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記事一覧

戦争の爪痕「トーチカ」も観光資源

2017.10.21 (土)

 このマケドニアは10年前にソ連のゴルバチョフ時代のあと開国した国です。ユーロ圏の中では農業国であり最貧国にあえいでいます。
 私たちは、私たちはオフリド湖を挟んで対岸に来たのです。景色が一変したのです。そこにあるのは韓国と北朝鮮が対峙している38度線の板門店の様相でした。板門店は南北挟んで2Kmが中立の国境線です。ここは美しいオフリド湖ありますが両岸ともマケドニアです。

 そこにあったのは高さ3.5mくらいのトーチカ(鉄筋コンクリート造り防御陣地)です。厚さ1.5mはゆうにある機関銃の対敵体設備でした。今は、一部が切断され、使用できませんがソ連時代の遺構です。
 まさか、こんなものがあるとは予測しておりませんでした。まして、中に入って眼下を覗き見ることなど考えてもなかったのです。
 モンテネグロ・ヘルツコビナに行く途中多数見かけたのです。所によっては、隣どうしにあるのです。不思議に思って、ガイドさんに尋ねたのです。
 どんな返事が返ってきたと思いますか。北朝鮮と同じく脱マケドニアを恐れて、国民の逃亡の防止なのです。ソ連という国は恐ろしいです。日本軍もトーチカを満州とソ連国境の黒竜江(アムール川)に設置し、ソ連の侵攻を防ぐためでした。こんな戦争遺跡を今、マケドニアは観光資源として考えているのです。

 もちろん、アレクサンダーの遺跡、また、フィリップ2世のベラの遺跡、ヴェルギナ遺跡、博物館もあります。
 ヴェルギナ博物館はギリシャの芸術と黄金文化の博物館です。また、フイリップ2世の墳墓は是非ご覧ください。黄金の扉が観光できます。世界の遺物を破壊しないようにと天井から捜索したそうです。
 マケドニアにはソ連時代の赤さびた工場や陸橋などもあって、アレクサンダーの光の遺跡とソ連時代の暗黒の遺跡が併存しているのです。
 また、この国の贅沢は農家の経営する食堂で食事をするのが真の贅沢だそうです。ユーロ圏は、国境がないので隣国からもランチやデナーを楽しみに来るそうです。広々としたテーブルでの食卓はレストランでは味あうことの事のできない贅沢です。是非とも楽しんでください。人生は一度切です。

オフリド湖と世界遺産の千の窓のある町へ

2017.10.20 (金)

 ホテルの小高い丘の上から望むオフリド湖は紺碧の湖でした。このオフリド湖は氷河期に形成されヨーロッパでも古い湖の一つです。
 ギリシャのアレクサンダー大王の故郷もあり、古代ローマ帝国やオスマントルコ帝国の支配を受け、多くの世界遺産が存在しています。
 また、ノーベル平和賞の受賞者マザーテレサの生誕地なのです。このオフリドの旧市街には、マケドニア正教の聖ソフィア教会があります。この教会も歴史の変遷でキリスト教、イスラム教、マケドニア正教と移り変わったのです。

 宗教も、良くわからず至る所の教会で説明を聞くのですが何十回を聞くうちに説明はどうでもよい状態に成って終ったのです。
 ヨーロッパの遺跡は、遺跡の上に遺跡があって何重にも折り重なっているのです。もちろん、ポンペイ、トロイや他の遺跡を含めて、宝物探しの盗掘があって、その後、学者たちが気の遠くなるような発掘調査をし、出土品にX線照射して解明していくのです。
 このオフリドの市街にもローマ時代の劇場あるのです。ローマ時代には、大きな市街があって栄えていたです。
 現在、聖クリメント教会は紀元300年ごろ、神殿が建てられ、前庭の下には古代ローマ時代の神殿を現在見ることができます。

 オスマントルコの影響下で街造りが行われた旧市街は、経年変化の苔むした赤瓦と白亜の壁に観音開きの額縁の窓があって、階段状の山肌に「千の窓のある街並み」が立ち並んでいます。その美しさに観光客が訪れるのです。
 よく見ると、防火壁の「うだつ」があるのです。お店は川沿いの道路にあって、素敵な街を形作っているのです。
 また、川につり橋がかかり、ローマ時代の10CM角ぐらいの古代のいわゆる舗装道路の街並みが対岸にあり、尖塔のあるローマ正教の街並みとイスラム教の街が中良く併存しているのです。
 中東のイスラムとキリスト教徒いがみ合う姿が理解しがたいのです。対岸の街並みは、重厚なドア、木々の生い茂る住まいに囲まれていました。
 私たちは聖ヨハネ・カネヨ教会の脇道を下り、観光船に乗り、教会を上に望みながら新市街のお土産屋のある桟橋につけました。
 オフリド湖は水が澄んでいて、カワウが飛び立った後、鱒でしょうか、魚が沢山泳いでいて日本の十和田湖を連想しました。

