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江戸無血開城の裏話

2014.05.20 (火)

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今、東日本大震災で国民の意識が変化している。
1400年の瓦の歴史に、故郷の風景に、変調を感じるのは、私「屋根屋のおっさん」だけなのでしょうか。
瓦は1400年の歴史に中で、このままでは、技能者が育たない。震災。戦災。火災。多くの災難を乗り越えて、瓦が日本の街並みを支えたのです。そして今があるのです。
TEL0480-58-0301
ご連絡お待ちしております。

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 江戸の無血開城は、色々な意味で暦史の渦中にあって、必然というべきものだったのでしょう。
 15代将軍・慶喜は、旗本の中で一番嫌いな勝海舟を、官軍総司令官西郷との「三田の会見」望ませたのです。
 1週間ぐらい前の日経新聞に西郷と勝は、日本橋の若松や(現在の東京港酒造)で酒を酌み交わす気のおける、友であったのです。
 また、若松屋は、薩摩屋敷に出入りする御用商人でもあったのです。勝と西郷は貧乏侍で、現在の東京港酒造に彼らが飲み代の代金代わりに書いた看板が現存しているのです。
 その他、山岡鉄舟・高橋泥舟などの明治を動かした人物が
酒を飲みながら、新しい日本を激論したことでしょう。
 西郷は、島津斉彬のかわいがられ、島津分家の篤姫(天璋院)の将軍家嫁入りの総指揮者だったのです。
 島津斉彬の死後、島津家の当主、島津久光に疎まれ、西郷は、2度の島流しに逢うのです。
 この2人の舞台役者によって、政治の転換点おいて、無血開城が実行されたのです。
 三田の会見に先立ち、2人は薩摩藩邸で、根回しをしたのです。
 日本の政治が大回転する前夜に、慶喜は千住の大橋を渡り、振り返りつつ、水戸の母のもとに足重く数少ない従者を従え、千住に別れを告げたのです。
 こんな明治前夜の光景を光子と一緒に歌舞伎で鑑賞したのです。
これも、縁というしかありません。日本は、歴史の転換点に必ず良い方向を示す英傑が登場し、時代の舵を切ってきたのです。
 大化の改新に聖徳太子が隋の煬帝に日の本の天子として国書を送り、また、貴族社会から武士社会に変換時に頼朝が政治の中心に幕府を開いたのです。
 信長は戦国の世を天下武布の大義を掲げたののです。家康は諸法度の構想を掲げ、家光が確立したのです。
 明治は、大勢の英傑が現れ欧米に追い付き追い越せの思想が満ち溢れ近代国家に生まれ変わったのです。
 戦後は、天皇、吉田茂、白洲次郎、罪を追って刑場に散った東条英機達の強い意志で敗戦国でありながら高度成長を遂げたのです。
 原爆に荒廃した世の中から立ち上がったのも、運もあったかもしれませんが教育の高さに米国に次ぐGDPを成し遂げたのです。

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ファイル 1234-1.jpg
勝海舟と西郷隆盛の江戸開城の会見が行われた、
政治的意味合いに重要な場所です。

ファイル 1234-2.jpg
ビルの鏡に投影された、会見の碑を見る
今回の東海道膝栗毛の人たち。

ファイル 1234-3.jpg
高輪の大木戸。かって、江戸には江戸市中と郊外の
境に簡易関所(大木戸)3か所ありました。
東海道の高輪・甲州街道の四谷の大木戸(ここには、
江戸城内に引きこまれていた玉川上水の水管理も
兼ねておりました)・中山道の板橋の大木戸の
3か所がありました。

中山道・甲州街道の大木戸は明治9年ごろ、東京の
道路整備と鉄道建設のために、撤去されました。
この高輪の大木戸も、ほんの一部を残すに留め、
鉄道建設のため、撤去されたのです。


                           
ファイル 1234-4.jpg
現在残る江戸の錦絵の風景の一部、高輪の大木戸に
かっては、高札がありました。

この一帯は、東海道の往来も多く、茶屋・酒屋、遊郭などもあり、
出入りは厳しく制限され、特に「入り鉄砲・出女」
は厳しかったのです。

夜間になると、大木戸が閉められ、江戸市中と
隔離されたのです。

ファイル 1234-5.jpg
歌舞伎で有名な、浅野家の菩提寺泉岳寺の
山門の重厚さをご覧ください。

これもまた、瓦の持つ「日本文化」があればこそなのです。
瓦の屋根の美しさを皆さんは素通りしていることと思います。

時代劇の中で、瓦の持つ意味は大きいのです。
NHK大河ドラマ「新撰組」の中で、「京の町屋の瓦鐘馗」に
こだわり、NHKエンタープライズが瓦鍾馗の事で当社に電話をしてきたのです。

