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記事一覧

館林「茂林寺」のお尚さん

2019.07.02 (火)

館林は羽生より122号線を渡れば直ぐ近くであります。今は高速でいけば30分位で行ける距離です。
子供が小さい頃行ったのです。「分福茶釜」の話を童話を子供にして、お揃いのセーターと洒落混んだのですが「お母さん、これ安かったでしょう」と言うのです。いぶかしく思い尋ねたところ「色が良くないね」でした。
若い頃、ローンがなく家を建てたのでお金がなく我慢をしていたのです。

分福茶釜の童話は日本各地にあり「分福」つまり福を分ける話です。民話の中で動物の報恩の話しなのです。浦島太郎や鶴の恩返し&かぐや姫も報恩の話す。
茂林寺は室町時代の開山で大林正通禅師依るものです。国文学者「柳田国男」に依れば、茶釜の話は、人と動物の交流の話で、今のペットの「SNS」なものなのでしょう。
茂林寺の茶釜も見学料を支払えばみられます。境内に入ると信楽焼きの狸がおで迎いしてくれます。信楽焼は6古窯で、日本の文化遺産です。信楽はビードロ釉、ナマコ釉で侘び、錆びの趣のある焼き物です。

猫はエジプトに於いて7000~9000年の歴史があります。犬は、北方民族の話で狩猟民俗が狼をペットとして飼い慣らしたのです。日本でも秩父の三峰神社や岩手地方に神と祭られております。

明日は採血、アンモニア値が心配。

2019.07.02 (火)

今、夜中に1:30です。明日の朝7:00頃採血です。アンモニア値が期待通りであれば、退院の日が決まると思います。2月の始めから7月上旬です。毎日が退屈です。ボケ防止に読書とblogを日課としています。
明日、また、結果を書きます。
7/2、今日は雨.九州鹿児島で土砂災害、洪水被害続出、埼玉は、山が少なく自然災害が昭和23年以来3/11の東日本大震災くらいです。被害も軽微です。
シャワーを浴びてナースセンターに立ち寄る。肝硬変のアンモニヤ値を聴く。
136とのこと。どうしたら良いか、悩む。「困った」の一言。
福屋先生の判断はどうでるか。
数値が200以下であんていして居るので退院が決まったのです.何か納得が行かないのですが。
光子と剣がPM:3,00頃迎いに来ることになりました。

城ヶ島、横須賀、荒崎海岸の思いで旅行

2019.07.02 (火)

私が大学生の時、一人でノコノコ出掛けて城ヶ島の大橋下の歌碑を撮影したのは白黒フイルムの時代でした。2回目は城ヶ島に土産物が軒を連ねてビックリ!。今ではフイルムを巻き戻せない状況です。

淡い恋心抱いた整備課で、中由さんとのプラトニック・ラブです。車の運転もおぼつかない時行ったのです。荒崎海岸にドライブと洒落混みました。萩原課長のオンボロ車、今では廃車です。
私と彼女は人影ない荒崎の岩に隠れ話すことしきり、彼女は、当時流行りのトレンチコートです。私は毛糸のセーターに実を包み、彼女にキスをしたのです。
おっぱいを愛撫したのです。当時は童貞、処女が当たりまへででした。
帰りです、横須賀海岸通りは、曲がりくねった坂道でした。坂の途中でエンスト、今のようにオートでは無く、ギヤチエンジです。車が下がるかと思うと冷や汗です。困ったことこの上なしです。

この荒崎海岸は、富士山や天城連山を見渡せる、海と山の織り成す景勝地です。
2度目は、結婚まで約束した光枝と塚田君、近藤さんの4人で行ったのです。冬の寒い海風が吹きすさぶ日で寒かったことしか覚えておりません。彼女の髪が乱れオーバコートの裾を押さえて撮った白黒の世界でした。