 また、ガイドさんの案内でアイスクリームがおいしいということで買い求めました。
 このオフリド湖は世界でも希少な淡水真珠の阿古屋貝が棲んでいます。妻は、その希少な淡水湖の真珠のネックレス買い求め喜んでおりました。淡水の真珠は色々な所を旅しましたが初めです。ロシアの女帝エカチェリーナ2世がこよなく愛した真珠のネックレスだったことは知っていたで迷わず買い求めたのです。
 城壁のある町まで行って見ました。当時の街並みに鉄格子がはめ込まれ、いかにも戦国の時代を反映している街並みかを彷彿とさせる趣きでした。
 この城壁のレストランで、片言の日本語を話すマスターとワインを飲みながら、ランチを食べ皆と騒ぎながら楽しいひと時を過ごしました。線の旅の良さを味わいました。

夕焼けのアドリア海のんびりと

2017.10.20 (金)

 日本の海は、護岸の為にテトラポットがどこに行ってあります。特に日本海の浸食は激しく、防波堤があっても年に0.4~1.2mぐらい浸食されているのです。荒波の波涛が作る日本海の海岸線は,断崖の風景が多く、逆に太平洋側は、氷河期の河川浸食によって出来たリアス式海岸が多いのです。
 このアドリア海は地中海に囲まれ、さらに、アドリア海は、イタリアの長靴のような地形に囲まれおり湖のように波がないのです。
 アドリア海やエーゲ海の島々は海岸線まで、赤瓦と白い壁のリゾート地が多いのです。テトラポットない風景は日本人にとって美しく感じるのです。

 朝夕のホテルの砂浜は、観光客や地元の人たちでごった返すのです。何するわけでもなし、夕涼みの人、散歩をする家族ずれ、ジョギングする若者、水平線に真っ赤な太陽がゆっくりと沈み、静かな時間に浸れるのです。日本人はせせこましく、こんな時間を持つこともなく、夕餉の支度、残業をしないようにと仕事をてきぱきと片付けるのです。
 きっと、マケドニアが鎖国をしている間、隔絶された10年前にやっと開国したのです。しかも、国民性でしょうか、日本のように明治、戦後と世界に追いつき追い越せのリーダーが現れなかったのでしょう。その為に、経済的には世界の最貧国にポーランド同様甘じたのです。
 しかし、心と時間のゆとりは日本人には解らない何物かを得たのです。どっちが幸せだか解りません。日本は世界から「エコノミックアニマル」と揶揄されているのです。
 しかし、夕闇の帳が下りて、海岸線に星が明るさを増すと、街中は、ルーレットのお店か開き、バーのききらびやかなネオンが光り出すのです。でも、日本のような派手さはないのです。
 日本人はパチコンですが、マケドニア人はワインを傾けながらルーレット楽しむのです。
 日本人は、ここでも、損をしたか儲かったかエコノミックアニマルのなるのです。

テッサロニキのデモと落書き

2017.10.19 (木)

エーゲ海に入ってヨーロッパ風の街並みが夕日に映えて美しです。カヴァラ街には曲線を描いたローマ水道や山の上に城壁あり、ビザンチン帝国の名残なのか、街かどにキリストと聖母マリアの像がありました。
ホテルはエーゲ海を眼下に収め、久しぶりにテラスでのんびりと過ごしました。現地の添乗員さんの社長さんが日本製の電気釜と日本のコシヒカリの白米と和風のエーゲ海のシーフでデナーを頂いたのです。

周りには、お腹の大きいギリシャ人が駄弁っておっりました。満腹感に満たされながら、テッサロニキの街に入ると街のいたるところが封鎖されデモが行われておりました。ギリシャはユーロ圏の中で、債務国でした。どうして、ギリシャは債務国になったか。まず、ギリシャの債務額を知らずにユーロ圏に加入させてしまったのです。本来であれば債務額が多ければ、借入金利を上げなければけいけなそうです。
ところが、ユーロ圏は、単一金利の原則あるのです。また、ギリシャ人は国民性が楽観的なのです。しかも、農業と観光で国の財政が成り立っているのです。しかも、農業は全ギリシャ人の大きいお腹を満たしても余るのです。

日本と違って公務員の数が45%を占めるのです。ちなみに、日本は10%に満たないのです。それにも関わらず、労働時間は、AM7:00~15:00までなのです。しかもPM21:00に夕食を取って1日が終わるのです。デモをしていても、このパターンは変えないのです。昼食後18:00まではデモは再開されず、休憩後家族と団欒とり18:00に再開されるのです。どうして、こんなことができるかは、義務教育が2部制になっているのです。
日本と時差があります。九州と同じで午後が1時間長いと思ってください。しかも、大きなお腹を抱えて「飢えてしまう」と訴えているのです。民間人は冷ややかに見ているのです。当たり前でしょう。街中はいたるところに落書きがしてあり、若者たちは就職先がないのです。

