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記事一覧

埼玉の屋根屋さん奮闘記 思い出も上野鈴本 今は亡き人たちの芸道

2010.06.02 (水)

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 埼玉の屋根屋さん奮闘記 思い出も上野鈴本 今は亡き人たちの芸道

この映像は東京オリンピックの頃の『上野 鈴本演芸場』のかっては売れっ子の芸道です。

殆ど落語家さんたちが、あの世に行ってしまいました。
かれこれ50年近くの歳月が流れています。

自分ながら都市をとったと思っております。

今は同じ鈴本でも撮影は出来ず、金儲け一辺倒です。
昔は良き時代でした。

又、昔のカメラは性能が悪く、暗がりでは撮影不能でした。
技術があるもな増感撮影をしなければ撮影できませんでした。

いまは、ISOの感度を上げれば簡単に撮影できるからかもしれませんね。

こんな写真を持っている方も少なくなったでしょう。
 
                                            
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故金原亭 馬生さんです。

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故英二&喜美江

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林家 小勝


                           
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故一柳斎 貞鳳さんです。

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故一柳斎 貞鳳さんです

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埼玉の屋根屋さん奮闘記 千葉県野田市三つ堀の天下の奇祭『泥んこ祭り』

2010.05.29 (土)

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 埼玉の屋根屋さん奮闘記 千葉県野田市三つ堀の天下の奇祭『泥んこ祭り』

祭りにもいろいろあります。
野田市三ツ掘りの『泥んこ祭り』はお婿さんをイビル(いじめる)
お祭りです。

もう、かれこれ10年ぐらい前に、お婿さんの来てがいなくなってしまいました。
また、今の時代は、婿どんいじめをするようだと、娘と婿どんの二人で家を出て行って、アパート暮らしになって、逆に娘に良かったと思われてしまうらしい。

いかに婿どんがいなくなってしまったか。

この奇祭は、部落の昨年~今年の一年間に入籍した婿どんが、
神輿を担ぎ、利根の清流で神輿を清め、香取神社に奉納の神輿を
渡御するのです。 
そして、香取神社の境内に大きな穴を掘り、その上に枯れ枝を敷いて、落とし穴と分からないようにします。

そして、徒御する神輿をめがけ、部落の子供たちが、土で作った大きな土まんじゅうを顔と言わず、頭と言わず思いっきりぶつけ、よろけて、解らないように仕組んだ落とし穴にはまるように誘導し、大きな落とし穴にはまって、身動きのできない、部落の婿どんたちに、積み上げてある赤ん坊の頭ぐらいの土まんじゅうを所構わず投げつけ、もてあそぶ神事であり、祭りです。

神事にかこつけて、いじめの祭りです。
昔はいかに娯楽が無かったか想像できます。

昔からの祭りや神事が無くなって行くのもさびしいですね。
この三つ掘りの地名は承久の乱、天慶の乱の平将門が、
関東に下向し、都の天皇の対立し、新皇と名乗り、坂東平野を無尽に活躍した時につけられた地名だそうです。

利根川を挟んで坂東市(旧岩井市)にある菅生沼を琵琶湖になぞらへ、その地形に似ていることから、西三ケ尾・山崎なども京にあった地名を持ってきたものらしいです。

                                            
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部落の子供たちが積み上げた大きな土まんじゅう

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子供たちが枯れ枝を集めて、落とし穴を解らないように
細工している様子。

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香取神社のおそろいの法被を着て落とし穴を隠蔽している様子。


                           

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雨漏り奮闘記 明治の偉人『渋沢栄一と深谷城』を訪ねて

2010.05.07 (金)

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 * 雨漏り奮闘記 明治の偉人『渋沢栄一と深谷城』を訪ねて
                                            
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妻光子のご先祖『深谷上杉氏の居城・別名木瓜城』と呼ばれ、

古河の足利成氏と対峙した平城』
低湿地帯に築かれた城で60,000坪の広さを要し、北條氏康から
嫁を迎えた関係上、北條に加勢し、秀吉の小田原攻めにあい、
開城、その後家康の江戸開府によって、家老職であった『小久保』が家康の仕え、寛永の廃城になるまで、徳川の譜代の家臣が治めておりました。
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栄一の写真の前で、妻光子

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渋沢栄一の開業した日本で最初の銀行で、天守閣を備えた、洋風建築で、非常に話題になり社会科の教科書にも掲載されている『日本最初の銀行・第一銀行』

