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記事一覧

加須市 浮野の里

2019.06.17 (月)

六月の土日は、加須インター近くにある浮きの里は,花菖蒲が咲き、茜たすきに紺かすり姉さんが田舟を漕いで足踏み水車回っていることでしょう。潮来の風景とおなじです。この浮きの里には氷河期の特有の植物と里山の風景が色濃く残っております。菱や食中植物の宝庫です。駐車場や水洗トイレも完備され木道もあって散歩がてらに行ってみてはどうですか。。高見台もあるのです。
沼海老、オタマジャクシ、メダカ、運かよければ亀に会うかも知れません。地シバリの黄色い花も見ごろです。
帰りに加須のうどん等も粋です。加須のうどんは利根川の反乱で肥沃な堆積層に恵まれ二毛作が可能になり麦畑が広がっております。今は都市化の波で住宅地になって耕作放棄地ふえるばかりです。
もし、時間があったら不動尊の五箇宝を買って総願寺の編額を住職頼んで見学したらどうですか。くすんでよく見えませんが関孝和の弟子が羽生から加須近在に多くいたのです。板倉の来電神社の編額よく見えます。関孝和はキリスト教を信奉してたことはあまりしれれておりませんが。
五箇宝は参勸交代の大名、家来のお土産だったのです。
秩父街道、中仙道から故郷に持ち帰ったのです。縁起の良い菓子です。熊谷と加須の特産品です。

成田山と野田市関宿の地名

2019.06.17 (月)

野田市関宿町は明治初期30,000人口で木更津市についで千葉県第3位の町(関宿)です。
 寺町、台町等の地名を残しておりますが今は鉄道、高速道路等の流通良くなり寒村化しています。

当社も仕事の関係で関宿と多くの関わりを持っていました。木間ヶ瀬のk大工仕事で駒形神社の屋根葺き替えをしたときの事です。見渡す限り全面に稲穂が揺れる穀倉地帯の風景広がっておりました。小さな杜です。木々に巻き付いた縞蛇ポトン、ポトンと落ちてきたのです。ビックリしました。
 そもそも、駒形神社は、将門の名馬が飼い葉桶の水を飲んだ所餅が入っていて喉を詰まらせ死亡したため、村人が社を建立したのだそうです。
平貞盛の密使のなかに「桔梗」と言う間者いたそうです。貞盛は碓氷峠の関所通り、京都へ逃げ帰り平将門征伐のために成田山新勝寺と太田の豪族藤原秀郷の合力で関東を朝廷の管理下に統治できたのです。神田明神は岩井(磐井)の神田(カデ山)の地名を取ったものです。大手町の首塚も将門の呪いで移設しようとすると事件が起き当時のままだそうです。
坂東市、野田市、春日部市には、将門由来の地名が多いのは菅生沼を琵琶湖見立てて着けた地名だからなのです。
武者土、〆切、古布地、山崎、三ヶ尾等があります。私は、仕事で色々ところに行き、地域の知識を得ることは人脈でき一石二鳥です。
駒形神社の氏子の人たちは桔梗の花と成田山の参詣にいかないそうです。こんな話も時代と共に忘却の彼方流され忘れられる地名です。

消えた帰国者乗せて海岸の砂浜に乗り上げた運搬船

2019.06.17 (月)

 豪華客船 日本丸で小笠原の父島に行った時の話です。日本丸はレインボウブリッジを通過できず横浜のメリケン波止場に係留され浜での乗船です。
故人の健ちゃん、川島君と大島に行ったときを思い出しながら乗船したのです。
バンドとカメラマン迎えられ乗り込みました。二時間位待たされ、銅鑼がなり、浜の風景を船室ベランダからボンヤリと望みながら光子と至福の時間を過ごしました。朝、目覚めると八丈島辺りだったと思います。日本丸は、阿呆鳥の生息する南鳥島や黒潮に刻まれた絶海孤島を通過し、船内見学やno taxの買い物、ルーレット場所など見て回りリッチ気分で妻と人生を乗り越えた幸福を感味わい、朝食の時間前を過ごしました。
この船旅はエンターテイメント、ダンス、カジノ、カラオケなどあって楽しい時間を過ごせるのです。父島の港に停められず小型船で波止場に往き来し乗船客降ろしたのです。私たちは一番に下船しタクシー会社に駆け込み、少し待ってタクシーで島巡り手配したのです。1時間位で父島の見所を運転手さんのガイドで観て回り、印象的なのは、敗戦濃くなった父島の人たちが、艀を使えず強硬に引き揚げ船を湾の砂浜乗り上げ、その運搬船の姿は歴史のヒトコマであったのです。ガム島からのB29爆撃に曝され凄惨であったのでしょう。その運搬船が70年の歳月の中で、潮風に曝され消えてしまったニュース観てア~アと思ったのは私の感傷でしょうか。広島の原爆ドームの保存の大変さを感じたのです。
歴史の中で、意図的に消されて行くのでしょう。戦後史を教えられないのも米・フーバー大統領の戦争をやりたくて狂人じみた行動もやっと歴史の下にさらされ公表されたのです。マッカーサーやトルーマン大統領も引き継いだのです。
 真珠湾攻撃を仕掛けたのもチャーチルです。チャーチルは、真珠湾攻撃が実施された時ワイン飲んで微笑だのです。ウエルカム、パールハーバーなのです。うまく罠に嵌めらたの日本なのです。