横須賀は日露戦争の東郷元帥と戦艦三笠くらいしか知りません.ペテロス.ブルグで第3バルチック艦隊っ見に行き交差点でジプシーに囲まれ妻の大声で難を逃れた記憶を思い出しております。
また、海部首相の時、「荒井屋」で生け簀の美味しい遅い夕食で光子が怒られ
たのです。栗橋のHさんの招待で芳光、村瀬、野村、石川6人が横須賀の基地で護衛艦に乗船し、海上自衛隊の訓練の凄さを見たのです。乗船した艦は先頭でスゴさがバッチリ。
驚いたことに、招待者の階級でランチも違うのです。艦内で乗船艦の盾を記念に購入しました.今でも我が家の宝物です。
この日は快晴で富士山が大きく見えました。\(^o^)/(^○^)。

超高齢に伴いボケ老人が 発生&北茨城の旅

2019.07.01 (月)

ボケは、退職してから周りとコミューニケイションが取れず家の中で「祖大ゴミ」なってしまった人に多いそうです。
毎日が長くTvばかり観ているとボケが早まるのです。病院に入院して変テツのない天井や窓から見える変わらぬ光景は刺激が無く、ボケを早め、閻魔様に呼ばれ地獄への裁定下されるかも。(  ̄▽ ̄)(*´ー`*)。

古河市~坂東市~水海道~常総市~北茨城市でしょうね。
最近は童謡作詞家「野口雨情」の歌碑はアチコチに在りますね。水海道や常総市、北茨城を北上した海岸線に建っている歌碑は知っていますが「井の頭公園」にもあるのですね。

岡倉天心と交流の合った文化人が集うた六角堂は北茨城市の五浦湾の波打ち際に突き出た岩の上にあって3/11の東日本大震災に津波で流され、その後、再建されたそうです。私は流出まえに早朝、見学に行って行って来ました。良寛和尚の庵より小さかった記憶です。この五浦海岸は、茨城の松島と言われ友人の案内で訪れた天心は気に入り、法隆寺 夢殿を模して建てられたのです。
天心は「観瀾亭」と名ずけ思索に耽ったそうです。

今は日本美術界の聖地と呼ばれて、茨城大の管理下です。木の壁は防腐剤を兼ねた赤のベンガラで屋根は三州瓦で塩害に強い瓦です。
この地を下見に来た「横山大観、下村観山、菱田春草」は気に入り家族と共に移り住み、日本の芸術界の先駆けになりました。そういえば、私の恩師、法元六郎先生から菱田春草の掛け軸見せていただきましたが、その後「不動の36年の弥勒会」の席で贋物立ったことを聞かされました。

北茨城市に天心記念五浦美術館も宿泊した大観壮ホテルの近くにあり、見学してきました。

野口雨情は北茨城の回線問屋の長男として生を受け「北原白秋、西条八十」と
3大童謡詩人と言われております。私は妻と九州柳川に行った時、木原白秋の生家を見学してきました。白秋は日本の大学、高校の校歌を作詞したことを初めて知りました。
雨情の作詞は、懐かしい詩ばかりです。「十五夜お月さん、七つの子、赤いくつ、こがね虫」など私が知っている詩が多いのです。また、民謡も多数残しております。

人間70才になったら己にチャレンジ

2019.07.01 (月)

1.人間は齢を重ねるとズル賢くなって他人に「気にせず、やってくれるのが当たりまえになる」そこから老害、ボケが始まっていると思へ。
2.70才いつも周りに上機嫌で振る舞へ。
3,意欲があったら、75才になっても働け。遊び事が当たりまへと思うな。報
酬は期待するな。
4.70才はまだ実熟、成長の幅がある。
5.70才は年令かんを変えられる。熟年を越えろ。
6.70才自己をコントロールして、自分の意思で自己啓発。
7.70才、今日行く所があるか。今日用事があるか。家に籠るな。外に行け。 メンタルを切り替えろ。若くなれ。
8.70才周りの人の成功を喜べ。己を卑下する事なかれ。
9.70才、今日が人生で一番若い日とおもへ。過去の栄光捨て「コマメ」になれ
10.70才、何かに夢中になれ。「恋もその一つなり。」
11.70才、何かをしてもらうから、何かをしてあげるか」が生き上手
12.70才、相手の気持ちを傷つけるな.たとへ己が傷つけられてもにしろ。
13.70才、気を張れ.弛んだら歳をとる。
14.世間言われるお節介はやめよう。相手が欲するお節介を考えてしよう。
15.70才、自分の限界を試そう。諦めるな。 
16.70才、女性はオシャレを楽しもう。他人の目線気にするな。人は人、己は己、 男は、身なりにを配れ。新着でまとおう。
17.70才、子供頃の夢を実現せよ。
18.70才、見本等ない。己の人生を確立せよ。幸福の原点である。
19.70才、子供に期待しては老いが寄ってくる。
29.70才、素晴らしい高齢期迎えた人に会え。そして、真似をせ

