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記事一覧

テッサロニキのデモと落書き

2017.10.19 (木)

エーゲ海に入ってヨーロッパ風の街並みが夕日に映えて美しです。カヴァラ街には曲線を描いたローマ水道や山の上に城壁あり、ビザンチン帝国の名残なのか、街かどにキリストと聖母マリアの像がありました。
ホテルはエーゲ海を眼下に収め、久しぶりにテラスでのんびりと過ごしました。
現地の添乗員さんの社長さんが日本製の電気釜と日本のコシヒカリの白米と和風のエーゲ海のシーフでデナーを頂いたのです。
周りには、お腹の大きいギリシャ人が駄弁っておっりました。満腹感に満たされながら、テッサロニキの街に入ると街のいたるところが封鎖されデモが行われておりました。ギリシャはユーロ圏の中で、債務国でした。
どうして、ギリシャは債務国になったか。まず、ギリシャの債務額を知らずにユーロ圏に加入させてしまったのです。本来であれば債務額が多ければ、借入金利を上げなければけいけなそうです。
ところが、ユーロ圏は、単一金利の原則あるのです。また、ギリシャ人は国民性が楽観的なのです。しかも、農業と観光で国の財政が成り立っているのです。
しかも、農業は全ギリシャ人の大きいお腹を満たしても余るのです。
日本と違って公務員の数が45%を占めるのです。ちなみに、日本は10%に満たないのです。
それにも関わらず、労働時間は、AM7:00~15:00までなのです。しかもPM21:00に夕食を取って1日が終わるのです。
デモをしていても、このパターンは変えないのです。昼食後18:00まではデモは再開されず、休憩後家族と団欒とり18:00に再開されるのです。
どうして、こんなことができるかは、義務教育が2部制になっているのです。
日本と時差があります。九州と同じで午後が1時間長いと思ってください。
しかも、大きなお腹を抱えて「飢えてしまう」と訴えているのです。民間人は冷ややかに見ているのです。当たり前でしょう。街中はいたるところに落書きがしてあり、若者たちは就職先がないのです。
こんな町でも、ランチタイムにギター弾きがやってきて、帽子にお金を入れてくれと請求するのです。金持ちの日本人が目当てでしょうか。
しかも、ドイツのメルケル首相も甘かったのでしょう。
その後、ユーロ圏はイタリア、スペインと債務国が増えるのです。また、日本と違って、義務教育の授業は2部制で、小、中学は8:00~13:45なのです。その後にもう1度別の小、中学性の授業をやるそうです。国が変われば、学制も違うのです。面白いですね。
日本のゆとり教育と同じで、1度制度ができると法律は中々変更できないのです。どこの国も同じですね。

旅は人、人は食、そして人情

2017.10.19 (木)