当時はおのぼりさんの東京見物の新名所として、すごいにぎわいを見せたと言われております。


                           
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上敷免のレンガ工場で全盛時代を撮影したものです。
現在は6号ホフマン窯と事務所と変電設備が国の重要文化財として保存されておりますが、予算がなく、管理が行き届いてなく、メンテナンスをしていたペンキ屋さんがドアの塗装だけで、破風板たなどは、腐朽している状態です。
これでは、国の遺跡も哀れです。
此処で生産されたレンガが東京・横浜に運ばれ日本の近代西洋化が促進され、丸の内の煉瓦街、帝国ホテル、日本銀行、横浜の煉瓦街も建造されていったのです。

ファイル 451-5.jpg
日本で最初の民間鉄道の『妻沼線』だと思います。
人を運び、レンガを運び、古き良き時代の汽車『弁慶号』
明治28年』の撮影です。

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 雨漏り奮闘記 東海道五十三次「品川宿」

2010.04.29 (木)

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  雨漏り奮闘記 東海道五十三次「品川宿」
今回、北品川のラウンジ『荏川倶楽部』に『禁断の集客法』という
営業の講演を聞きに行った。

やってはいけないけれど『おれおれ詐欺』が営業の究極の販売方法です。と聞かされた時は、驚いたね。

営業とは買い手の感情を揺さぶり、売って下さいと言わしめることだ。
現代は、品質が良くて、技術がいいのは当たり前で、余りそれを主張すると、買い手は逃げて『敵』の存在になってしまうという。

恋愛で彼女にあまりしつこく言い寄ると、うっとうしくなって、嫌がられるのと同じです。と言っていました。
なるほどと感心させられた。

そして、講演会も終わって。1Fに来たら、100mのところに旧東海道の『品川宿』が有ることを知ったのです。

いつもの好奇心で、駅の反対方向に歩いた。
100mくらいのところに『品川宿商店街』があった。

そぞろ歩きに歩いてみた。
目黒川の橋のたもとに『品川宿』説明書きの石碑や、擬宝珠のついた赤い橋、こんもりと茂った『荏原神社』や元の何かの跡みたいな古風な建物がいくつか見受けられた。

東京に来て、小さな旅より小さい『ささやかな旅心』味わった。
光子に話したら、昔、母が嫁いだ町なので、行ってみたいと言ったので、今度行ってみようということになった。

この宿場が、かって、日本橋から最初の宿で、女子供を連れた旅人で繁盛したことでしょう。

また、江戸に入る最後の宿で、ゆっくり風呂に入り、旅のホコリと垢を落とし、あるものは飯盛女と久しぶりのたのしい夜を共にしたことでしょう。

実際、妻の話ですと新馬場駅の旧東海道沿いに昔『赤線』があって
子供の頃綺麗なおねいさんがいるので、よく遊びに行ったという。

何も知らなくてよく行ったそうです。
今、どうなっているか、興味深く話してくれました。

そういえば、加藤シズ江さんの意見で赤線廃止が決まったのは、確か昭和32年ごろと記憶しております。
いまは、赤線から『ソープランド』に姿を変えましが・・・・。

でも、ほんの40分ぐらいだったと思いますが、思わぬ得をしたような一日でした。

カメラを持っていなかったので、買ったばかりの形態で撮影した写真ですので、大きくならないので我慢して下さい。
 
                                            
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旧東海道の品川宿の商店街。
照明にポールに『品川宿』の文字が見えますけれだ・・・・。

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目黒川にかかる荏原神社に通じる橋の参道。
高欄の有る粋な橋ですね。

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郷社の額が掲げられた荏原神社


                           

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かっての品川宿繁栄を顕正した石碑

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何かの遺跡の跡だと思いますが。今は有料駐車場になっています。
説明によると、個人にて復元したみたいです。
いいことありますよ。

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雨漏り奮闘記 有楽町にこんな所があるんです。

2010.04.19 (月)