江戸、東京の名所 早回り

2019.06.29 (土)

江戸、東京は、江戸開府から400年以上の歴史ある世界の都市です。私の目で見た景観を足早にご案内いたします。50年以上前の京タワーに高校時代、私が18才のに初めてにいきました。直ぐそばの増上寺は江戸城の鬼門に建てられた幕府の直轄寺です。東海道珍道中のツアーに参加して妻と行きました。
目白の椿山荘は兄の長女の結婚式で行き、東京の住まいです。三重塔が和風庭園の風情を醸し出しています。スカイツリーご存じ事、浅草寺もしかりです。

池袋の近くの鳩山会館は鳩山四代の政治の舞台、鳩、ミミズク等のモチーフと緑青の屋根、明治の社交場「鹿鳴館」を彷彿させ、教育の大切を教えてくれる絶好の場所です。バラ園も素敵です。小高い山ノ上で欅の巨木が夏でも涼しいです。今でも政治の舞台です。現在の相続人は鳩山由紀夫氏です。

古河庭園は和洋の素晴らしい庭園と明治のレトロな建物も見ごたえがあります。古河庭園は足尾鉱毒事件の古河市兵衞の邸宅です。足尾鉱毒で離村した村役場跡、お墓が現存し、田正造は無念の気持ちでしょう。

江戸城(皇居)も見学できます。馬に乘った警察官も行き合う事もあります。
高田の馬場近くの神田川脇の「山吹の里公園」義弟の泉瓦店の直ぐ側です。

すすきのミミズクで有名な鬼子母神は(鬼は角の無い字です)インドの夜叉神です。人間の子供を食べ、500人の夜叉の子供を育て人々に恐れらていました。鬼子母神の鐘楼を義弟のKが屋根を施工したのです。昔、この辺りはススキの原っぱで働き過ぎで患った母を見かねて阿弥陀仏が「くめ」に諭したのです。ススキでミミズクを作って売りなさい。ミミズクは売れて「くめ」は母に薬を買って元気になって幸せなったのです。

目黒「雅叙園」は私の息子の結婚式の会場です。天井画が素晴らしく、リッチな気分になりました。桜の名所でもあります。桜の満開の時に行ったのです。目黒川の両岸に咲き誇っていました。一緒に墨田公園と上野公園もバスで回ったのです。

浅草寺には松下幸之助の寄贈の大きな提灯が有名です。提灯の下部に竜の絵柄はご存じ無いでしょう。見てください。仲見世も粋な小物売っています。浅草寺の本尊は漁師が網にかかった1尺2寸の仏像です。

美術館、博物館は限りなくあります。アメ横も一度はゆっくり行ってみても損はないですよ。話は此のくらいにしておきます。

頼朝伝説の仁右衛門島

2019.06.29 (土)

海外から帰国する時、機上から眼下を遠望する時、雄大な九十九里の曲線美のなかに風力発電のプロペラが長閑に廻る光景を視ながら、機体を旋回ながら成田国際空港に離陸するのです。

この曲線美のに、何処かに仁右衛門島が白波のなかに消されているのです。
この仁右衛門島に、二十歳ごろ日本ユニカーの仲間と慰安旅行に行ったときです。個人所有の島で小舟にのって行きました。
遥かな記憶の中でブログを書いてます。頼朝伝説の残る温暖の島で小さな島ですがロマンがあります。

頼朝は石橋山の戦いで、平氏の梶原景時の温情で伊豆堂ヶ島に逃げ一命とりとめ、伊豆の対岸の仁右衛門島に身を潜め再起を図ったのです。

此島は古くから観光名所で新日本百景にも入るくらいです。もっとも印象に残っているのが玄関前の大蘇鉄です。話は別ですが、千葉氏との会見に百姓(実は百姓は100の姓=庶民)に名字を賜下したのです。色々な名字があるそうです。

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