人は何の為に旅に出るのでしょう。旅はその人に感動をあたへ、心を豊かにします。昔は、日本では「~講」といって集団で旗を立て出かけたのです。東海道、中仙道、水戸街道、日光街道、などの五街道を往来のです。有名なのがお伊勢参りです。お伊勢参りは特別で奉公人は無断で出かけて咎められなっかそうです。今でもあるのが学生の修学旅行です。大人になれば、酒と女つきものです。各宿場には女郎屋はもとより、旅籠に飯盛女がいたものです。
食は各地の郷土料理でしょう。昔は流通が良くなかったのです。いまはグルメを求めて旅をします。郷土のご当地グルメをカメラに写しブログにアップするかたも多いです。
私もオランダのコロッケ、スペインのコカ、インドのカレー、トルコのチャイ、シルクロードのハミ瓜、私でさへ撮影しました。この間、初めて知ったのですが旅を職業としている方が結構いるのですね。もちろん妻帯者です。2人女の子のと父親です。市役所の職業欄は「旅人」です。
最初は相当悩んだそうです。奥さんが子供と私を食べさせてくれるのら「いいわ」OKしてくれたのです。元の職業は塗装やでした。
なぜ、腹をくくったか、それはある時、自分の下に60歳くらいの弟子が入ったのです。その姿を見て我が身をを疑ったのです。
今は水性塗料ですが当時は、シンナーで希釈したのです。前歯が抜け、手が小刻みに震えているのです。それを見て自分の将来を見てしまったのです。
それで決心し、奥さんに相談しお天道様の下でガンバレばなんとかなと思ったのです。
その旅人は、今は石垣島に拠点構え、スッタフまで雇うことができ、クルーザーを所有する身のなって、辞めてよかったと思っていますとブログとありました。
また、スッタフを募集して会社にしようと思っております。
仕事の依頼人は、航空会社、旅行会社、または旅行案内人、地方のTV会社などです。探せばあるものです。私も「ブローガー」とまでは行きませんが充実した生活を現在過ごしてしております。
よく考えたら、シルクロードに日本から全行程の添乗員として行動した二村さんもその一人のような気がします。
私の心の片隅にもそんな気概があるのかも知れません。サラーリンマンは会社を辞めたら終わりです。50代から英語、写真撮影、作文を勉強したら面白い人生が送れると思います。
旅の出会で人情はたくさん生まれます。人脈が、またお金を生んでくれるのです。百聞は一見に如かずです。
人生を楽しく生きるのが当然なのです。
ちなみに、「旅人」の募集金額は、日給9000円だそうです。詳しいことは「旅人・職業」でHPで調べてください。
日経新聞の春秋欄に動画投稿は楽しくて儲かる。と掲載されていました。そうした認識が2017年の中学生男子のなりたい希望の職業の第3位に「ユーチューバー」と調査結果で発表されたそうです。時代が変われば子供夢も違ってくることを実感し、老いを感じること実感させられました。

国境のポータ達の口論

2017.10.18 (水)

イーニンとアルマイトの国境越え、今までは、バスに乗ったまま税関を超えられました。しかし、中央アジアは検問がうるさく6km先まで歩いてアルマイト側の国境まで行かないとバスがないのです。
通関手続きの料金はもちろん払いましたが、税関がうるさいのです。でも「郷に入っては郷に従へ」なのです。
困ったのがスツーケスや他の荷物です。62に日間の衣服、途中での思い出の土産、カメラ等の荷物は山ほどあります。
そのうえ6KMは舗装されていないのです。国境の両国の平和境界線だからです。普通は川などで分断されているのです。
しかし、そんな不便があってこそ商売が成り立つのです。しかも初めての経験で値段などわかりません。
交渉は現地添乗員に任せました。驚いたことに妊婦がおるのです。8か月から9か月くらいの大きなお腹を抱えて「お金の為とは言え」他人事ながら心配しました。
男人の一人が大きなカートを運んできたのです。こちらとの交渉が成立すると仲間内で報酬の配分です。それぞれは主張しあってなかなか決まりません。こちらの客の方がイライラする始末です。
誰も分け前には遠慮しておりません。
生きるための戦争なのです。旅友の中から、まるで難民の移動の様だと嘆いておりました。これもまた、後になれば印象になる空の点の旅でなく15000キロの線の旅だから経験できる体験と思いました。
国境越えの面白さを駄弁りながら6kmの道のりをバスの待つ駐車場へと歩いたのです。
カザフスタンからトクマクバスに揺られながらの旅だからこそ想い出になるのです。
5000kmの道のりを20日間で走破したのです。
この辺りで、肉食の狩猟民族と魚好きの民族の分岐点になるのです。
宗教が変化し、食べ物も肉食に変化するのがわかるのも飛行機では垣間見ることもできない体験です。まして、天山山脈も地平線に消えて行くのです。

オアシスで暮らす人々の知恵(氷室と風の塔)

2017.10.18 (水)