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 ふと訪れた、有楽町のガード下に50年前の映画のポスターありました。少し破れていましたが、判別できます。今は亡き鶴田浩二・大友柳太郎・都蝶々・柳家金語楼・最近お亡くなりになった藤田まことさんの名前が見え、しかも、カラー作品の文字が見受けられるのに懐かしさを感じました。 
 子供心にわくわくした、片岡千恵蔵の名探偵シリーズまた、大友柳太郎の名前が見られます。私が中学か高校生ごろの作品です。
 こんなポスターがよく残っておりますね。。しかも人通りが多いのに。良く見ると、一瞥する人さえいませんでした。チャップリンの「独裁者」古いですねー。サッポロビールの広告もあって昭和の風景がレトロでいいです。神谷バーの『電気ブラン』。あゝ浅草のロマンの味。粋ですね。こんなのが貼ってあるなんて信じられないです。銀座の恋の物語の歌詞と音符の書いてある『銀恋の碑』です。きっと、いつしか消えゆく君の名はの映像に思いをはせるためにガード下のカレーの味と残そうとしたのかもしれません。都会の喧騒を忘れさせる田舎者の老夫婦手を取り合って、銀ブラをしたくなった一日でした。
 数寄屋橋公園と書かれておりました。です。故岡本太郎の大阪万博のミニ判のイメージの太陽の塔。名作「君の名は」監督「菊田一夫」さんの名前も刻んでありました。
時計の文字盤に岡本太郎さんのTAROの文字がありました。

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 有楽町のガード下に50年前の映画のポスターありました。少し破れていましたが、判別できます。今は亡き鶴田浩二・大友柳太郎・都蝶々・柳家金語楼・最近お亡くなりになった藤田まことさんの名前が見え、しかも、カラー作品の文字が見受けられるのに懐かしさを感じました。
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片岡千恵蔵の名探偵シリーズ・千恵蔵や大友柳太郎の名前が見られます。
私が中学か高校生ごろの作品です。
こんなポスターがよく残りましたね。しかも人通りが多いのに。
良く見ると、一瞥する人さえいませんでした。

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チャップリンの「独裁者」古いですねー。
サッポロビールの広告もレトロでいいですね。
神谷バーの『電気ブラン』。あゝ浅草のロマンの味。粋ですね。
こんなのが貼ってあるなんて信じられないくらいです。
『小さなな旅』の発見です。


                           
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銀座の恋の物語の歌詞と音符の書いてある『銀恋の碑』です。

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数寄屋橋公園です。故岡本太郎の大阪万博のミニ判のイメージの太陽の塔。名作「君の名は」監督「菊田一夫」さんの名前も刻んでありました。
時計の文字盤に岡本太郎さんのTAROの文字がありました。

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雨漏り奮闘記 『君の名は』の数寄屋橋の今昔(小さな旅)

2010.04.19 (月)

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 雨漏り奮闘記 『君の名は』の数寄屋橋の今昔(小さな旅)
小さな旅には、うってつけの場所が有楽町界隈ですね。

有楽町の起こりは、織田信長の兄弟の中に、茶道・和歌をたしなむ織田有楽斎という人物が徳川家康に大変気に入られ、何かにつけ家康の茶飲み友達的存在でした。
そのため、家康が江戸に都を定めてから、有楽斎も江戸屋敷をもらい、何かにつけ家康のご機嫌取りをしてました。
その江戸屋敷の名前が有楽町になったのです。

数寄屋橋を有名にしたのは菊田一夫原作のNHKの連続ドラマの映画化でしょう。
佐田啓二と岸惠子の共演による名作『きみの名は』は映画全盛の頃、だれもかれも1時間以上待って、並んで見たものでした。

そして世の女性たちは、真知子巻きを当時のトレンドとしたものです。
昭和28年から昭和32年ごろまでブームだった記憶があります。
それはそれは熱狂に近い物ありました。
どこの映画館の立すいの余地のないくらい満員御礼の状態でした。

TVは一日2時間くらい相撲番組をやるくらいで、もちろん民放はありません。
TVの価格も今の金銭感覚で行くと1000万円を超える値段だったんです。
考えられないでしょう。
トランジェスターラジオもないころです。

娯楽は映画を見ることぐらいで、遊園地はなく、上野の動物柄があったくらいです。
こんな時代の事を書いてもピンと来ないかもしれませんね。

こんな時代背景を想像してください。有楽町のJRのガード下の一杯飲み屋はかっての昭和30年代のレトロ調がガードの構造物のレンガが醸し出し、そこに30年代の映画のポスター破れかかって貼ってあったら、これは素晴らしい遺産です。
でも、通行人は一瞥すらする人もありません。

銀座の三越の店員さんや平山郁夫版画展をて居た画廊の社長さんも含めて店員さん全員が数寄屋橋のタイル写真はもとより、昭和30年代の片岡千恵蔵・鶴田浩二・大友柳太郎・都蝶々のポスターの存在すら知らなかったのです。
毎日、昇降していた駅の周りをです。