鹿島神宮と香取神宮

2019.06.06 (木)

鹿島神宮と香取神宮は利根川を挟んでアイヌや北方の蛮属の前戦神宮して神武天皇18年に建立されたのです。そのため社殿は 北向に建立されております。両神宮とも軍神を祀り、当時は、今の霞ケ浦が両神宮のあたりまで中の海を形成し、船運で兵を北方に送りだし、また香取神宮は京の都への物資運搬を担っていたのです。
 鹿島神宮は大化の改新で功績を上げた藤原鎌足(不二原鎌足)の所領となったのです。

 藤原家の祖先は白い鹿に乗って奈良の都に降り立った所が北野天満宮なのです。
 驚いたことには、藤原氏は私の妻の先祖です。上野国立博物館の特別展示で絵巻物描かれていました。

鹿取神宮に鹿島の大王を行幸する12年事の御座船祭りを見学行って、何十雙の大漁船を従え利根川上る光景は圧巻でした。

帰りの鹿島神宮近くの利根川の橋の上から覗き見た大漁旗の漁船と御座船が一団となり水郷・潮来の光景もきらびやかな絵物語の光景も忘れられません。

潮来と言えば、田舟を漕ぐ紅いタスキに紺かすりの風景が思い出され、日本各地にいろいろな四季折々の風情があり、風景があります。

関東平野の屋敷

2019.06.05 (水)

関東平野は赤城降ろしや筑波降ろしの吹く冬の光景を目にします。
今でこそ、エアコンによる
空調が進み、冬の寒さ、夏の暑さも快適ですが、昔は夏の暑さをもって家の建築を考えたのです。
トイレも家の鬼門にたて外便所がおおかったのです。
病気の媒介をするハエから守るために南天を植えたのです。
もちろん、火防・防風林の為に珊瑚樹を二階の庇越える高さに植えたのです。
珊瑚樹は火事になると肉厚の葉から水蒸気出す事を母に教えられました。
また、利根川の氾濫の時、土台と緊結されていない玉石上に置かれた家の流されるのを防いだのです。
当時の家は、藁葺きが多く全家の重量が軽く水量を押さえ込めなっかたのです。
家も中2階や平屋多かったのです。 風呂無い家が多くもらい風呂が多いのも特徴でした。
お金持ちの家は、利根川の氾濫を見越して土をもリ、蔵をたて水害、火事、泥棒備えたのです。
街道筋や旧利根川沿いの檀家では商売上の為同じ高さの蔵が軒を連ねたのです。
街道の一番の商家は、陣屋と成り名誉を重んじたのです。
私の仕事の粕壁の田村邸もそうです。

川越の散策:

2017.05.15 (月)

東京から近い川越の蔵作つくりの街並みでは、銀行も明治の建物を再現して景観保全に努めております。

 川越の街並みは豪族河越氏の所領で鎌倉時代に遡ります。いま、川越は年間30万人の観光客を引き寄せ、インバウンドに人気の街並みを形成しています。
 時の鐘、お菓子横丁、蔵作りの街なみ、川越市立博物館、喜多院、仙波東照宮、本丸御殿、山崎美術館、川越蔵作り資料館など一日では見切れないほどの観光のポイントがあります。

 そもそもは、川越の商人は江戸の豪商たちが明治6年の大火で蔵が残った現実を目の前にし、日本橋界隈の街並みと関東大震災で東京が全滅に近い打撃を受け、残った蔵の数々を見て、街の通りを土蔵を選択したのです。
 川越の商人は、荒川の支流を利用して復興の財を持っていた商人たちは漆喰の蔵作りの黒壁の街並みを選んだのです。
 今度、ゆっくりと観光しようと思っています。
 山鉾の山車の出る川越祭りにも行ってみたいと思っております。10月の第3土:土:日だそうです。また、ブログを書きたいと思います。

商家の土蔵の屋根に鬼瓦と和瓦がなかったら寂しいですよね。

2017.05.15 (月)

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 今、川越は池袋から西武線で30分で来られ、江戸情緒と日本の文化を満喫できるので、インバウンド効果が60万人に及ぶとか。

 3代将軍の乳母、春日局の喜多院もそうですが、町全体で町おこしをしております。
祖には鬼瓦と和瓦の醸し出す街並みがあるからです。同じ街道筋の春日部もに日光街道があるのですが、蔵が少なく、蔵造りが点在して、江戸時代の町並がないのです。
もし、草加市も松並木だけでなく、中川の水運、日光街道の街並みが残っておればなどがインバウンドが訪れ、惜しいところで呼び込むことができておりません。それよりも行政にとって人口増加が街の発展に寄与すると考えたのでしょう。人口増加は経済を発展させ、住人を豊かにし、経済が大きくなり、固定資産も市を潤わせることでしょう。地方都市の各所で人口減に悩んでいるのが日本の現在の環境です。

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