シルクロードの旅もイランまで来て、日干し煉瓦の文化圏から石の文化圏に入って、エジプト、ローマの遺跡に匹敵する「ペルセポリス」の遺跡を見て驚きました。
ガイドのアリプールによると世界で初めてアイスクリームを作ったのはイラン人と説明を受けたのです。大きなキャラバンサラエのところにある円錐形の氷室がその遺跡といっていたので中を覗きました。
天井に明り取りのような天窓があるのです。不思議に思い聞いたところ、自然の気化熱を利用した冷却装置になっているのいるのだそうです。そういえば子供の頃、夕方「打ち水」して、涼を取った覚えがあります。
エアコン、冷蔵庫も気化熱を利用しているのです。2000年も前の出来事です。キャラバンサラエの宿泊客は、アイスクリームに高価な金を支払ったのでしょう。
冬の間、山岳地帯のため池に水を張り、氷を作り、切だしラクダで運んだことでしょう。
そういえば韓国の慶州にもありました。日本の将軍様は、富士の裾野の氷穴から氷を切り出し、莚に「もみ殻」を入れ、早馬で江戸まで運んだのです。今は麹菌の貯蔵庫になっております。日本は高原地帯があるので避暑地には困らなかったのでしょう。
黒海の近くの街並みで、屋根の上に煙突も違う風変わりな光景を見たのです。添乗員聞いたところ、「風の塔」という涼を取る設備だそうです。300*300mmくらいの四角の塔が屋根上にもうけられ、ターボファンの風車ある光景を思い浮かべてください。
風の力でターボファンドが回り、黒海からの海風が室内に送り込まれ、室内の熱気が排出されるのです。屋根上の熱気はそら豆と柳を掛け合せた街路樹が覆い南国の熱風を和らげているのです。
人は、それぞれの地域で生活の知恵を歴史の中で学び適応してきたのです。
話はイランとトルコの国境です。富士山によく似た大アララト山と小アララト山あるのです。
翌朝、赤富士を撮影しようと写真好きな3人が望遠レンズを持って、早朝撮影でも思って出かけたのは良いのですが雲がかかって残念でした。
また、この付近には、ノアの箱舟伝説があり、ホテルの階段の壁に大きなノアの箱舟の到着地点の説明と箱舟に乗っていた動物たちの絵が描かれておりました。
アフリカ、エチオピアあたりでモーゼが良い事をした動物に手を振って乗るように指示しているモーゼの映画を、高校生ころ見た記憶を思い出して睡魔に襲われベットのついたのです。
こんな追憶も何十年ぶりでしょうか。旅の思い出の1コマです。

ササン朝ペルシャ時代にワープ

2017.10.15 (日)

ササン朝ペルシャは、紀元2世紀ローマ帝国との戦いに敗れたパルテェアは国力が衰えシャー・アルダシ―ル1世がササン朝ペルシャを建国したのです。
彼はローマを破ってアケメネス朝が取り入れたゾロアスター教を国教としたのです。
200年続いた王朝もトルコ系突厥の抗争とホスロー1世の死後、国力が衰へ滅亡したのです。私たちはイスハーンからテヘランに行く途中、高射砲の銃口が多数ある核施設の幹線道路を通過し、アビヤーネ村に立ち寄ったのです。
アビヤーネ村は、イラン有数の観光都市「カーシャーン」から70KMぐらいに位置する観光地です。
それでいて訪れる観光客はごく少なく、今回も私たちの他は4~5人ぐらいでした。海抜2000mぐらいの高地で、寒さから守るためにを開口部は東側で、2階テラスはに田の字を中央に9角形をデザインした手すりの素晴らし格子があるのです。天井はアシのようなもので網代になっておりました。ミクロネシアのテラスを想像したのです。
このアビヤーネ村は2200年の長い間、日本で卑弥呼が権勢を振るっていた時代からの慣習を守っているのです。
途中、シルク・ヒルと村があって粋な村だなと感じたのです。ビヤーネ村に近づくにつれ、三角形の穴が土中にあって、ガイドに尋ねると食品の保冷庫だそうです。
私が子供の頃、もみ殻を敷き詰めた室が床下に在ったことを想いだし、母が、ジャガイモ、サツマイモ、サトイモなどを保存してことを思い出しました。
アビヤーネ村は、酸化鉄を含んだ土と日干し煉瓦を積み上げ、塗り固め保温の室状の家なのです。
もし、朝日の昇るころの観光でしたら、岩山の焼ける赤い街並みでしょう。
この村は、独特のササン朝ペルシャ時代から続く古いイスラム語でしきたりも今でも古い時代を色濃く残しているのです。
老婆たちの服装は、白地にバラの花柄の大きいスカーフをざっくりかぶり、スカートも独特のファッションでした。ここがイランなのかを疑うような光景です。
彼女たちは、1日中他愛もない話にゆっくりした時を過ごしておりました。
2000年もこの光景が続いているのです。またガイドの知人宅の部屋を見せていただきました。TVもないのです。床にイランの立派な絨毯が敷き詰められ時計だけの質素な部屋です。
村に1台の車があったのみで、お店もあまり見かけなかったのです。
この村も、遠い昔の歴史の中にあまりにも悲惨な歴史が隠されているのです。多分、虐殺から逃れるために高地の寒村に逃げ込んだそんな過去を思いながらペルセポリスに向かいました。