こんな町でも、ランチタイムにギター弾きがやってきて、帽子にお金を入れてくれと請求するのです。金持ちの日本人が目当てでしょうか。しかも、ドイツのメルケル首相も甘かったのでしょう。
その後、ユーロ圏はイタリア、スペインと債務国が増えるのです。また、日本と違って、義務教育の授業は2部制で、小、中学は8:00~13:45なのです。その後にもう1度別の小、中学性の授業をやるそうです。国が変われば、学制も違うのです。面白いですね。

 日本のゆとり教育と同じで、1度制度ができると法律は中々変更できないのです。どこの国も同じですね。民主主義の悪い弊害です。政治家は国民、県民、市民を見ていません。自分を支持する団体の顔を喜びそうな政策だけを言っているに過ぎないのです。民主主義は弊害がここで生まれるのです。政治家は国民の愚かさを利用しているだけです。

旅は人、人は食、そして人情

2017.10.19 (木)

 人は何の為に旅に出るのでしょう。旅はその人に感動をあたへ、心を豊かにします。昔は、日本では「~講」といって集団で旗を立て出かけたのです。東海道、中仙道、水戸街道、日光街道、などの五街道を往来のです。有名なのがお伊勢参りです。お伊勢参りは特別で奉公人は無断で出かけて咎められなっかそうです。今でもあるのが学生の修学旅行です。大人になれば、酒と女つきものです。各宿場には女郎屋はもとより、旅籠に飯盛女がいたものです。

 食は各地の郷土料理でしょう。昔は流通が良くなかったのです。いまはグルメを求めて旅をします。郷土のご当地グルメをカメラに写しブログにアップするかたも多いです。

 私もオランダのコロッケ、スペインのコカ、インドのカレー、トルコのチャイ、シルクロードのハミ瓜、私でさへ撮影しました。この間、初めて知ったのですが旅を職業としている方が結構いるのです。もちろん妻帯者です。2人女の子のと父親です。市役所の職業欄は「旅人」です。
 最初は相当悩んだそうです。奥さんが子供と私を食べさせてくれるのら「いいわ」OKしてくれたのです。元の職業は塗装やでした。
なぜ、腹をくくったか、それはある時、自分の下に60歳くらいの弟子が入ったのです。その姿を見て我が身をを疑ったのです。
 今は水性塗料ですが当時は、シンナーで希釈したのです。前歯が抜け、手が小刻みに震えているのです。それを見て自分の将来を見てしまったのです。それで決心し、奥さんに相談しお天道様の下でガンバレばなんとかなと思ったのです。

 その旅人は、今は石垣島に拠点構え、スッタフまで雇うことができ、クルーザーを所有する身のなって、辞めてよかったと思っていますとブログとありました。
また、スッタフを募集して会社にしようと思っております。仕事の依頼人は、航空会社、旅行会社、または旅行案内人、地方のTV会社などです。探せばあるものです。私も「ブローガー」とまでは行きませんが充実した生活を現在過ごしてしております。

 よく考えたら、シルクロードに日本から全行程の添乗員として行動した二村さんもその一人のような気がします。私の心の片隅にもそんな気概があるのかも知れません。サラーリンマンは会社を辞めたら終わりです。50代から英語、写真撮影、作文を勉強したら面白い人生が送れると思います。
旅の出会で人情はたくさん生まれます。人脈が、またお金を生んでくれるのです。百聞は一見に如かずです。人生を楽しく生きるのが当然なのです。
 ちなみに、「旅人」の募集金額は、日給9000円だそうです。詳しいことは「旅人・職業」でHPで調べてください。
 日経新聞の春秋欄に動画投稿は楽しくて儲かる。と掲載されていました。そうした認識が2017年の中学生男子のなりたい希望の職業の第3位に「ユーチューバー」と調査結果で発表されたそうです。時代が変われば子供夢も違ってくることを実感し、老いを感じること実感させられました。

 定年退職後からでも旅に出て、今までのキャリアを生かし、さらに磨いて旅を余生の職業として、お金を稼ぐのです。面白いと思いませんか。人生死ぬまでお金がかかります。最後は楽しい夢を見ながらあの世で閻魔さんに自慢話をしながら地蔵さんを旅友にして極楽を旅してください。

国境のポータ達の口論

2017.10.19 (木)

