妻、節子さん。

自分だったらどうしよう。
「窓を開けてくれ。黄泉の国へ旅立ちたい。さようなら」
こんなかっこよく死にたいと思っております。

 銀座の柳。昔から憧れの響きを持っておりますね。「君の名は」遠い遥かに行ってしまった数寄屋橋。今は何処にあるかさへわからなくなってしまいました。

 そごうデパートができて、「有楽町で逢いましょう。」そんな映画が一世を風靡しました。いまは、ビッグカメラに替わってしまった。
 戦後、ちんちん電車が走り、おまわりさんが、四角い台の上で、
笛と手信号で交通整理も、歴史のかなたに消えようとしております。
 まして、堀があって、だるま船の水上生活者がいた事なんか知る由もなし。時間がどんどん立って、私たちは老いて死ぬ。何も変わらずに。昨日と同じ時間が過ぎてゆくのです。

 そごーデパートが今やビッグカメラに替わって何年になるでしょう。記憶の彼方から消えております。昔と違うお店が多くなり、居酒屋さんが多くなったこと。

 かっての日劇の後のルミネです。日劇のフラダンスが懐かしいです。この辺りは戦争中、空襲が激しかったので戦時中本当の地主さんが疎開し、登記所が焼け、地さかい不明になったり、空襲で戦死したりして、在日韓国人などが住み着いて、大変だったらしいです。
戦後の「君の名は」の時代をポスターのに中にやっと残している。帝国ホテル側のガード下のカレーやさん・ラーメンやさんの下町風景を保っております。一度行ってみては。昭和のロマンがあって、誰もしらないような佇まいを見つけられますよ。
  
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かっての日劇の後のルミネです。
日劇のフラダンスが懐かしいです。
この辺りは戦争中、空襲が激しかったので戦時中地主さんが
疎開し、登記所が焼け、地さかい不明になったり、
空襲で戦死したりして、在日韓国人などが住み着いて、
大変だったらしいです。

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そごーデパートが今やビッグカメラに替わって
何年になるでしょう。
記憶の彼方から消えております。
かっての日劇の後のルミネです。
日劇のフラダンスが懐かしいです。
この辺りは戦争中、空襲が激しかったので戦時中地主さんが
疎開し、登記所が焼け、地さかい不明になったり、
空襲で戦死したりして、在日韓国人などが住み着いて、
大変だったらしいです。

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数寄屋橋界隈。
昔と違うお店が多くなりました。
居酒屋さんが多くなったこと。

かっての日劇の後のルミネです。
日劇のフラダンスが懐かしいです。
この辺りは戦争中、空襲が激しかったので戦時中地主さんが
疎開し、登記所が焼け、地さかい不明になったり、
空襲で戦死したりして、在日韓国人などが住み着いて、
大変だったらしいです。

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かっての日劇の後のルミネです。
日劇のフラダンスが懐かしいです。
この辺りは戦争中、空襲が激しかったので戦時中地主さんが
疎開し、登記所が焼け、地さかい不明になったり、
空襲で戦死したりして、在日韓国人などが住み着いて、
大変だったらしいです。
戦後の「君の名は」の時代をポスターでやっと残している
 帝国ホテル側のガード下のカレーやさん・ラーメンやさんの下町風景を保っております。一度行ってみては。昭和のロマンがあって、誰もしらないような佇まいを見つけられますよ。


                           
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戦後の「君の名は」の時代をポスターでやっと残している
ガード下のカレーやさん・ラーメンやさんの下町風景を
保っております。
一度行ってみては。

太陽光を推進しよう会の「新瓦博士」
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池波正太郎の「鬼平犯科帳の世界」へ

2014.11.27 (木)

。お暇なときに「スカイツリー」を見ながらそぞろ歩きもよいですよ。
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ご連絡お待ちしております。

 日本には昔から童謡に甍の波ありました。
そんな江戸の街並みを再現したのが「鬼平犯科帳の世界」です。これも、町おこしではありませんが、小企業の老舗商店の活生化なのす。
 売り上げの低迷・雇用の喪失・財政の危機、そんなものの解決のため、生まれたのでしょう。

 感心したのは、古く見せた「古美の瓦」を使用して、街並みに厚みを見せたことです。東北道の羽生サービスエリアあるのです。
行きですと、心にゆとりがなく、帰りであれば、運転疲れも取れて観光にもなる。「一石2丁」です。

 結構人が入ってておりました。大型バスが2台も入ってくると、お店の売り子さんは大忙しです。

 うまいこと考えました。子供のころあった火の見やぐらと半鐘、漢方薬のお店と筆の販売をするお店、酢・醤油の江戸時代のお店もあってちょっとした江戸の雰囲気をたのしめます。足を延ばして行ってみてはどうですか。

