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関根金次郎名人と将棋の駒の天童そして月山

2019.07.17 (水)

 子供が大きくなったので、妻と二人で開通したばかりの秋田新幹線で旅行したのです。山形で降り、駅レンターカーを借り天童に向かったのです。柘植の将棋と碁盤で有名な温泉地です。ダムのようなところに天に向かって吹き上げる噴水の景勝地で車を止めました。
 休憩し、疲れも癒され月山に向かったのです。天童は将棋の駒と碁盤の産地くらいの知識がなく、通り過ぎたのです。
 今では、東海道53次の浮世絵師安藤広重美術館、天童美術館、将棋資料館など見どころがたくさんあります。

今更ながら知識不足に驚いております。
 出羽三山は、月山、出羽神社、湯殿山の合社です。立派な拝殿あり、過去、現世、未来を具現する仏の世界で、阿弥陀如来、滝などがご神体です。現世から隔離され、世界感に浸れる神聖な場所なのです。

 天童市と言えば将棋の駒です。将棋と言えば浪速の縁台将棋師「坂田三吉」です。相手は関根名人です。その名人を飛車を用いて破ったのです。
 関根名人の出生地が野田市関宿木間ケ瀬なのです。墓も関宿の駐在所の向かい側の墓地にあります。今は、訪れる人もないと思います。
 坂田三吉の人生は、波乱万丈で丁稚奉公に行ったさきの坊やを賭け将棋に夢中になり怪我をさせ、お払い箱になったり、関根名人には勝ったのですがその弟子の負けてしまい王将に成る事ができず自らが王将だ声を張り上げ、関根名人の挑戦に応じ、最後にやっと認めてもらったのです。演歌、映画になった人物です。
 将棋の協会から和解後王将の称号を授与されたのです。坂田三吉の生涯に思いを馳せ、ひなびた街歩きも粋なものです。

パウダースノーの蔵王も秋色景色包まれていました。『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』太陽光発電(ソーラー)もやってるよ。

2010.09.16 (木)

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パウダースノーの蔵王も秋色景色包まれていました。『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』太陽光発電(ソーラー)もやってるよ。

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遠い昔、みちのくと言われた東北地方も、今では高速道路で
3時間の旅です。

芭蕉や曾良、そして八幡太郎義家、頼家が安部一族を討伐したころは、それはそれは遠く、誰も知らない未知の国だったのでしょう。

そして、誰もが日本中を旅するようになったのは、
昭和40年代初頭です。

東北縦貫道は東海道に比べ、11年遅れて昭和50年岩槻~白石までが開通いたしました。

そして、平成になって八戸までの開通を見るにいたったのです。
それもこれも、元をただせば、田中角栄の「日本列島改造論」が日本中に高速道路を走らせたのです。

今、私が立っているこの蔵王もその恩恵を受け、美しいお釜を堪能できるのです。

そして、一足早い秋を見つける事もできるのです。

今年は35度を超える猛暑日が続き、連日うだるような暑さでした。

でも、日本は四季があるから素晴らしいのです。
それだけではありません。沖縄、石垣島、あるいは東京都下の
小笠原諸島では、まだまだ夏の思い出が作れるのです。

そして北海道の大雪山系では雪の便りが舞い込むのです。

私が大学生の時、秋の彼岸に立山アルペンルートに登った時です。
新雪を踏んで雄山の登りました。

日本列島は四季おりおりの景観をもたらし、
何度となく、桜を楽しんだり、紅葉を楽しむことができるのです。

枯れ木も山の花盛り。
そんなイメージの写真を掲載してみました。
紅葉、ナナカマド、みちのくにピッたしの言葉ですね。

日本は素晴らしい国なんです。
フイリッピンに行って、再度確認しました。

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蔵王お釜の『ミクロネシアンブルー』がとても素敵でした。

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吹き付ける亜硫酸ガスによって荒涼とした風景を見せる蔵王

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白い枯れ木の中に、緑、黄色、褐色の絶妙なバランスが良くてシャッターを切りました。                                 
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7回燃やしても燃え尽きないと言われるほどの堅木で、また真っ赤な実をつけ、確か青森県の県木に指定されています。(ナナカマド)

赤い実の素晴らしさ、何とも言えませんね。

ファイル 615-5.jpg
黄色く色づく黄葉

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菊の香りのみちのくにやってきました。『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』太陽光発電(ソーラー)もやってるよ。

2010.09.15 (水)