世界の富はイスハーンにあり

2017.10.12 (木)

イランは、紀元前からチグリス・ユーフラテス川沿いに文明が開き、7000年の歴史があって7日間の観光でも、ほんの少し世界遺産等を垣間見たにすぎないのです。
このイスファーンはサファヴィー朝全盛のシャー(王)アッバース1世が建設した新都なのです。日本では関ヶ原前夜の1597年の出来事です。
なぜ、ヨーロッパ人の貿易商、外交官に世界の半分といわれるほどに繁栄したか、数多くのキャラバンサラエの建設、シャーの広場、シャーのモスク、バザール、宮殿、神学校、建築の学校、官庁街などが現在のイマーム広場に建設されたのです。
なぜ、イスハーンが世界世界の半分と言わしめたか、それはペルシャ湾のバンダル・アッバース港の拡張で地中海・イギリス・北海の沿岸諸国に絨毯、独特の金属製品、色鮮やかの陶器、刺繍などが輸出され、また、陸路は絹の道からアジア諸国へ運ばれたのです。
それらの品物がバザールで取り引きされ、当時の世界でバザールに欲しいものが何でもあったのです。それで「世界の半分」と言われたのです。
私は、イマーム広場のモスクの天井と基底部に描かれたイスラム教の戒律、また祭壇前で経典を読み上げたバスの運転手さんの声が反響して、巨大なモスクに全体に響き渡ったのです。シルクロードの旅友も驚きました。
また、建築学校での数々のデザインのサンプルにも驚かされ、7階建てのアーリ・カープ宮殿の楼閣に登ってイマーム広場の素晴らしさ驚嘆したのです。
王侯貴族もイマーム広場で行われたイベントを楽しんだことに思いをはせたのです。モスクの屋根にほどこされた、タイルの美しさにや天井のデザインは技術と富の象徴と思われます。
今は広場の白い玉石から水をたたえた池になり噴水が涼を醸し出しております。
噴水の周りを王侯貴族の気分にさせてくれる馬車が走っており、このこの広場は南北512m東西159mにも及びますが1階部分がバザール、2階部分が官庁街です。
地下道があって、王侯貴族は庶民の目を気にせず、モスクや高楼に行きかいできました。
また、イランのザクロス山脈を望む景勝地、ザーヤン川は水は少ないのですが33橋の傑作「ハージュ橋」の中央に張り出した王侯貴族の社交場「6角形の望楼」があります。水の少ないイランで最高の涼を取りながらの2階建大宴会場なのです。
橋は経済発展の流通の為数多く架けられたのです。
庶民は橋梁下の空間で涼を取るのです。余談ですがイランに水田があるのです。コメの文化圏と小麦の文化圏がイランで分かれるのでしょう。
私たちが行ったとき、イランは核兵器疑惑で経済封鎖を受け、原油輸出が制限され、インフレで1日うちに両替が2割くらい上下していました。しかし、国民は明るくインフレなど感じませんでした。
ガイドののアリプールがイスラムの宗教国家ですが「なんちゃってイスラム教」が多くブルガも若い女性はフアッション性を優先しているそうです。
核施設の中に道路が貫通し、撮影禁止ですが観光できるのです。
驚いたことに、インドの富を垂れ流したタジマハールはイランの技術者が設計・指導しているのです。
イランのモスクにはキリスト教も描かれていたのです。懐が深かったのです。
パーレビ国王で、シャーの時代も終わりシャー時代の言葉も使ってはいけなそうです。今は50代の退職者の人々が敬虔なイスラム教徒成ってしまって宗教国家を呈しているだけだそうです。
ほとんどがナンチャッテイスラムで、しかも男は徴兵のため高卒が多く女性が学歴が高く威張っているそうです。

