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のぼうの城の有る行田市は光子の故郷です。

2011.03.10 (木)

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住まいの基本は屋根にあり。屋根は文化だ。芸術だ。
屋根材と外観の材料選びで『素敵』が違う。
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連絡は0120-58-9901 または0480-58-0301
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『たかが瓦、されど瓦、世界遺産に使用されている資材だよ。』埼玉の瓦屋さん・雨漏り奮闘記

行田市は妻光子の故郷であり、思い出多いところです。
今回ののぼうの城を読んで、光子は行田市を再認識したようです。
光子が遊んだ幼稚園「高源寺」は、豪勇をとどろかせた正木丹波守が、三成と戦って、忍城を明け渡した後、無くなった人々の霊を慰めるため、正木丹波開基したお寺です。

丸墓山の後立ち寄りました。今から60数年前と変わらず、ひっそりとたたずみ、境内を見回しても、水攻めで亡くなった人々の供養塔たているだけで、60年前の姿だったようです。

妻光子は、正木丹波守のお墓に用意していったお線香手向け、冥福を祈りました。
光子は幼かったころ、本堂で遊んだ記憶をよみがえらせておりました。

それから少し行ったところの清前寺にも寄ってみました。
佐間の口の激戦地の近くです。

佐間の口には妻のおねいさんの塚本家があります。
光子にとっては、行田の街はかって住みなれたところであり、思い出の場所なのです。

幼馴染の友達がいて、昔と変わってしまった風景がいとおしく感じられているようでした。

今の行田市の近くに、忍川が流れ、エビガニ釣りをした地獄橋、かっての刑場跡と思われます。

忍城の三の丸を復元した「行田市郷土博物館』前にある権現様は光子のおばあちゃんが何かにつけお参りしていた家康の東照宮なのです。
同じ場所に諏訪神社を祭ってあることから、お諏訪さまとも呼ばれております。

最後に行田市郷土博物館に行って驚きました。
沢山の拝観客がいたのです。
まだ,映画が公開されておりません。

もうひとつ驚きました。
色々なコスチュームを貸してくれるのです。
ある人はお姫様に・また忍者に、戦国の武将に、アニメの衣装に身を包んで思い思いに、忍城のイメージの中に浸っていたのでしょう。

人通り見学して、帰ろうとしたら、甲冑をつけた正木丹波に扮する
人に写真取りませんか声をかけられました。
おやっと思ったら、『忍城おもてなし甲冑隊』の人たちだったのです。
おもわぬ事の笑みを浮かべ、スナップ写真に収まりました。
「ありがとうございました」と謝意伝え帰ろうとしました。

行田市の物産を売るお店の人が声おかけてくれました。
「おみやげにいかがですか」
話をすると光子の知っている奈良漬け屋の「山本奈良漬け店」の若社長でした。

今日はとっても良い一日でした。

TEL0480-58-0301
ご連絡お待ちしております。

ファイル 819-1.jpg
正木丹波守の墓石は字が判読できないほど劣化しておりました。傍らに後世の住職が建てたものでしょう。
立派ね正木丹波守の墓標がありました。
妻光子は持参したお線香をたむけました。

ファイル 819-2.jpg
清善寺の山門です。昔と変わらない佇まいでした。

ファイル 819-3.jpg
石田三成の像です。

                           
ファイル 819-4.jpg
忍城3の丸の櫓です。

ファイル 819-5.jpg
忍城おもてなし甲冑隊の方たちとスナップ写真
左より坂巻靭負・成田氏長・正木丹波守・私・光子・柴崎和泉守
です。

太陽光を推進しよう会の「新瓦博士」
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連絡先は埼玉県久喜市
FD 0120-58-9901