それで、
NHKに瓦鐘馗を販売致しました。

埼玉の屋根屋さん「住まいの基本は屋根にあり。屋根は文化だ。芸術だ。」
久喜市・加須市・白岡町・杉戸町・羽生市・古河市・熊谷市の皆さん応援してくださいね。
連絡は0120-58-9901 または0480-58-0301

屋根のことならお任せ「新瓦博士」!
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瓦は歴史の生き証人です。
鬼瓦はネパールのカトマンズの神聖な寺院に源を発し
水の神様で、住まいを火事から守っておるのです。
魔除け・火伏の大事な役を担っています。

屋根リフォーム・屋根修理の名人「新瓦博士」。

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徳川家の6人の将軍が眠る芝・増上寺へつきました。

2014.05.20 (火)

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連絡は0120-58-9901 または0480-58-0301
奈良東大寺の屋根は、瓦を平面に敷き詰めると20,000坪にもなるのです。
大仏殿に入って天井をご覧ください。
天井に四角いマス目が見えると思います。
6畳間の大きさがあるのです。驚くでしょう。
屋根を支えている垂木という四角金ぴかに光った物を
見ることができると思います。
それが30CM*40CMあるのです。こんな巨大な屋根が日本にあるのです。最後の再建したのが頼朝となんです。
1000年の時を経ているのです。
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徳川家康はすごいですね。なぜかって。江戸時代における、世界の都市の人口知っていますか。江戸が120万・北京が100万・フランスのパリが60万ロンドンが90万、アメリカのニューヨークにいったては、たったの1万4000人ですよ。

人口の統計だけを見ても、すごい事がわかりますね。その為、徳川政権の安定のため、鎖国をしたのです。これも日本の中だけで、地産地消が可能だったからなのです。
そして、将軍家は、貿易と佐渡金山の採掘で、各大名を抑え込んだのです。佐渡金山の枯渇と、西国の大名達が異国との戦いで、
通商件を持ったこと、幕府の財政悪化によって、明治維新の端緒が築かれるのです。
徳川秀忠の菩提をはじめ、徳川幕府の東国の東海道の鬼門が、芝・増上寺です。
家康の葬儀は遺言によって、浄土宗の増上寺が選ばれました。
 遺体は日光東照宮に、神として祀られ、北からの守りと、江戸市中から隔絶した日光は、戦乱からの渦中に置くことなく安置されたのです。
 増上寺の開基は1393年(足利4代将軍の時代)で、浄土宗の
東国における要の役割を担ったのです。家康は西国の大名や外様大名を改易によって力を弱めたのです。徳川260年間揺るぎない体制を築いたのです。
 この増上寺も山門は戦に備えた構造になっており、屋根の曲線美格別です。瓦葺き師として100年先を見越したが求められるのです。門前の芝公園には黒船のペリー提督の胸像もあり、近くには東京タワーや船の博物館の帆船もあってシニアの心をときめかす何かがありますよ。

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徳川秀忠はじめ、徳川幕府の東の鬼門、芝増上寺です。
家康の葬儀は遺言によって、浄土宗の増上寺が
選ばれました。

遺体は日光東照宮に、神として祀られ、北からの守りと、
江戸市中から隔絶した日光は、戦乱からの渦中に置くことなく安置されたのです。

増上寺の開基は1393年(足利4代将軍の時代)で、浄土宗の
東国における要の役割を担ったのです。

先にアップした、高声寺も増上寺よりは50年位前の
開基でした。

ファイル 1233-2.jpg
増上寺の山門の勾欄の下部部分の屋根の美しさです。
直線と曲線の織りなす美しさです。
解りますか。

私たち葺き師の仕事は何百年に環って
子々孫々にまで残すことができるのです。

これがあるから、私は、屋根屋さんが好きなのです。
100年以上残る仕事は、そんなに有るものではありません。

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東京タワーです。
昭和の日本を代表建造物です。
私が高校1年の正月2日に3時間待って、乗りました。
その日は、開業から10日目でした。

1959年1月2日の出来事です。
日本が世界の仲間入りをした、南極観測に
活躍した犬たちが銅像になって、日本の行く末を
見守っているように見えました。

                           
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芝公園にある黒船の提督ペリーの胸像です。

ファイル 1233-5.jpg
高架の下の日陰の川(金杉橋)
に釣り船が係留してありました。
かっての、数寄屋橋(銀座)の川にも
水上生活者のだるま船がひしめき合っていたのです。

それだけでなく、投網を打って生活していたのです。
れっきとした漁師さんがいたのです。

太陽光を推進しよう会の「新瓦博士」
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