                           
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天水桶です。江戸時代は、水が不足し、ほとんどが
鳶職による破壊消防だったのです。

「火事と喧嘩は江戸の華」と言われたくらい火事は多かったのです。
また、通りに面した側は、火伏の瓦でしたが裏側に回ると
板葺や、萱で葺かれた町並みがあったのです。
日本橋の近くに茅場町は屋根の萱の材料を切り出した地名の
名残なのです。

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子供のころあった火の見やぐらと半鐘
古美の瓦です。

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漢方薬のお店と筆の販売をするお店、

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酢・醤油の江戸時代のお店です。

                           
ファイル 1350-4.jpg
天水桶です。江戸時代は、水が不足し、ほとんどが
鳶職による破壊消防だったのです。

「火事と喧嘩は江戸の華」と言われたくらい火事は多かったのです。
また、通りに面した側は、火伏の瓦でしたが裏側に回ると
板葺や、萱で葺かれた町並みがあったのです。
日本橋の近くに茅場町は屋根の萱の材料を切り出した地名の
名残なのです。

ファイル 1350-5.jpg
漢方薬のお店です。
今のドラックストアです。
千本孔子があって、火消し用の桶が置かれてあって、
江戸情緒が出ていますね。

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屋根屋が面白ブログ。

四万川の甌穴と紅葉

2014.11.26 (水)

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昨日も雨。今日も雨。
氷雨のような冷たい雨が、欅・銀杏・桜のモミジに
降り注ぎ、何か自分を沈み込ませております。

まして今日は癌の検診日です。昼食を抜いて、MRIを撮りました。
造影剤が点滴の針から注入され、鼻の下がむずかゆくて仕方がありません。
終了後、鼻の下を掻いたのです。
看護婦さんが心配して、造影剤のアレルギーで
起こることがあるので、10分程度休んでから何もなかったら
帰ってくださいと指示があったものですから、
指示に従いました。

私は大丈夫と言っておりましたが、光子は心配しておりました。

話は甌穴の話です。
甌穴を知ったのは、今から数年前チベットに行ったときです。

海抜の高度があがった川で、柔らかな岩の川床に石英・長石・
金鉱石などの硬度の高い石が、早瀬に流され柔らかな川床を
削り取り、出来た穴を甌穴というのです。

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早瀬の緑と黄葉と滝のコンビネーションが素敵です。

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甌穴も見られる早瀬

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瀞の深緑が黄葉に映えております。

                           
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早瀬の光を撮影しました。
モネーの睡蓮の画風ウィ氷げしてみました。

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光子と四万川の甌穴

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久喜市・杉戸町・白岡・蓮田・春日部・古河・幸手
羽生・加須のこともアップするよ。
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■群馬県指定天然記念物
以前、四万川にダムができる前の甌穴は子どもの水遊び場でした。
川底の丸い穴の中へ入ったことのある人も多く居たそうです。
先代の関善平さんもその一人であったそうです。
関善平さんが県議会議員だった頃、視察先の岡山県奥津町で奥津渓谷にある国指定天然記念物を見た時に
「このようなものは四万川にもある」と、帰郷後に早速、群馬県教育委員会の調査員に来てもらいました。
四万温泉協会の長井久夫氏や荒井由平氏ほかの方々と流れの瀬を変えたり、
穴の水をくみ出したりと大変な作業をして調査を行なった後
中之条町教育委員会が天然記念物指定申請書を提出し、昭和46(1971)年に群馬県指定天然記念物となりました。

この四万川の甌穴は、川床が火山灰の堆積でできた凝灰岩に
安山岩と呼ばれる硬度の高い小石が流れによって、
チョットした凹みで、回転し穴ができたものです。
日本一の甌穴が、緑片岩・卒塔婆の碑で有名な長瀞に
あるのですが、深さが深いので、埋め戻されておりますが、
埼玉県の長瀞にあるのです。
東北の厳美渓のもあり、日本全国にあるのです。


清流四万川のモミジ

2014.11.25 (火)

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今年は異常気象の当たり年です。
各地でゲリラ豪雨あり、また、南極から帰国したら
2度の大雪で南極よりもも寒かった。と思えるぐらいでした。
これから、海水温度が上がって、異常気象が本格的に
論じられるようになったのです。

それ自体が異常としか言いようがありません。
2度の大雪で、屋根業界は消費税増税の影響もあって
大忙しの状況です。
樋と雪止め、車庫の潰れ、世界遺産の富岡の製糸工場の
軒瓦が、大雪で被害に遭ったのです。
損害保険も、大分支払われたのです。
屋根業界は、災害に泣かされ、災害に助けられる。
そんな業界なのです。
困っている人々を助けるのも経済なのです。
輪廻転生。また自分に戻ってくるのです。