100年前の日本の風景が古代4大文明のアナウ丘にあった

2017.10.11 (水)

世界4大文明といえばエジプト・メサポタミヤ・中国・インドです。そして、中央アジアのアナウ遺跡に来るまでは私自身もエジプトが1番早く文明が興ったと思っておりました。
添乗員の話しでは、このアナウ遺跡が世界最初だそうです。あまり有名でないのは、日干し煉瓦の遺跡のため7000年の風雪に耐えられず、元の大地に帰ったからなのです。
この遺跡は、トルクメニスタンの首都アシハバードから25km東に行ったところあるのです。
この周りにはメルヴの遺跡・テペの遺跡など多数の古代遺跡があります。
世界最西端の仏教遺跡「グーズ・カラー遺跡」もあり、100平方kmに及ぶ日干し煉瓦の城壁と掘割の遺跡で、人骨なども出土し当時の状況で散乱しているのです。
また、トルクメニスタン国立博物館を見学したときに驚きの連続でした。紀元前3000年~2000年栄えた古代マルグーシュのコーナーには女性の土偶やゾロアスター教の神殿跡からの出土品、4輪戦車の車輪(アルシンベルのファラオ・ラムセス2世の壁画は2輪車)などが展示されているのです。紀元前3世紀に栄えたニサの遺跡ではミロのヴィーナスそっくりのヴィーナス像があったのです。女性の魅力は何処の国も『くのいち』なのです。
かって、ソ連の支配下にあったトルクメニスタンのドライブインでランチを取った時に、星と月の刻印のある壺を見ので思い出に写真撮ってきました。
日本の100年前の風景は、小高い山の上の神殿跡で出会ったのです。
65年前の1948年イラン大地震で崩壊した日干し煉瓦の巨大な青龍の刻まれた柱と屋根のある祭壇に、何かお願い事をしている若いお嫁さんと義母の姿でした。
きっと子供さんが早世し、男子の世継ぎの出生を願い、願掛けの巡礼に来ていたのでしょう。
遺跡のテーブルの周りを7回まわるとお願い事がかなえられるそうです。100年前の日本の嫁と姑の姿でした。
戦前の神社にあったお百度参りのようなものですね。また、何処の国も手を合わせ、神・仏に向かい、お願い事をする光景は同じだと思いました。
また、7回まわるこの数字も何処の国でもゲンを担ぐのでしょう。
願い叶って、お子さんの誕生を心の中で願ったのはこの旅友で私だけでなかったと思います。
歴史の中の喜び悲しみ、そして早世した赤子の鳴き声が風の音に交じって聞こえそうな、この高台も砂漠での村を流す豪雨にも耐えたのです。しかし、大地震の前に崩れ去りながら、今でも亡くなった子供への信仰は続いているのです。
撮影に夢中になっていたのか、尿意を模様し青空トイレと思ったのですが、神聖な信仰の地を汚してはと思いとどまり、添乗員に聞いて、バスの止まってる事務所に急いで駆け下りてトイレにやっと間似合いました。
今夜のホテルはアシカバードで4星ホテルです。私たちのルームメイトは若くて可愛い2人組でした。日本人はめったに来ないなので話しかけてきたのです。ゼスチャーと下手な絵をかいての国際交流です。
笑顔があればみな友達。美人ちゃんに囲まれて撮影。笑顔で眠りにつきました。

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