Calendar

<< 2011/3  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

記事一覧

成田山新勝寺に行ってきました。

2011.03.04 (金)

http://blog.with2.net/link.php?720512
住まいの基本は屋根にあり。屋根は文化だ。芸術だ。
屋根材と外観の材料選びで『素敵』が違う。
上記アクセスをクリックしていただけるとブログ掲載の励みに成ります。宜しくお願いいたします。
連絡は0120-58-9901 または0480-58-0301
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

成田山新勝寺に行ってきました。
成田山新勝寺の坊さんは商売上手ですね。
祝詞の演出がうまいですね。
大勢のお坊さんが貫主の後をおごそかについてきて、
さもありなんの演出をしてますね。
怒られるかな。

もともとは、天慶・承久の乱を鎮める為に、
時の関東の雄、新皇を名乗る・平将門を打ち砕かんと平貞盛や藤原秀郷などの発願に建立された寺院です。

その為、名称も『新勝寺』、つまり関東における新たなる戦いに勝つお寺なのです。

関東を我が物顔に勢力拡大を図っていた平将門を京の貴族たちは許せなかったのでしょう。

右往左往しながら、同族の長、平貞盛に白羽の矢を立てたのです。
しかし、貞盛はあっけなく敗れ、碓井峠まで命からがら逃げ、京都に援軍を頼み、下総の国司、藤原秀郷に助命を得て、磐井(岩井)の戦いで、当時、農繁期の為、将門は、農民(当時は武士と農民が分離されておりませんでした)の事を考へ、直参の武士ので戦い、流れ矢にあたり落馬して、無念の死を遂げたのです。
あっけなく、天慶・承久の乱は終わったのです。
その後、武士社会は源頼朝の鎌倉幕府誕生まで陽を見る事はなかったのです。
今に残る平将門の逸話や、将門の関する地名が野田市関宿や野田市の各地、また、茨城県坂東市に名残をとどめています。

ファイル 814-1.jpg
人々を威圧する成田山新勝寺の大提灯

ファイル 814-2.jpg
成田山新勝寺の三重の塔とお線香の煙での清め所

ファイル 814-3.jpg
成田山新勝寺の朱の三重塔

                           
ファイル 814-4.jpg
成田山新勝寺の朱の三重塔

ファイル 814-5.jpg
本殿を望む

太陽光を推進しよう会の「新瓦博士」
当社ホームページはhttp://www.ogiya.co.jp です。
クリックしましょう。
太陽電池モジュールは寿命が長くて、お得ですよ。

連絡先は埼玉県久喜市
FD 0120-58-9901 

TEL0480-58-0301
ご連絡お待ちしております。