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四万川と紅葉

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地球温暖化防止の一番の功労者は、CO2を取り入れ、
O2を地球にもたらす。地球を宇宙からの紫外線・X線などの
有害線量から守り、地球を空気というバリアーに
包んでくれるのが稙物なのです。
そして、その役割を終えて、来春に芽吹くのです。
最後に私たちを楽しませ、紅葉狩りに掻き立てるのです。

とても素晴らしいサイクルです。

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私と紅葉

                           
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光子と紅葉

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四万川にかかる遊歩道用の橋です。

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四万温泉をそぞろ歩きを楽しみました。

2014.11.24 (月)

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古い四万温泉の街並みを散策する光子

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困ったですね。
長野県北部で6.5弱の地震がり、倒壊した家屋がTVに
映し出されるたびに、我々屋根業界は消費者から
敬遠されるのです。

瓦は重い、そんなイメージだけが先行し、
消費者マインド沈滞化させてしまうのです。

映像をよく見ると、瓦屋根だけでなく他の屋根材でも
潰れるのです。
長野県の地震の映像を見ると瓦棒というトタンの
屋根も倒壊しております。

地震というと瓦屋根が目立つだけなのです。
新潟地震・新潟沖地震のときは雪国の為、
柱の構造がしっかりできているため、
被害が少なかったのです。

メデアも企業です。消費者マインドに良い悪いは別に
感銘を受ける記事にしたいのです。

朝日のねつ造がそのよい例です。

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四万川のせせらぎの風景

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四万川のせせらぎに懸る橋と紅葉

                           
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四万川に湧き出る温泉の無料の共同風呂

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黄葉の美しさ
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ホテルたむらの感激を胸に

2014.11.23 (日)

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長野で震度6弱=住宅全壊、一時閉じ込め-7人けが、土砂崩れも

長野県北部の地震について記者会見する気象庁地震火山部の長谷川洋平地震津波監視課長=23日未明、気象庁

 22日午後10時8分ごろ、長野県北部を震源とする地震があり、長野市などで震度6弱の揺れを観測した。気象庁によると、震源の深さは約10キロ。地震の規模(マグニチュード)は6.8と推定される。午後10時37分ごろにも、同県小谷村で震度5弱の揺れを観測した。警察庁によると、同県白馬村と長野市で計7人が負傷した。地元病院によると、約20人が負傷し、うち3人が重傷との情報もある。
 気象庁は23日午前0時から記者会見。長谷川洋平地震津波監視課長は今後の余震について、「目安として1週間程度、最大震度5強程度はあるかもしれない」と述べた。揺れの強かった地域は警戒が必要だという。
 警察当局によると、同県白馬村神城で民家5棟が全壊した。5棟には2歳児ら21人が閉じ込められ、全員を救助したが、2人が負傷。ほか19人の負傷の有無を確認している。長野市では、仏壇が倒れたりタンスの上から物が落ちたり、転倒するなどして計5人が負傷した。
 長野県などによると、白馬村の国道406号や小谷村の国道148号で土砂崩れがあり、通行止めとなった。上信越自動車道と長野自動車道も点検のため一部が通行止めになった。ほかに、土蔵が壊れ、水道管が破裂するなどの被害があり、大町市では鉄塔が倒壊。新潟県糸魚川市で落石があった。
 地震の影響で、東海道、東北、上越、山形、秋田の各新幹線が一時運転を見合わせた。長野新幹線は23日未明まで一部区間で見合わせが続き、下り列車3本の乗客約570人に影響。在来線も運休や遅れが相次いだ。原子力規制委員会によると、東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)、北陸電力志賀原発(石川県)、中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)ではいずれも異常が確認されていない

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萱葺き屋根と瓦の美しさを撮ってみました。
標高620mに位置するたむらは10万坪の敷地と
素晴らしい庭、心を癒す大露天風呂、色々なお風呂の
スタイルを楽しむことができます。

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駐車場のところにある蔵と真っ赤に染まったどうだんつつじ
素敵としか言いようがりません。
標高が少し高く、山々を抱え、温暖長が激しいため、
紅葉が美しいのです。

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紅葉が美しい裏山の木々
                           
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四万川にかかる積善の渡り廊下。
よく見ると滝も見えます。

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群馬県のホテルとしてただ一つの文化財。
元は庄屋をしていたので、江戸時代の建物です。
木端葺きのっムクリ破風の玄関の積善館です。