そんなことで、デジカメの写真を画廊の社長さんに見せたところ、平山さんの奥さんが喜ぶと思いますと言われたので、それではお送りしてあげましょうという話になり、平山郁夫さんの逸話と奥様の話をして下さいました。

とっても良い妻と二人の銀ブラ・デートでした。
また、銀恋の碑や太陽の塔を彷彿させる数寄屋橋公園の時計塔なども光子は大変気に入ってくれました。

銀座ってのは意外なところがあるので驚きました。
『ぷらタモリ』の真似をしてみては。
 
                                            
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現在の数寄屋橋上空より撮影。マリオンと朝日新聞の本社ビルと高速道路が見受けられます。
今年いっぱいでマリオンがなくなることはさびしいですね。
昭和40年以降の撮影です。

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川が埋め立てられ、数寄屋橋も姿を消し、道路になっています。有楽町の駅の反対側に、そごうデパートのビル(現在のヨドバシカメラ)が写っています。
昭和34年ごろと思われます。

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有楽町の駅のホームに屋根がなく数寄屋橋には大勢の人だかりです。
銀座が賑わっている頃でしょう。
有楽町の駅から銀座までの人の流れがすごいですね。
数寄屋橋の奥の川の岸を良く見て下さい。
ダルマ船と言われる水上生活者の船も映っています。
日劇と朝日新聞社のビルが二つですね。
昭和30年ごろと思われます。


                           
ファイル 433-4.jpg
数寄屋橋を渡ってている人々の中に戦後が見られますね。
アメリカの水兵さんが歩いています。
昭和23年ごろと思われます。
古いフォルクスワーゲンやフォードも走っています。
橋のたもとにお巡りさんの見張り塔もあります。

ファイル 433-5.jpg
昭和3年撮影の数寄屋橋です。川には川舟が見え、川の漁師さんの
姿も映っています。。この銀座付近は海に近い為か、東京湾の海苔、小魚、アサリなどを収穫して生計を立てていたのでしょう。
(銀座には今でもヨット・ハーバーがあり、築地や、佃島も
近く、近海の漁師として生計が可能だったんのでしょう)
人通りもなく、銀座4丁目の服部時計店のビルと朝日新聞の本社ビルののみで、銀座三越もありません。

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雨漏り奮闘記 小さな旅 保蔵寺沼

2010.04.16 (金)

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  雨漏り奮闘記 小さな旅  宝蔵寺沼
今から50年以上も前の事です。高校の時、三ケ田谷の恩田君の実家のある『宝蔵寺沼』に食虫植物『むじなも』を田舟を操って採集に行ったものでした。
この「むじなも」は羽生のような低地で自生しておるのは、日本でも、この宝蔵寺沼だけです。
 その「むじなも」が、伊勢湾台風で被害にあい、全滅に近い状況になった時、三ケ田谷近在の小学校で、栽培していた「むじなも」を、いま県営羽生水郷公園で観察することができます。
 なぜ、こんな水田地帯で、高山植物が存在するのか、大いに疑問を呈するところですが、この付近から、加須市の浮野の里近辺まで、氷河期の植生がどういうわけか、残ったそうです。
 たぶん、地形と何らかの気候変動の中で、微妙に高山の気候が残され、植生が残ったものと思われます。
 今は、この所に淡水魚の水族館、あるいは「キヤッセ羽生」が建設され、宝蔵寺沼を整備して、「水郷公園」として市民の憩いの場になっています。
 また、この水族館にはアマゾンの巨大な魚や、利根川名物の「草魚」など珍しい淡水魚が飼育されています。
 私が行ったこの日は、ヘリが遊覧飛行を実施していましたので、
空から「水郷公園」を遊覧するのも悪くないとしゃれこんでみました。美しい屋敷林が存在し、里山の田園風景の三田ヵ谷そして坂東太郎の利根川も一直線るのどかな風景です。しかし、今はところどころに住宅もたち原風景が失われつつあります。 
                                            
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木道の整備された宝蔵寺沼「県営水郷公園」

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遊覧用ヘリコプター

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美しい屋敷林が存在する里山田園風景の羽生市三田ヵ谷
坂東太郎の利根川も一直線に伸びています。


                           
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上空より宝蔵寺沼と県営水族館
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