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みちのくの秋は小走りでやってきます。
色付く初秋の秋にふさわしい話題を探しました。

菊人形で有名な「二本松市」に小さな旅を見つけてきました。
大河ドラマで、放映中もあって「直江兼続」の菊人形で
会場は素敵な香りに包まれておりました。

あまり感心の無い私さへ、鼻をもぐもぐさせ、
一時の素晴らしい時間を堪能致しました。

そして、バスは『荒城の月』あるいは独眼竜・伊達男として
戦国時代を生き抜いた伊達正宗公の青葉城跡公園を訪れました。

正宗は自分が疱瘡になった時、育ての親の白石小十郎に
短剣で目をくりぬかせました。

また、自分の父が狩りをしていて、敵に生け捕りになった時、
大きな決断にさらされ、父の命によって父と敵を同時に銃殺したのです。

また、秀吉の命にそむき、みちのくの覇王として、東北の雄になったのです。

しかし、秀吉が許すわけがありません。
彼は、白装束で秀吉の上洛の命に従ったのです。

それは、彼にとって死を覚悟していたのです。
秀吉も、正宗の豪胆さに感心し、許したのです。

正宗は、どんな危機にも、常に前向きで、伊達男に恥じない逸話が沢山ありますね。

話は違いますが、今回のフイリッピンの慰霊の旅で、幸子が好んで口ずさんでいた歌が「荒城の月」でした。

戦地で聞く「荒城の月」は物悲しく、涙があふれてきました。
人の心に、何かを訴えるものが名曲なんですね。

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五浦海岸と塩屋岬

2010.09.14 (火)

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今から10年は経つだろう。今と同じ、台風の時期だった。海が荒れているだろうと、海岸に行ってみた。
岩に波濤はくだけ、波は荒れ狂っていた。五浦海岸は、名前のごとく5つの入江からなった景勝地だ。
それよりまして有名なのが、27歳にして岡倉天心が現在の東京芸大の学長になり、この五浦の海岸に日本美術院を移し、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山などを呼び、日本画家の創作活動の起点にしたのです。
 岡倉天心が建てた六角堂は大五浦と小五浦の間の岬に建てられた赤い六角の御堂である。まさに五浦の景勝地である。しかし、東日本震災で一飲みにされてしまった。有志達がすぐに復興したのです。しかし、歴史は波涛の中に消えてしまったのです。
 また、ここから、太平洋戦争時、アメリカ本土の向けて、ジェット気流に乗せて『風船爆弾』をと飛ばしたのです。今、忘れじの石碑として立てられた碑も、忘れ去られようとしております。
 今回、フイリッピンの慰霊の旅に行って、フイリッピン政府、及びアメリカ政府は、あのすさまじい戦争をいつまでも残そうと、よく整備されております。
 また、海岸を走る国道で目につくのが、童謡作家「野口雨情」の看板と記念館です。
 かれは、渋沢 栄一がアメリカに送った赤い靴をはいた人形『赤い靴』や『七つの子』で有名な詩人であります。
 それから、少し北上すると福島県いわき市の塩屋灯台につきます。昔、塩屋灯台は、私が高校二年生の時に一世を風靡した木下慶介監督『喜びも悲しみも幾歳月』の白亜の灯台が銀幕に登場したのです。今は坂道を老夫婦が通った灯台の道も夏草が生い茂っておりました。
 今はこの灯台も、すべて自動化され、無人の灯台になって、夫婦の心温まる物語も、昔の思い出話になってしまいました。
 そして、この灯台もまた、戦争の悲劇を味わったのです。日本海軍、あるいは軍事目的に利用されたせいか、昭和二〇年戦争末期、米軍によって破壊されたのです。
 現在は、夫婦愛の映画より、美空ひばりの『みだれ髪』の方が有名になり、この美しい、灯台100選よりも、ひばりさんの記念碑の前に立つと「みだれ髪」が熱唱される方がよいと見えて、灯台に行かれる方も少なくなりました。
 昔の塩屋灯台を知っている者にとって何か『さびしい』物が感じられます。
 それだけ、私も齢を重ねてしまったのかもしれませんね。

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波濤砕ける五浦の海岸

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ここから、かってアメリカ本土に向けて風船爆弾を飛ばしたそうです。
いくつかはアメリカ本土に行ってなにがしかの被害は与えたそうです。

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渦巻く灯台元の波濤

                           
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どこまでも続くいわきの海

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美空ひばりの『みだれ髪』の記念碑

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