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日本の風土に合った瓦が健康にもよいこと知ってますか。
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四万たむらの始まり

たむらの祖・田村甚五郎清政が四万温泉に来たのは室町時代永禄六年(1563年)です。
甚五郎清政は、山城として有名な吾妻の岩櫃城の六代目城主斉藤越前守基国に仕えておりました。
その年武田勢に攻められ越後に逃れる時、四万山中に路を求めましたが、更に北上する城主の行先を守るため、ここにとどまり追っ手を防ぐこととなりました。
やがてそのままこの地に土着し、四万川の中から湧出する温泉を発見して、湯宿を始めたのが四万温泉の始まりと言われています。

仁王像がやってきた経緯

「本仏像二体は、明治晩年十二世田村茂三郎が上越国境を越へ浅界神官の家に宿りしおり、神官の内職の技として刻めるものを求めたるものなり」
との書付が残っております。
有名な仏師の作ではありませんが、明治の時代歩いて山越えすることを思うと、たむらにとっては大事なもののひとつです。
その隣の、
「三七日の 四萬の薬師の効ありて 五臓六腑に 病なかりけり」
の彫り物の画像ですが、こちらは、
子爵 品川弥次郎 口筆
「本歌は明治十七年八月七日 子爵が「粥腹」の歌と併せ詠みて
賽陵館館主 十一世田村茂三郎に贈り 訣別の紀念とせり」
との書付があります。品川弥次郎は、明治の内務卿となった方です。

四万たむらの母屋

たむらの母屋は、江戸時代天保五年(1834年)十代田村茂左衛門により改築されたものです。
江戸時代の初め領主真田氏から「湯守」の役を任ぜられており、神社仏閣と同様な裾の反りあがった「向破風」の屋根を造ることを許されました。
建物の中に入ると奥が一段高くなっており、位の高い方が休まれた書院造りの「上段の間」その手前には従者が待機した「中の間」と呼ばれる部屋が残っています。

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幕末から明治初年の四万温泉は、火災や榛名山の噴火などで一時さびれた状態でありました。
慶応義塾で学び、福沢諭吉先生に直接薫陶を受けた12代目当主・田村茂三郎は、「四万温泉は不便だからなかなか行かれない、これからの観光は交通だよ」との師からの進言を受けバス会社を設立しました。当時四万温泉へは馬車に頼るしかない時代でした。
温泉組合が成立された明治21年(1888年)頃から、日清戦争の終わる明治20年代末頃にかけて賑やかになり、明治時代後半には道路の整備などが行なわれ、新湯地区を中心に再び活気を取り戻してきました。当時の湯治客は、短い人でも1週間、長い人になると1ヶ月も2ヶ月も逗留していました。

四万の奥座敷「ホテルたむら」宿る。

2014.11.22 (土)

たむらの老女将の話
幼少の頃、家族に連れられ、夏休みの間滞在するのが「四万たむら」(当時は賽陵館田村旅館)でした。部屋は襖1枚で仕切られただけ。湯治客は1週間なり、長い方は1ヵ月の間和気あいあいと過ごす。まるで東京の租界(逗留地)のようでした。

私が14代目を継いだ主人に嫁いだのは昭和34年。当時の四万は時代に乗り遅れた、よくいえばのんびりとした湯治場リゾートでした。

四万たむら、四万グランドホテルをオープンしたいまも、旅館の基本は、人と人とのふれあい。
湯治場のおもてなしの心はいまも変わりません。

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ホテルたむらの古風な屋根瓦と紅葉

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たむら自慢の滝の見えるせせらぎの湯
焚きを見ながら湯に浸れるのです。
しかも、紅葉の時期は絶景です。

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四万川の早瀬とたむらの庭のモミジです。

                           
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湯船から見える滝の流れです。

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ホテルたむらの正面エントラス。
萱葺きの千鳥破風と古美の瓦のコラボの美しさ。

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四万温泉の起源を語る二つの伝説   「田村旅館」

ひとつは、平安時代の初期、征夷大将軍として蝦夷征伐に向かう坂上田村麻呂が、この地で入浴したことが始まりという説。
もうひとつは、永延3年(989年)、源頼光四天王の1人として勇名を轟かせていた、日向守碓井貞光による発見説。
碓井貞光が四万の地を訪れ野営したとき、夢の中で現れた童子が「私はこの山の神霊です。
あなたの読経の誠心に打たれたので、四万の病を治す霊泉を授けましょう」と言ったことにちなんで「四万温泉」となったというものです。
この湯は、四万最奥にある『御夢想之湯』と伝えられ、今もこんこんと湧き続けています。

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