 イーニンとアルマイトの国境越え、今までは、バスに乗ったまま税関を超えられました。しかし、中央アジアは検問がうるさく6km先まで歩いてアルマイト側の国境まで行かないとバスがないのです。
 通関手続きの料金はもちろん払いましたが、税関がうるさいのです。でも「郷に入っては郷に従へ」なのです。
 困ったのがスツーケスや他の荷物です。62に日間の衣服、途中での思い出の土産、カメラ等の荷物は山ほどあります。
 そのうえ6KMは舗装されていないのです。国境の両国の平和境界線だからです。普通は川などで分断されているのです。

 しかし、そんな不便があってこそ商売が成り立つのです。しかも初めての経験で値段などわかりません。
 交渉は現地添乗員に任せました。驚いたことに妊婦がいるのです。8か月から9か月くらいの大きなお腹を抱えて「お金の為とは言え」他人事ながら心配しました。
 男人の一人が大きなカートを運んできたのです。こちらとの交渉が成立すると仲間内で報酬の配分です。それぞれは主張しあってなかなか決まりません。こちらの客の方がイライラする始末です。誰も分け前には遠慮しておりません。
 生きるための戦争なのです。旅友の中から、まるで難民の移動の様だと嘆いておりました。これもまた、後になれば印象になる空の点の旅でなく15000キロの線の旅だから経験できる体験と思いました。
 国境越えの面白さを駄弁りながら6kmの道のりをバスの待つ駐車場へと歩いたのです。
 
 カザフスタンからトクマクバスに揺られながらの旅だからこそ想い出になるのです。5000kmの道のりを20日間で走破したのです。
 この辺りで、肉食の狩猟民族と魚好きの民族の分岐点になるのです。
 宗教が仏教からイスラム教に変化し、食べ物も地形も変わり魚・米から麦、放牧が盛んになり肉食に変化するのがわかるのも飛行機では垣間見ることもできない体験です。まして、天山山脈も地平線に消えて行くのです。

オアシスで暮らす人々の知恵(氷室と風の塔)

2017.10.18 (水)

 シルクロードの旅もイランまで来て、日干し煉瓦の文化圏から石の文化圏に入って、エジプト、ローマの遺跡に匹敵する「ペルセポリス」の遺跡を見て驚きました。

 ガイドのアリプールによると世界で初めてアイスクリームを作ったのはイラン人と説明を受けたのです。大きなキャラバンサラエのところにある円錐形の氷室がその遺跡といっていたので中を覗きました。
天井に明り取りのような天窓があるのです。不思議に思い聞いたところ、自然の気化熱を利用した冷却装置になっているのいるのだそうです。そういえば子供の頃、夕方「打ち水」して、涼を取った覚えがあります。

 エアコン、冷蔵庫も気化熱を利用しているのです。2000年も前の出来事です。キャラバンサラエの宿泊客は、アイスクリームに高価な金を支払ったのでしょう。冬の間、山岳地帯のため池に水を張り、氷を作り、切だしラクダで運んだことでしょう。
 そういえば韓国の慶州にも氷室がありました。日本の将軍様は、富士の裾野の氷穴から氷を切り出し、莚に「もみ殻」を入れ、早馬で江戸まで運んだのです。今は麹菌の貯蔵庫になっております。日本は高原地帯があるので避暑地には困らなかったのでしょう。

 黒海の近くの街並みで、屋根の上に煙突も違う風変わりな光景を見たのです。添乗員聞いたところ、「風の塔」という涼を取る設備だそうです。300*300mmくらいの四角の塔が屋根上にもうけられ、ターボファンの風車ある光景を思い浮かべてください。
 風の力でターボファンドが回り、黒海からの海風が室内に送り込まれ、室内の熱気が排出されるのです。屋根上の熱気はそら豆と柳を掛け合せた街路樹が南国の熱風を和らげ、歴史の中で学び適応してきたのです。
 日本も住いを建てる時は「夏を旨せよ」と格言があります。
 そのために茅葺屋根は、1mも庇があるのです。昭和の家には土庇があったのです。
 今年は、熱中症で搬送車が18万に近くいたそうですが、地球の温暖化は進むことでしょう。

 話はイランとトルコの国境です。富士山によく似た大アララト山と小アララト山あるのです。翌朝、赤富士を撮影しようと写真好きな3人が望遠レンズを持って、早朝撮影でも思って出かけたのは良いのですが雲がかかって残念でした。
 また、この付近には、ノアの箱舟伝説があり、ホテルの階段の壁に大きなノアの箱舟の到着地点の説明と箱舟に乗っていた動物たちの絵が描かれておりました。
 アフリカ、エチオピアあたりでモーゼが良い事をした動物に手を振って乗るように指示しているモーゼの映画を、高校生ころ見た記憶を思い出して睡魔に襲われベットのついたのです。こんな追憶も何十年ぶりでしょうか。旅の思い出の1コマです。

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